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16話 高校三年生 粉雪振り続ける頃、最期の別れ
しおりを挟む変わらずの雪が、舞い散る二月上旬。
あいつの母より渡されたのは、一冊の文庫本。
見本品とのことで出版社より送られてきたとのことだった。
その表紙は、美しい青空の下に居る学生服を着た男子にセーラー服姿の女子。
二人は後ろ姿で顔は分からないが、その手はしっかり握り合っており、周辺に植えられた満開の桜を見上げているような構図。
あいつと俺。
その関係性がしっかり描かれている表紙絵に、俺はただ眺めていた。
「これを未来に渡して欲しい」
その役目も、俺に譲ってくれた。
コンコンコン。
いつもの調子でノックをするが、もう返事がない。
だから「入るぞ!」と声を出し、勝手にドアを開ける。
ベッドには眠っている、こいつの姿。
「おい! 本持ってきたぞ!」
そう声をかけるが、変わらず眠り続けている。
最近は寝ていることが増え、こちらが話しかけても反応は返ってこなくなった。
それは、痛みを和らげる為に薬を強めた結果であり。またそうすることにより、彼女の寿命を縮めていた。
現に、もう桜を見ることは出来ないだろうと宣告されている。
安らかに逝って欲しい、という両親の気持ちは分かり切っているから、俺はこいつの意識が失くなっても側に居ると決めた。
例えこのまま命を終えることになっても。
「お前の書いた物語だろ! これを手に取る為に今まで頑張ってきたんだろう! 作家なら自分の作品を最後まで責任持って送り出せよ!」
そう言い放ってこいつの手を取り、本に添わせる。そんなことをしても、意識は戻らない。分かっていたが、どうしてもこいつに。
「……え?」
手に触れた感覚に気付いたのか、こいつはゆっくり目を開け、こちらを見てきた。
「分かるか?」
その問いに。
小さく。小さく頷いた。
「これ、お前の本だ!」
本の表紙を見たこいつは。
「綺麗な絵。直樹くんと私」
ゆっくり、ゆっくりと声に出した。
「二週間後、発売予定だからな!」
「夢みたい」
「読むからな」
俺は本を手に取り、代わりに読み始める。
「題名 君と綴る未来。作者 西城寺 華」
俺は、苦手な朗読をただ無心で続けた。
こいつみたいに上手く読めず、詰まり詰まりで、聞き取りにくい。
でもこいつは、俺の顔を微笑みながら見つめてきた。
頼む、神様。最後に時間をくれ。
こいつが命を削って書いた物語を最後まで聞かせてやってくれ。頼む。頼む。
雪が振り続ける中、俺はひたすら朗読し、二時間半が過ぎる。
こいつは最後まで、この物語を聞くことが出来た。
「ありがとう。ありがとう」
こいつの目から、止めどなく涙が溢れてゆく。
それをハンカチで拭いながら思う。
神様ありがとう。最後に時間をくれて。
次のページを捲ると、そこにはあとがきが記載されていて。そこにはこいつ自身の病気のこと。もう長くないこと。自分を愛し、育ててくれ、執筆を最後まで応援してくれた両親への想い。余命を承知で出版してくれた、編集者への感謝の言葉が綴ってあった。
次のページを巡り、俺の心臓はドクリと鳴る。
そこには、この作品の主人公のモデルになった者への、個別メッセージまで綴ってあった。
つまり、俺にだ。
チラッと見ると、目を逸らしてくるこいつ。
これは知らなかった。やられたな。
長い長い、三年間でした。
大きな桜の木の下であなたと出会えたあの日のこと、今でも覚えています。
記憶とは不思議なもので。あなたとの思い出は昨日のことかのように蘇ってきます。
「君と綴る未来」。素敵な題名をありがとう。あなたが居てくれたから。
だから最後まで、私は走り抜くことが出来た。
生きてください。私の分まで。
素晴らしい物語をいっぱい書いてください。
きっとあなたなら素敵な未来を綴ってくれる。そう信じています。では、百年後ぐらいに会いましょう。
「……百年後って、俺いくつだよ?」
なんとか振り絞り出した言葉。
「百十八歳? 頑張ってね」
また見せてくる。いたずらっ子のような笑顔。
「お前、待ってるのか?」
「もちろん。いっぱい。作品。書いている。からね」
息をしながら一言。一言と。声に出す、こいつ。
一刻、一刻と最期の時は近付いていた。
「俺だって覚えてるよ。あの出会い。昔、考えた小説のシーンみたいだった」
そんな話あったっけ? とした表情を見せてくるこいつ。
だから、話を続けた。
「未発表だよ。シチュエーションを達也と書き合っただけだし。女子との理想の出会いをテーマにした文章を書いてて……」
話しているうちに気付く、こいつの目。
理想だった? と聞きたそうな、いたずらっ子のような表情に。
だから、「知るか!」と話を終わらせる。
「……直樹。くん」
「あ?」
「ううん。何でも」
「なんだよ?」
「未来と。呼んでくれる。約束は?」
「あ!」
やべー。そう言えばそんなこと言ってたな!
するとこいつは、頭までツンツンしてきた。
やべー! 頭を撫でる約束もか! あの時は出来ると思ってたが。
いや、出来るだろ。それぐらい。
「み、みら、ミラー」
「鏡?」
「じゃあ、頭の方で」
しかし俺は、毛糸の帽子にコツンと叩いてしまう。
「小突き?」
「知らねーよ!」
「可愛い」
また溢れる。いたずらっ子のような笑顔。
「からかったのかよ!」
「へへ」
そうは言いつつも、俺を何とも言えない表情で見てくるこいつ。
それを聞こうとすると、こいつはまた笑いかけ、その言葉を口にした。
「生きてね」
真っ直ぐな瞳で。
「ああ」
だから俺はその手を握った。
冷たい、その手を。
「私の分まで」
「分かってるよ」
なんとか温めようと、俺はこいつの両手を握り締めた。
すると俺を見て微笑み、静かに目を閉じた。
もう、目を覚ますことはないだろう。
そう感じ取った俺は握っていた片手を離し、こいつの頭に触れた。
「よく頑張ったな、未来」
そう耳元で声をかけ、頭をそっと撫でた。
すると。
もう一度目を開けて、やわらかな笑みを浮かべ。また目を閉じ、もう開くことはなかった。
だから、俺はその名前を呼び続けた。
こいつの意識が途絶えるまで、何度も、何度も。
その日以降。こいつの意識は戻らず病状は悪化の一途を辿り、危篤状態となった。
俺は未来の両親に許可をもらい、特別に対面させてもらっていた。
酸素マスクを付けられ、はぁ、はぁ、と必死に息する姿に、母さんが亡くなる前を彷彿させる。
でも俺は可能な限り側に居させてもらい。ぼやけて見える彼女に最後まで声をかけ、その手をただ握り締めていた。
それからも雪は降り続け、そして。
本を世に出すことが出来た、二日後。
吉永 未来。十八歳と二ヶ月。
あまりにも短い、生涯を終えた。
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