夢の終わり ~蜀漢の滅亡~

久保カズヤ

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第3章 高平陵の変

第22話 昭徳将軍

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 宴席の会場は、さほど広くは無いが煌びやかな部屋であった。
 数人の踊り子が舞い、老婆が華やかな琴の音を鳴らしている。
 用意されている席は四つ。陳祇は一番の下座に着き、主催者であるはずの鄧芝は二番目の上座に腰を下ろした。

 一番の上座の近くには、一人の、老人が居た。
 踊り子を下賤な目で食い入るように見つめ、楽しげな様子で腰車に乗っている。
 身なりはみすぼらしく、髪は乱れ、歯が所々抜けていた。
 その腰車を押しているのは、三十になるかどうかといった若さの女性である。

 この女性が、あまりにも美貌であった為、陳祇は一瞬にして見惚れてしまったと言っても良い。
 指は細く長く、体は柳の葉の如く華奢で艶めかしい。
 鼻筋も真っすぐで、切れ長の目、何よりも雪のように白い肌が綺麗であった。
 老人は見たところ、八十にもなろうかという程に老いていた。
 この女性は、老人の孫娘なんだろうか。陳祇はやけに気になっていた。

「将軍、此度の酒の席に、勝手ながら二人の者をお呼びいたしました。文官の方を、陳祇。軍人の方を、姜維と申します」

 あの鄧芝が恭しくも頭を下げながら、老人を「将軍」と呼んだ。陳祇と姜維は、そのことに何よりも驚いた。
 老人はどこからが目で、どこからが皺なのか分からない顔で、二人を流し見て、鼻で笑う。

「クソ真面目な顔をしとる」
 多少ながら姜維がむっとしたのが見えたが、老人は大してそれを気にしているでも無かった。
 後ろに立つ女性は、ただただ涼やかに、老人を眺めているようだ。

「鄧芝殿、ご説明を……」
「おぉ、そうだったな。いいか、聞いて驚くでないぞ。この御方は『カンヨウ』殿だ」
「カン、ヨウ?」

 聞きなれない名であった。
 そんな陳祇と姜維の反応が不服だったのか、後ろの女性が口を開く。

「昭徳将軍、と聞けばお判りいただけますか?」

 へたりと腰を抜かしたのは、陳祇であった。
 姜維もまた驚きを隠せず、声も出せずに、ただ目を見開いていた。

 老人は、名を「簡雍(かんよう)」という。
 先帝の劉備の旗揚げ当初から付き従ってきた、最古参とも言える臣下である。
 劉備がこの益州の地を治めるに当たって、爵位を臣下に与えた。
 順列の第一位は、長年劉備の下で内政を統括し、妹を劉備の最初の正室として嫁がせた文官「麋竺(びじく)」。
 そして、第二位に当たる人物こそが、この簡雍であった。

 彼の偉大な功績として今もなお語り継がれているのが、益州の首都である「成都」の無血開城である。
 この益州の地は元々「劉璋(りゅうしょう)」という人物が治めていたが、劉備はこの地を天下取りの足掛かりとするべく、侵攻を開始。
 ただ、思いの外抵抗が激しく、精強無比で知られる劉備軍は苦戦し、何年も、この領土戦に時を費やしていた。
 そして最後に残ったのが、成都である。
 この都市はとても大きく、防衛も固く、兵糧も潤沢。
 その気になれば、十数年も余裕で抵抗が出来る程の備えがあったほどである。

 これには劉備も、歴戦の猛者達も、諸葛亮でさえ打開の糸口を見いだせなかったが、簡雍は酒樽を一つだけ持って単身で成都へと入城した。
 その後、武力に屈することの無かった劉璋が、簡雍の言葉と一つの酒樽で、城を明け渡したのである。
 この時二人が何を語ったのかは、その二人にしか分からない。

 劉備は、長年自分の傍に付き従ってきた事、そして成都の無血開城という功績を称え、臣下で第二位の地位と昭徳将軍の称号を与えたが、簡雍はその後、忽然と姿を消してしまったのである。
 元来、酒を飲むことと、劉備の話し相手になるくらいのことしかしていない。
 その性格も極めて自由で、誰にも決して縛られない男であった。
 だからその失踪もそれほど大きな問題にはならず、やがて戻ってくるだろうという推測の元、結局、簡雍が劉備の下に戻ってくることは無かったのである。

 しかし今、その簡雍が目の前にいるという。
 陳祇が腰を抜かすのも、無理はない話であった。

「されど、実に久しいですな。簡雍将軍が出ていかれた頃、まだ私は三十半ばくらいでした。もう三十年も経ったのですなぁ」
「その頃、儂は玄徳(劉備の字)の側近で、お前は阿斗(劉禅の幼名)の側近であった」

 まだ、目の前の現実が飲み込めない。
 しかしながら、鄧芝が着座を急かしたことで、陳祇と姜維は慌てて座り、酒の注がれた盃を手に持った。
 皆で、一斉にそれを煽る。
 普段ならば酒を断るはずの姜維が、何の抵抗もなく酒を飲んだところを見ると、内心は相当慌てているのだろう。

「しかし何故、出ていかれて、そしてこうしてまたお戻りに?」
「聞きたいか?」

 意地悪気に三人を見渡し、驚くべき速さで盃を空にしては満たす簡雍。
 蜀に生まれた人間なら、誰もが不思議に思っていることである。特に陳祇は激しく首を縦に振っていた。

「ふん、玄徳が儂を家臣扱いしおったのだ。それが気に食わんで出て行った。こうして戻ってきたのは、もう後先も長くない身。最後くらい玄徳を許してやろうかと思ってな、やつと酒を酌み交わしに来たのだ」

 腹立たし気に、しかし、どこか懐かし気に。簡雍は杯を重ねた。
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