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①公爵令嬢の企み

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わたくしは皇妃にならなくてもよいのですか?」
「当たり前じゃない!アンタは婚約破棄されて、私が皇妃になるの!だから早く、私をいじめなさいよ!」

 皇妃にならないという選択肢があることを、私は知らなかった。拒否する権利は私にあるのね。
 目の前で理解不能な言葉を並べる男爵令嬢のアリエルを前に、皇太子の婚約者であり公爵令嬢のグロリアは微笑んだ。

「な、なによその顔は!」
「では、皇妃にならないために、私は何をすればいいのかしら?」

 突然笑顔を見せたグロリアに警戒するアリエルは、彼女の返答を聞き満足そうに笑みを浮かべた。

「私をいじめるのよ!根も葉もない噂を流したり、怪我をさせたり。最後には、殺そうとするの!」
「そんな……!私には出来そうにありませんわね」
「は?シナリオ通りに進めなさいよ!アンタは悪役令嬢なんだから!」

 アリエルは吐き捨てるように言うと、遠方に騎士団長の息子を見つけて走り去った。グロリアは何事も無かったかのように歩き出す。しかし内心はスキップしたいほど心が躍っていた。
 物心つく頃から、グロリアの父親は彼女に言い聞かせていた。お前は皇妃となるのだ、と。実際に彼女が五歳の頃に、皇太子の婚約者となった。皇太子のセドリックは、幼いながらも品位のある男の子であり、彼の美貌にグロリアは息を飲んだ。金糸のような髪は太陽の光を受けて輝き、空のように澄んだ青い瞳は吸い寄せられるような美しさだった。容姿だけでなく、性格も一品であった。セドリックはグロリアにとても優しかったのだ。週に一度のお茶会には、グロリアが好きな菓子が用意されており、彼はいつも笑顔で彼女を気遣っていた。思慮深いセドリックを彼女は好ましく思っていた。それは恋愛ではなく友愛であったが、彼となら人生を共に歩めるとグロリアは思っていたのだ。
 しかし、どうやらセドリックには想い人がいるらしい。貴族の通うルーニア学園にセドリックと共に入学して暫くすると、セドリックの隣にはアリエルの姿を見るようになった。仲睦まじい二人を見ていると、自分はこのままで良いのかと迷いが生じていた。この時だった。グロリアがアリエルに会ったのは。
 グロリアは考えた。皇妃になれば、父親の操り人形として生涯を縛られてしまうだろう。厳しい皇妃教育にも限界を感じていた。それに、セドリックに想い人がいるのならば、皇妃の地位は譲るべきだ。
 アリエルの言う通り、品位に欠けた振る舞いをすれば婚約破棄となるのだろう。けれど、根も葉もない噂を流すのも、殺害を企図するのも気が引ける。よって彼女は、アリエルの振る舞いを指摘することにした。皇妃となるならば、振る舞いには充分過ぎるほど気を付けた方がいいだろう。彼女の姿には指摘することが山ほどあったのも理由の一つだ。グロリアはかつて自分が言われたことを彼女に伝え続けた。やがてそれが、『いじめ』という言葉にシフトしていき、グロリアは他の生徒から距離を置かれていった。
 孤独になったグロリアの楽しみは、婚約破棄され自由となった自分の姿を思い浮かべることだった。婚約破棄されたら、隣国へ行こう。持っている宝石や服を細々と売って、色々な国を旅する。異国の風景や食事を想像して、グロリアは心躍った。
 婚約破棄まで、あとどれくらいだろうか。グロリアは、紅茶の入ったティーカップを口に運ぶ。中身はグロリアの好きな紅茶であり、ほう、と思わず息が漏れる。皇妃教育の時間であれば間違いなく叱られていただろう。

「リア、考え込んでどうしたんだい?」

 向かいに座るセドリックが声をかけた。今日は婚約者とのお茶会だったのをグロリアは思い出す。五歳の時から変わらず週に一度開催されているが、今となっては形式的なものと化していた。
 グロリアはティーカップを下ろして、笑みを浮かべる。

「もうすぐ卒業ですわね」
「ああ、来週の卒業パーティーが終われば、晴れて一緒だ」

 卒業式の後に卒業パーティーがある。その頃に彼の隣にいるのは誰なのだろうか。皇妃教育から解放された自分の姿を、グロリアは想像する。

「楽しみですわね」
「ああ」

 グロリアが微笑むと、セドリックも笑みを浮かべた。彼は今も昔も理想の王子様のようだった。





 空のように鮮やかな青いドレスは、黒髪で菖蒲色の瞳の私には派手すぎる。
 グロリアはセドリックから贈られたドレスに着替え、鏡を見てため息を吐いていた。セドリックはどんな格好で来るのだろう。グロリアはそんなことをぼんやりと考えながら彼を待っていた。しかし、いつまで経ってもセドリックは現れず、代わりに部屋のドアを叩いたのは、皇室騎士団の団員だった。

「グロリア・リヴィール公爵令嬢、こちらへ」

 二人の騎士に連れられて、グロリアはパーティーの会場へ足を踏み入れた。そこには、アリエルを中心に、高位貴族が守るように立っていた。その中に、セドリックの姿もあった。会場の視線がグロリアに集まる。これはまるで、劇の終盤のように思えた。悪を成敗し、愛する人と結ばれる場面。婚約破棄の言葉がグロリアの脳裏に浮かんだ。ついに、この時が来たようだ。喜びに緩む口を必死に結ぶ。
 セドリックの側近である伯爵令息がアリエルを守るように前に立ち、グロリアを指差した。

「グロリア・リヴィール!お前はアリエルを低い身分だからと罵り、挙げ句の果てに殺そうとした!この罪は重い!よって、身分を奴隷に降格させる!」
「……え?」

 グロリアは青褪めた。アリエルからは婚約破棄としか教わっていなかったのだ。まさか、奴隷落ちだなんて。グロリアは縋るようにアリエルを見ると、彼女は勝ち誇ったような顔で見ていた。

「わ、私は、殺人など企てておりませんわ。何かの間違いです」

 震える声で、グロリアは弁解する。

「とぼけるな!証拠もある!逃げられると思うなよ!!」

 今度は皇室騎士団団長の息子が何かの書類を見せる。そこには、殺害を命令する書面と、グロリアのサインがあった。しかしグロリアには覚えがなかった。何かの間違いだと言っても、信じる者は誰一人としていなかった。縋るようにセドリックを見ると、彼は冷え冷えとした眼差しをグロリアに向けていた。

「グロリア、婚約破棄しよう。君が望んでいたことだよね?」
「殿下、信じてください!私は……!」
「詳しいことはパーティーの後にするよ」

 セドリックはグロリアに近付き、耳元で囁く。

「いい子で待っていてね」
「……?」

 先程の冷たい声ではなく、優しい声に、グロリアは呆気にとられる。

「連れて行け」

 再び冷えた声が鼓膜を揺らしたかと思えば、グロリアは二人の騎士に連れられて会場を後にした。





 連れられて来たのは、豪華絢爛な部屋だった。奴隷落ちした令嬢には分不相応な部屋だ。騎士二人はグロリアを部屋に入れると、部屋を出た。ガチャリと、施錠された音を聞き、グロリアは途方に暮れながら部屋を見回した。部屋にはテーブルがあり、その上には箱が置いてあった。箱には、着るように、と書かれている。グロリアは恐る恐る箱を開ける。中には、布のようなものが入っていた。広げてみると、どうやらネグリジェのようだった。薄い生地で、およそ服の機能の持たないそれを手に、グロリアは震えた。女性の奴隷落ちは、その多くが性奴隷となる。つまりは、これを着て、男に奉仕しなければならないということなのだろう。拒否権は、もうない。そもそも最初から私に拒否権などなかったのだ。グロリアはドレスを脱いだ。もうこれしか自分の生きる道はないのだと、半ば諦めの心境だった。
 ネグリジェは青色で、グロリアは嫌でもセドリックを思い出していた。今まで聞いたことのない冷たい声に、胸が抉られるような心地がした。婚約破棄を望みながらも、あの優しい声をもう一度聞きたくなってしまう。なんて馬鹿だったのだろうと、グロリアは後悔の念に押しつぶされて、ネグリジェを涙で濡らした。





 重い瞼を開ける。どうやら眠ってしまったらしい。慌てて起き上がると、そこはベッドの上だった。ベッドの横には、見知った人物がこちらを見ていた。

「おはよう。待ちくたびれちゃったかな?」
「せ、セド……殿下、申し訳ありません」
「セドでいいよ、リア」

 グロリアがいつも呼んでいた愛称を訂正すると、セドリックは柔和に微笑んだ。いつもの優しい声はグロリアを混乱させる。彼は確かに、婚約破棄を告げたはずだ。固まる彼女の姿を見て、セドリックは彼女の黒く艶やかな髪に触れた。反射的に身体を強張らせたグロリアに、彼は笑いかける。

「大丈夫だよリア。婚約破棄したけど、君と僕はこれからも一緒だ」
「へ……?」
「君は奴隷になって、ただのグロリアになったんだ。もう、皇妃になんてならなくていい。ただ僕の側にいてくれればいいんだ」

 グロリアは理解が追いつかず、セドリックを見つめることしか出来なかった。彼はグロリアの美しい黒髪に唇を落とす。

「婚約破棄して、逃げるなんて許さないよ」

 薄暗い部屋で、セドリックの瞳がグロリアを射抜くように見つめる。表情が削げ落ち、光のない彼の瞳は深海のように底が見えない。グロリアはヒュッ、と喉が閉まった。怖い、逃げなければと思うのに、身体は震えて動かない。

「ここなら、たくさん愛し合えるよ。ずっとここにいて、僕を愛してね」

 グロリアの肩にセドリックの手が触れ、ネグリジェの肩紐が落ちた。

つづく
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