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うまい話には、馬がある 2
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ドンドンドン、と太鼓を連打するような音がうっすら聞こえ、ビヴァリーは重い瞼をどうにか引き上げようとしたがどうやっても無理だった。
昨夜は、真夜中近くに帰って来たマーゴットに叩き起こされ、朝までずっと身の上話をさせられた。
生まれたときから、五年前のハロルドとの出会い、そして昨日の再会まで十八年分だ。
話し終えたときのマーゴットの感想は、「さっそく、知り合いの劇作家に売り込むわよ」だった。
マーゴットの好物である数種類のケーキのほかにココアをつけることで何とか秘密にしてくれるよう説き伏せて、ようやくベッドにもぐり込んだときには、夜が明けていた。
「ビヴァリー?」
「おい、ビヴァリー!」
「ビヴァリー、起きろ!」
「早く開けろっ! ビヴァリーっ!」
控えめだった声がだんだん大きくなり、ついに「ちょっとうるさいわよっ! 朝っぱらから!」と叫ぶマーゴットの声を聞いて、ようやくビヴァリーはベッドから這い出た。
「だったら、ビヴァリーを起こしてくれ!」
「何の権利があって、安眠を妨害するわけ? 起きるまでそこで待ってなさいよ」
「急いでいるんだ」
「それはあんたの都合でしょ。こっちは朝から晩まで働きづめでクタクタなのよ! それに、これだけ騒いでも出て来ないなんて、もしかしたら誰かとアレの最中かもしれないでしょう? 邪魔するのは無粋ってもんだわ」
「…………」
「あんたねぇ、ビヴァリーのことを男だとずっと勘違いしていたみたいだけど、あの子はそりゃあ人気があるんだから! 跪いてでも乗ってほしいっていう金持ちが列をなしていて、大金を積んででもぜひにとお願いされて……」
何事も大げさに話す癖のあるマーゴットが、とんでもない尾ひれを付け始めるのを聞いて、ビヴァリーは眠い目を擦りながら慌てて古着屋で買ったナイトドレス代わりの大きなシャツの裾を心持ち引っ張り降ろし、ちょっと歪んだような気がするドアへ飛びついた。
「マーゴット! 誰とも寝てないし、誰も順番なんか待っていないからっ」
勢いよくドアを開けたビヴァリーの目の前には、立ちはだかる黒い壁があった。
「本当だろうな?」
くるりと振り返った黒い壁には、この世のものとは思えない美しいものが描かれていた。
「ハロルド……さま?」
早朝にもかかわらず、ハロルドの身だしなみは完璧だ。
金の髪は形のよい額が見えるようきっちり整えられ、きちんとヒゲも剃っていて、白い肌も艶々。くしゃくしゃの髪にカサカサの肌。目の下にクマができているに違いないビヴァリーとは大違いである。
起き抜けに直視するにはあまりにも眩しすぎるハロルドは、鋭い眼差しで隠し事など不可能なほど狭い屋根裏部屋を一瞥し、誰もいないことを確かめると険しい表情をわずかに緩めて、ようやくビヴァリーを見下ろした。
「……おはようございます。ハロルドさま」
顔も洗っていないので俯いたままとりあえず挨拶すれば、ハロルドは「ああ」と唸るように返事をする。
「朝から、何の用でしょうか?」
「迎えに来ると言ったはずだが」
「昨日、お断りしたはずですが」
「会えば気が変わるかもしれない」
「そんなことしたら断りづらくなるので、嫌です」
ビヴァリーは、自分がそんなに意志の強いほうではないと思っていた。
今ではだいぶ人の悪意を見抜くこともできるようになったし、危うきには近寄らずを実践できるようになったけれど、さんざん酷い目に遭った。頼まれたら断れない性格を何とかしろと、何度マーゴットに叱られたことか……。
ギデオンが何を思ってハロルドに自分を推薦したのかわからないが、ハロルドの住む世界とビヴァリーの住む世界は違う。
外から見て憧れている間は幸せな気持ちになれても、中へ入れば異物でしかない自分を知って、居心地の悪い思いをするに決まっている。
「せっかくのお話で申し訳ないのですが……」
あとでギデオンに手紙を書いて詫びようと思いながら、頑なに断りを口にしようとしたところ、ハロルドが尋ねた。
「……勝負する前から、逃げるのか?」
ハッとして顔を上げると、嘲るような笑みを浮かべていた。
「二十秒で着替えろ。さもないと、そのままの恰好で担いでいく」
「冗談でしょ……」
目を見開くビヴァリーに、ハロルドは「冗談だと思うか?」と真顔で言う。
「ビヴァリー。勝負することは避けられないのなら、態勢を整えてからにしたほうがいいんじゃないかしら?」
欠伸を噛み殺すマーゴットのもっともな言葉に、ビヴァリーはそれもそうだと慌ててシャツを脱ぎ捨てた。
脱ぎ捨ててから、目の前にハロルドがいたことを思い出した。
「きゃ、うぐぅっ」
ハロルドは、鳶色の瞳を真ん丸にしていたが、叫びかけたビヴァリーの口を大きな手で塞ぐと抱えるようにして素早く部屋に入り、ドアを閉めた。
固い胸板にぎゅっと押し付けられると心臓が破裂しそうにバクバク鼓動を早める。
背を支えていた手が腰へと滑り降り、勝手に声が出た。
「んっ」
ハロルドの硬く温かい手が触れるだけで、どろどろに溶けてしまいそうな快感に見舞われる。
腰に止まっていた手がさらに下がり、ドロワーズに包まれた臀部に触れるとビクリと身体が跳ねた。
もう一方の口を塞いでいた手が腰に回って引き寄せられ、大きな手で柔らかな臀部をわし掴みにされると、何かが足の間から滲みだしそうになる。
こんなところで粗相したくないとうろたえ、身動ぎしたビヴァリーを抱くハロルドの腕に力が込められた。
「あっ……や、やだ……痛いっ……ハルっ」
このまま抱き潰されるのではないかという恐怖に震えながら、険しい表情で見下ろすハロルドの胸を押しやろうとした途端、ハロルドはビヴァリーを突き飛ばすようにして手放した。
その拍子に、出っ張っていた梁に後頭部をぶつけてうずくまる。
「あ、あの……大丈夫……?」
大変だと青くなって覗き込むと、こめかみに青筋が浮き上がるほど怒り狂った表情のハロルドに睨まれた。
鳶色の瞳が潤んでいるため、怒っていても怖いというより可愛いという表現がしっくりきそうだ。
「……服を、着ろ! 早くっ!」
「う、うん」
(ぶつけたときは冷やした方がいいというから、これ以上頭に血が上らないよう、怒らせないようにしなきゃ……)
ビヴァリーは、すっくと立ち上がると急いでシャツとズボン、ジャケットを身に着けた。
すっかり着終わった後で、顔を洗っていなかったことを思い出し、浸した手拭で顔を拭い、申し訳程度に髪を梳かして紐で結ぶ。
もう少しで完全にぺろんと底がはがれそうな靴を履き、準備万端だと顔を上げるとこちらに背を向けているハロルドが尋ねた。
「……終わったか?」
「はい」
「では、荷物をまとめろ」
「え?」
「採用となったら、ここへ戻っている暇はない」
「え、え? ちょっとま……」
ハロルドは、ベッドの下に押し込められていたビヴァリーの鞄を引っ張り出すと壁に掛けられていたまだ洗っていないシャツや小さな机の上に置いた日記帳や歯の欠けた櫛など、洗いざらい何でも詰め込んで、蓋をした。
大きくもない鞄だが、元々そこに入っていたものしか持っていないので、服も小物も全部きれいに収まった。
「行くぞ」
ドアを開けたハロルドはトランク片手にさっさと階段を下りて行く。
「やっ……まっ……待って! ハロルド、さまっ! ねぇ、待ってよっ!」
慌てて追いかけようとしたビヴァリーだったが、無事だったはずのポケットの底が抜け、詰め込んだままだった革袋が落下した。
「あ」
澄んだ音を立てて金貨が階段を駆け下りて行く。
降り注ぐ金貨に驚いたハロルドが足を止めて見上げたが、昨日と同じ眼差しを注がれるのが嫌で、目が合う前に俯いた。
ビヴァリーが手近なところから拾い始めると、昨夜とは大違いの灰色の質素なワンピースを着たマーゴットが現れた。
「まったく、何やってんのよ……」
呆れ顔をしながらも、しゃがみ込んで金貨を拾い始める。
「ご、ごめん……ポケットが破れて……」
マーゴットがちゃんとした恰好をしているのは、仕立屋に行くつもりだったからではないかと尋ねると「急ぎじゃないから」と肩を竦めた。
「こんなに詰め込んでたら、どんなポケットでも破れるわよ。どうしてさっさと銀行へ行かなかったの?」
「だって……」
それもこれも、競馬場から王宮へ連れて行かれたせいだ。
「全部で何枚あるはずなの?」
「百枚……」
「うーん……嬉しいような、百枚見つけるのが面倒なような……」
二人でせっせと数えながら順に拾い上げて行き、一階まで辿り着いたが百枚には二枚足りない。
「どこかの隙間に落ちたかしらねぇ?」
下りて来た階段を見上げて首を傾げるマーゴットの横で、ビヴァリーは床と床の隙間や壁と床の隙間などに挟まっていないかと、床に額をこすりつけんばかりに探し回っていたが、さんざん待たされたハロルドは我慢の限界だったのだろう。
どこからか取り出した金貨を二枚、ビヴァリーの持つ革袋に投げ入れた。
「二枚くらい足りなくとも、どうってことはないだろう? どうしても百枚必要なら、足してやるから早くしろ」
ちゃりん、と澄んだ音を立てて金貨が革袋に収まった途端、ビヴァリーは耐え難いほどの重さを感じた。
たった二枚。ハロルドにとっては、魔法みたいに、どこからかすぐに取り出せる程度の価値しかなく、なくしたところで痛くもかゆくもない額だと思うと、足から力が抜け、しゃがみこみたくなった。
血の気が引いたためか、何だか視界が歪み、喉がひりひりする。
息を吸おうとして「ひゅっ」と喉が鳴ると、マーゴットが眉を吊り上げてハロルドに掴みかかった。
昨夜は、真夜中近くに帰って来たマーゴットに叩き起こされ、朝までずっと身の上話をさせられた。
生まれたときから、五年前のハロルドとの出会い、そして昨日の再会まで十八年分だ。
話し終えたときのマーゴットの感想は、「さっそく、知り合いの劇作家に売り込むわよ」だった。
マーゴットの好物である数種類のケーキのほかにココアをつけることで何とか秘密にしてくれるよう説き伏せて、ようやくベッドにもぐり込んだときには、夜が明けていた。
「ビヴァリー?」
「おい、ビヴァリー!」
「ビヴァリー、起きろ!」
「早く開けろっ! ビヴァリーっ!」
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「だったら、ビヴァリーを起こしてくれ!」
「何の権利があって、安眠を妨害するわけ? 起きるまでそこで待ってなさいよ」
「急いでいるんだ」
「それはあんたの都合でしょ。こっちは朝から晩まで働きづめでクタクタなのよ! それに、これだけ騒いでも出て来ないなんて、もしかしたら誰かとアレの最中かもしれないでしょう? 邪魔するのは無粋ってもんだわ」
「…………」
「あんたねぇ、ビヴァリーのことを男だとずっと勘違いしていたみたいだけど、あの子はそりゃあ人気があるんだから! 跪いてでも乗ってほしいっていう金持ちが列をなしていて、大金を積んででもぜひにとお願いされて……」
何事も大げさに話す癖のあるマーゴットが、とんでもない尾ひれを付け始めるのを聞いて、ビヴァリーは眠い目を擦りながら慌てて古着屋で買ったナイトドレス代わりの大きなシャツの裾を心持ち引っ張り降ろし、ちょっと歪んだような気がするドアへ飛びついた。
「マーゴット! 誰とも寝てないし、誰も順番なんか待っていないからっ」
勢いよくドアを開けたビヴァリーの目の前には、立ちはだかる黒い壁があった。
「本当だろうな?」
くるりと振り返った黒い壁には、この世のものとは思えない美しいものが描かれていた。
「ハロルド……さま?」
早朝にもかかわらず、ハロルドの身だしなみは完璧だ。
金の髪は形のよい額が見えるようきっちり整えられ、きちんとヒゲも剃っていて、白い肌も艶々。くしゃくしゃの髪にカサカサの肌。目の下にクマができているに違いないビヴァリーとは大違いである。
起き抜けに直視するにはあまりにも眩しすぎるハロルドは、鋭い眼差しで隠し事など不可能なほど狭い屋根裏部屋を一瞥し、誰もいないことを確かめると険しい表情をわずかに緩めて、ようやくビヴァリーを見下ろした。
「……おはようございます。ハロルドさま」
顔も洗っていないので俯いたままとりあえず挨拶すれば、ハロルドは「ああ」と唸るように返事をする。
「朝から、何の用でしょうか?」
「迎えに来ると言ったはずだが」
「昨日、お断りしたはずですが」
「会えば気が変わるかもしれない」
「そんなことしたら断りづらくなるので、嫌です」
ビヴァリーは、自分がそんなに意志の強いほうではないと思っていた。
今ではだいぶ人の悪意を見抜くこともできるようになったし、危うきには近寄らずを実践できるようになったけれど、さんざん酷い目に遭った。頼まれたら断れない性格を何とかしろと、何度マーゴットに叱られたことか……。
ギデオンが何を思ってハロルドに自分を推薦したのかわからないが、ハロルドの住む世界とビヴァリーの住む世界は違う。
外から見て憧れている間は幸せな気持ちになれても、中へ入れば異物でしかない自分を知って、居心地の悪い思いをするに決まっている。
「せっかくのお話で申し訳ないのですが……」
あとでギデオンに手紙を書いて詫びようと思いながら、頑なに断りを口にしようとしたところ、ハロルドが尋ねた。
「……勝負する前から、逃げるのか?」
ハッとして顔を上げると、嘲るような笑みを浮かべていた。
「二十秒で着替えろ。さもないと、そのままの恰好で担いでいく」
「冗談でしょ……」
目を見開くビヴァリーに、ハロルドは「冗談だと思うか?」と真顔で言う。
「ビヴァリー。勝負することは避けられないのなら、態勢を整えてからにしたほうがいいんじゃないかしら?」
欠伸を噛み殺すマーゴットのもっともな言葉に、ビヴァリーはそれもそうだと慌ててシャツを脱ぎ捨てた。
脱ぎ捨ててから、目の前にハロルドがいたことを思い出した。
「きゃ、うぐぅっ」
ハロルドは、鳶色の瞳を真ん丸にしていたが、叫びかけたビヴァリーの口を大きな手で塞ぐと抱えるようにして素早く部屋に入り、ドアを閉めた。
固い胸板にぎゅっと押し付けられると心臓が破裂しそうにバクバク鼓動を早める。
背を支えていた手が腰へと滑り降り、勝手に声が出た。
「んっ」
ハロルドの硬く温かい手が触れるだけで、どろどろに溶けてしまいそうな快感に見舞われる。
腰に止まっていた手がさらに下がり、ドロワーズに包まれた臀部に触れるとビクリと身体が跳ねた。
もう一方の口を塞いでいた手が腰に回って引き寄せられ、大きな手で柔らかな臀部をわし掴みにされると、何かが足の間から滲みだしそうになる。
こんなところで粗相したくないとうろたえ、身動ぎしたビヴァリーを抱くハロルドの腕に力が込められた。
「あっ……や、やだ……痛いっ……ハルっ」
このまま抱き潰されるのではないかという恐怖に震えながら、険しい表情で見下ろすハロルドの胸を押しやろうとした途端、ハロルドはビヴァリーを突き飛ばすようにして手放した。
その拍子に、出っ張っていた梁に後頭部をぶつけてうずくまる。
「あ、あの……大丈夫……?」
大変だと青くなって覗き込むと、こめかみに青筋が浮き上がるほど怒り狂った表情のハロルドに睨まれた。
鳶色の瞳が潤んでいるため、怒っていても怖いというより可愛いという表現がしっくりきそうだ。
「……服を、着ろ! 早くっ!」
「う、うん」
(ぶつけたときは冷やした方がいいというから、これ以上頭に血が上らないよう、怒らせないようにしなきゃ……)
ビヴァリーは、すっくと立ち上がると急いでシャツとズボン、ジャケットを身に着けた。
すっかり着終わった後で、顔を洗っていなかったことを思い出し、浸した手拭で顔を拭い、申し訳程度に髪を梳かして紐で結ぶ。
もう少しで完全にぺろんと底がはがれそうな靴を履き、準備万端だと顔を上げるとこちらに背を向けているハロルドが尋ねた。
「……終わったか?」
「はい」
「では、荷物をまとめろ」
「え?」
「採用となったら、ここへ戻っている暇はない」
「え、え? ちょっとま……」
ハロルドは、ベッドの下に押し込められていたビヴァリーの鞄を引っ張り出すと壁に掛けられていたまだ洗っていないシャツや小さな机の上に置いた日記帳や歯の欠けた櫛など、洗いざらい何でも詰め込んで、蓋をした。
大きくもない鞄だが、元々そこに入っていたものしか持っていないので、服も小物も全部きれいに収まった。
「行くぞ」
ドアを開けたハロルドはトランク片手にさっさと階段を下りて行く。
「やっ……まっ……待って! ハロルド、さまっ! ねぇ、待ってよっ!」
慌てて追いかけようとしたビヴァリーだったが、無事だったはずのポケットの底が抜け、詰め込んだままだった革袋が落下した。
「あ」
澄んだ音を立てて金貨が階段を駆け下りて行く。
降り注ぐ金貨に驚いたハロルドが足を止めて見上げたが、昨日と同じ眼差しを注がれるのが嫌で、目が合う前に俯いた。
ビヴァリーが手近なところから拾い始めると、昨夜とは大違いの灰色の質素なワンピースを着たマーゴットが現れた。
「まったく、何やってんのよ……」
呆れ顔をしながらも、しゃがみ込んで金貨を拾い始める。
「ご、ごめん……ポケットが破れて……」
マーゴットがちゃんとした恰好をしているのは、仕立屋に行くつもりだったからではないかと尋ねると「急ぎじゃないから」と肩を竦めた。
「こんなに詰め込んでたら、どんなポケットでも破れるわよ。どうしてさっさと銀行へ行かなかったの?」
「だって……」
それもこれも、競馬場から王宮へ連れて行かれたせいだ。
「全部で何枚あるはずなの?」
「百枚……」
「うーん……嬉しいような、百枚見つけるのが面倒なような……」
二人でせっせと数えながら順に拾い上げて行き、一階まで辿り着いたが百枚には二枚足りない。
「どこかの隙間に落ちたかしらねぇ?」
下りて来た階段を見上げて首を傾げるマーゴットの横で、ビヴァリーは床と床の隙間や壁と床の隙間などに挟まっていないかと、床に額をこすりつけんばかりに探し回っていたが、さんざん待たされたハロルドは我慢の限界だったのだろう。
どこからか取り出した金貨を二枚、ビヴァリーの持つ革袋に投げ入れた。
「二枚くらい足りなくとも、どうってことはないだろう? どうしても百枚必要なら、足してやるから早くしろ」
ちゃりん、と澄んだ音を立てて金貨が革袋に収まった途端、ビヴァリーは耐え難いほどの重さを感じた。
たった二枚。ハロルドにとっては、魔法みたいに、どこからかすぐに取り出せる程度の価値しかなく、なくしたところで痛くもかゆくもない額だと思うと、足から力が抜け、しゃがみこみたくなった。
血の気が引いたためか、何だか視界が歪み、喉がひりひりする。
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