姉の婚約者に口説かれた。どうやら王都の男どもの目は節穴らしい。

ナナカ

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第三章

(24)脱出したのに

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 ああ、もう帰りたい。
 でもオクタヴィアお姉様と一緒に、王宮での舞踏会を堪能したいという野望もある。

 それに、お姉様がクズなセレイス様よりもっと好条件な人に見初められないとも限らない。今まで特に気に留めなかった人でも、私と一緒にいる時のお姉様の柔らかい笑顔は特別だから、心を奪われる人が出てくるかもしれない。
 セレイス様も言っていたけど、私と一緒にいる時のオクタヴィアお姉様は、とても生き生きしていて、美しさも五割り増しになる。セレイス様は控えめに言ってクズだけど、私に関わらない時の言動は信頼できるはずなのだ。

「……お姉様のために、もう少し頑張るか」

 小さくつぶやいて、私はお姉様を探しに行こうと振り返った。
 広間へと踏み出しかけていた足は、でも次の瞬間にはすくんでしまった。


「リリー・アレナ。こんなところにいたんだね」

 優雅な足取りで、バルコニーの奥へと歩いてくる。
 強張っているであろう私の顔を見つめ、その人はうっとりと微笑んだ。

「夕焼けを背にした姿も、とても良いものだな」

 甘い声は、なぜか掠れていた。
 つぶやきの間に熱い吐息が挟まっている。広間の明るい光を背後から受けたいるせいか、華やかな金髪がいつもより輝いていた。
 セレイス様はゆっくりと近付いて来る。
 無意識に後退った背中に、バルコニーの冷たい欄干が当たった。必死で周囲に目を向けたけど、逃げ道はどこにもない。
 セレイス様は私の前で足を止め、私を見つめながらスッと片膝を突いた。
 そして幾重にも重なったドレスの裾を手に取って、恭しく口付けした。

「……今日の君はとても美しい。まさに女神だ」

 ぞわ、と背筋が寒くなった。
 もう一度私のドレスの裾に口付けたセレイス様は、うっとりと見上げる。
 微笑みをたたえた端整な顔の中で、目だけは全ての光を吸い込んでいるように黒かった。

「リリー・アレナ。君は名前もとても美しいね。名は体を表すというけれど、本当によく似合う名前だ」
「あ、ありがとうございます! な、亡くなった母が、百合の根が好物だったからつけて貰ったんですよ!」
「……百合の根?」

 セレイス様は、なんとか間をもたせようとする無駄に大きくなった私の言葉に、一瞬眉を動かした。
 お、おや? 百合根のことはご存知ではない?
 そう言えば、王都に来てから百合根のことは全く聞かないですね。王都ではあまり一般的な食材ではないのかもしれないな。それなら、王都育ちのセレイス様が不思議そうな顔をするのも納得できる。

 百合根って、ホクホクして美味しいんです。私の母が無茶苦茶好きだったらしいです。
 母だけでなく、お父様の正妻様もお好きだったようで、我がアズトール家ではお父様が食べながら涙ぐむのが恒例行事なんですよ!
 もちろんオクタヴィアお姉様も私も百合根料理は大好きなので、お父様の涙を視界から外して食べるんです……!

 というような話をして、気を逸らそうと思ったのに。
 セレイス様は理解できないことは無視すると決めているようだ。百合根のことなど何も聞いていないかのように立ち上がると、流れるような動きで私の両手をぎゅっと握った。

「リリーと言う名も美しいが、アレナという名前も実に気高くていい名前だね」
「そ、そちらは、魔獣退治で名を馳せた祖父の名前をいただきました! 伯爵なのに実戦武闘派で、筋骨逞しい大男だったそうですよ!」
「……うん、素晴らしいお祖父様だったんだね。やはり貴女に相応しい良い名前だ」

 セレイス様は、それはそれは美しい顔で微笑んだ。
 武闘派大男の名前をもらったとわかったのに、この反応。セレイス様のスルー能力はすごいなぁ。こんな状況でなかったら、心から称賛していましたよ!
 でも今の私には、そんな余裕はない。
 笑顔をなんとか保ちながら、クズ男の手から強引に自分の手を引き抜いた。でも、片手がまだ捕まっている。
 まずいまずいまずい!

「セレイス様! 私、オクタヴィアお姉様に用があるんです。探しに行きますね!」
「だめだよ。麗しのリリー・アレナ。僕と二人で、もっと話をしよう」

 セレイス様が、一歩近づいた。
 手を握られているから逃げられない。背の低い私の視界が、セレイス様の上質な衣服で埋め尽くされそうだ。
 これは絶対にまずい。私は本気で焦り始めた。

「姉の婚約者であるセレイス様が、私と二人っきりなんておかしいと思いますよっ!」
「ははは。リリーはそんなことを気にしているの? かわいいな。僕の心は君のものなのに。ああ、もちろんすでに婚約は成立しているから、オクタヴィアとは結婚する。彼女とは気が合うから、うまくやっていけるだろう。でも、心は君に捧げるよ。どれだけ愛を誓えば信じてもらえるかな。愛の証として結婚しろというなら、君と結婚することもためらわない」
「そ、それはちょっと無理だと思います! だって私は……!」
「君が庶子であることも知っている。だが、そんなことは些細なことだろう? 君は気にしなくていいよ」

 えっ、私が庶子って知ってるのにその態度なの?
 意外に開放的な考え方ですね! そういうところは嫌いじゃないですけど……!
 でも、やっぱり無理です。信じる信じないの問題でもないです。私、オクタヴィアお姉様を平然と裏切るあなたが大嫌いですっ!

 ……と言ってしまいたい!
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