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(オードリーが本当に記憶を失っているのだとしても、私への怒りから来る嘘をついているのだとしても、彼女に合わせて行動しよう)
公爵邸を訪ねたクロードは思った。
記憶を失った、もしくはそういうことにしているオードリーにとって自分は初めて会う人間だ。元婚約者だとかバルビエ王国の王太子だとか名乗るのはやめておこう、と。
人間関係の記憶は無くなっていても礼儀作法や世界の仕組みについてはわかっていると聞く。彼女の兄マクスウェルの友人だとでも言うのがいいかもしれない。
(マクスウェルに同行してもらえば良かったな)
しかし今日のクロードは、無理に時間を作って押しかけてきた。
急なことだったので先触れも出していない。
父である公爵の補佐として多忙なマクスウェルを捕まえるのは無理だった。彼は今、新種の花の海外輸出の件で大忙しだ。
王都の公爵邸の使用人達とは顔見知りだ。
扉を開けた執事は軽く眉を動かしただけで、恭しくクロードを招き入れた。
執事がメイドにオードリーへの報告を命じるよりも早く、二階から足音が響いてくる。吹き抜けの階段の踊り場に彼女が現れた。
(……そうだ)
考えてみれば、いつもそうだった。
クロードが公爵邸を訪れたときは常に玄関でオードリーが迎えてくれていた。
先触れがないときもだ。おそらく二階にある自室の窓から前庭を見つめて、クロードの訪問を確認していたのだろう。
(魔術学園を卒業した淑女のくせに行儀が悪いぞ。そんなに喜ばれたら、記憶喪失だという嘘に付き合えなくなる)
クロードは笑みを噛み殺した。
いや、噛み殺そうとしたがどうしても漏れてしまう。
温和で地味なのは外見だけだ。オードリーの心には熱い炎が燃え盛っている。酩酊による一時的な熱ではない。彼女の炎はいつもクロードを温めてくれていた。
「ライアン様!」
「……え?」
満面の笑みを浮かべたオードリーは、クロードの知らない男の名前を叫んだ。
聞いたこともない──いや、クロードは思い出した。
魔術学園の卒業パーティで自分の代わりにオードリーをエスコートしてきた男の名前ではないだろうか。確か彼女の兄マクスウェルの友人だ。
(ほかでも聞いた覚えがあるな。どこでだったか……)
クロードの記憶が蘇る。
同一人物かどうかはわからないが、『ライアン』は品種改良で新種の花『オードリー』を作り出した男だ。
元はどこかの貴族の家で庭師をしていたのだが、王宮が市場に提供した花の種の改良中に植物の成長を促進する魔術を発見して爵位を授けられている。本人は以前と同じ貴族の領地で暮らしたがっているけれど、今は王都に招聘されて王宮の庭師や魔術師に促進魔術と品種改良の技術を供与しているという。
内包したすべての色を煌めかせていたオードリーの灰色の瞳が、クロードが『ライアン』でないことに気づいて光を失う。
付き合いの長いクロードは、無礼を謝罪したオードリーが見事なカーテシーを見せて訪問を歓迎する直前一瞬浮かべた表情に気づいていた。
ポエナに執着してオードリーを粗末に扱ったクロードへの怒りではない。魔術学園の卒業パーティで婚約破棄されたことへの悲しみでもない。
オードリーは本当に記憶を失っていた。
だれかしら、この方。彼女はその疑問を飲み込んで、余所行きの笑顔を作ったのだ。
クロードにはわかった。わかったから悲しかった。
彼にはほかのこともわかってしまったのだ。
オードリーの心は自分にはない。
記憶を失った彼女は別の男を愛している。かつてクロードを見つめた灰色の瞳は『ライアン』を映すためにあるのだ。
公爵邸を訪ねたクロードは思った。
記憶を失った、もしくはそういうことにしているオードリーにとって自分は初めて会う人間だ。元婚約者だとかバルビエ王国の王太子だとか名乗るのはやめておこう、と。
人間関係の記憶は無くなっていても礼儀作法や世界の仕組みについてはわかっていると聞く。彼女の兄マクスウェルの友人だとでも言うのがいいかもしれない。
(マクスウェルに同行してもらえば良かったな)
しかし今日のクロードは、無理に時間を作って押しかけてきた。
急なことだったので先触れも出していない。
父である公爵の補佐として多忙なマクスウェルを捕まえるのは無理だった。彼は今、新種の花の海外輸出の件で大忙しだ。
王都の公爵邸の使用人達とは顔見知りだ。
扉を開けた執事は軽く眉を動かしただけで、恭しくクロードを招き入れた。
執事がメイドにオードリーへの報告を命じるよりも早く、二階から足音が響いてくる。吹き抜けの階段の踊り場に彼女が現れた。
(……そうだ)
考えてみれば、いつもそうだった。
クロードが公爵邸を訪れたときは常に玄関でオードリーが迎えてくれていた。
先触れがないときもだ。おそらく二階にある自室の窓から前庭を見つめて、クロードの訪問を確認していたのだろう。
(魔術学園を卒業した淑女のくせに行儀が悪いぞ。そんなに喜ばれたら、記憶喪失だという嘘に付き合えなくなる)
クロードは笑みを噛み殺した。
いや、噛み殺そうとしたがどうしても漏れてしまう。
温和で地味なのは外見だけだ。オードリーの心には熱い炎が燃え盛っている。酩酊による一時的な熱ではない。彼女の炎はいつもクロードを温めてくれていた。
「ライアン様!」
「……え?」
満面の笑みを浮かべたオードリーは、クロードの知らない男の名前を叫んだ。
聞いたこともない──いや、クロードは思い出した。
魔術学園の卒業パーティで自分の代わりにオードリーをエスコートしてきた男の名前ではないだろうか。確か彼女の兄マクスウェルの友人だ。
(ほかでも聞いた覚えがあるな。どこでだったか……)
クロードの記憶が蘇る。
同一人物かどうかはわからないが、『ライアン』は品種改良で新種の花『オードリー』を作り出した男だ。
元はどこかの貴族の家で庭師をしていたのだが、王宮が市場に提供した花の種の改良中に植物の成長を促進する魔術を発見して爵位を授けられている。本人は以前と同じ貴族の領地で暮らしたがっているけれど、今は王都に招聘されて王宮の庭師や魔術師に促進魔術と品種改良の技術を供与しているという。
内包したすべての色を煌めかせていたオードリーの灰色の瞳が、クロードが『ライアン』でないことに気づいて光を失う。
付き合いの長いクロードは、無礼を謝罪したオードリーが見事なカーテシーを見せて訪問を歓迎する直前一瞬浮かべた表情に気づいていた。
ポエナに執着してオードリーを粗末に扱ったクロードへの怒りではない。魔術学園の卒業パーティで婚約破棄されたことへの悲しみでもない。
オードリーは本当に記憶を失っていた。
だれかしら、この方。彼女はその疑問を飲み込んで、余所行きの笑顔を作ったのだ。
クロードにはわかった。わかったから悲しかった。
彼にはほかのこともわかってしまったのだ。
オードリーの心は自分にはない。
記憶を失った彼女は別の男を愛している。かつてクロードを見つめた灰色の瞳は『ライアン』を映すためにあるのだ。
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