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第二話 国王
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王妃グリーディが病に倒れた。
高熱で意識が朦朧としている彼女は、うわ言を呟きながら寝台で横になっている。
グリーディの夫にして王太子ジェーコブの父である国王は、妻を案じていた。
国王はグリーディを愛している。
長年の婚約者だった侯爵令嬢アリスを捨ててまで、男爵家の養女だったグリーディを選んだのである。
王妃の実家の後ろ盾のない王家の財政は苦しく、ジェーコブが十二歳のときにアリスの姪に当たる侯爵令嬢エミリーとの婚約を結んで、やっと安定した。グリーディが病に倒れたのは、侯爵令嬢に婚約を解消された息子の未来を案じたからだろうか。
(……いや、違うな。グリーディが倒れたのは、侯爵が令嬢との婚約解消を申し出る数日前だ)
その日にあったことを思い返していて、国王は眉間に皺を寄せた。
不吉の前兆と言われてもおかしくないことがあったのだ。
結婚前、まだアリスと婚約していたころ、グリーディと出会ったばかりのときに贈られたお守りを失ってしまったのである。
それは布で出来た腕輪だった。
いつもつけていたのがふとした弾みで手を外れて、国王執務室の暖炉まで転がって行ってしまったのだ。肌寒い日だったので暖炉には火が入っていた。
燃える腕輪からは、人間の髪が燃えるときのような匂いがした。ずっと身に着けていたから、汗が染みついてそんな匂いがしたのだろうと、国王は考えている。
(この王国を守護する女神が気をつけろと伝えてくれたのだろうか。しかし、どうすれば良かったのか……)
などと考えながら、国王は大神官の言葉を待った。
彼は幼いころからの学友であった。
けれど国王が侯爵令嬢との婚約を破棄したことを非難して、側近候補だったのを拒否し、俗世まで捨てて神職に就いたのである。この王国の神殿は聖職者の婚姻を禁じていないが、元公爵令息だった彼は今も独身だ。
大神官は禁忌である呪いの研究をしていた。
かけるためではない、解呪するためだ。
何百年も前に禁忌となった呪いは、かけるための正しい情報が封じられたことで解呪や対処の方法までも失われてしまった。近年発生したいくつかの不可解な事件の原因は呪いだったと噂されている。
王妃グリーディは、医師に見せても薬師に相談しても回復しなかった。
本人に薬草の知識があり、軽い病なら自分で治療していたこともあって、体質や耐性も他人にはわからない。
万策尽き果てた国王は絶縁状態だった大神官に救いを求めた。大神官がいなくなった後、相談役をしてくれている伯爵には反対されたが、国王は一縷の望みにも縋らずにはいられなかったのだ。
「陛下のお考えの通り、王妃様を苦しめているのは呪いです」
寝台に横たわる王妃から離れ、黄金の髪に青い瞳の大神官が口を開く。
王家から分かれた公爵家の血を引く彼は、国王とよく似ていた。
大神官は研究によって呪いを感知出来るようになっている。完全な対処法は見つかっていないものの、彼の信仰心に女神が答えてくれて、いくつかの呪いを解呪した実績もある。
「おお、やはりそうか! ではどうしたら良い? どうすれば解呪出来る?」
「解呪は出来ません」
「今はまだ無理だと申すか。だが王国一丸となって呪いについて書かれた古書を集めたらどうだ? どこだかの隠れ里にいるという魔女を探しても良い。いや、そもそも呪いをかけたのは魔女なのではないか? 術者を殺せば呪いは解けるのだろう?」
不安に押されて早口になった国王に、大神官は首を横に振る。
「どんなに調べても、魔女を見つけても、魔女を殺しても、王妃様は呪いから解放されません。なぜならば、王妃様を苦しめているのは、呪いは呪いでも呪い返しだからです」
「は?」
「王妃様を苦しめているのは、王妃様ご自身がだれかに放った呪いが返って来たものなのです」
「王妃が、だれを……アリス、なのか?」
かつての婚約者の名前を口にした国王を、青い瞳が冷たく射る。
「アリス嬢はお亡くなりになりました。呪いだったのかどうかは今となっては確認出来ません。呪いだったとしても成就したからお亡くなりになったのです。終わった呪いが返ってくるはずがありません。それに……」
「それに?」
「殺害のための呪いなら、返って来た時点で王妃様は即死なさっているはずです。術者が生み出した呪いなのですから、術者と一番相性が良い。返った呪いは術者の悪意や害意を吸収して、相性が悪く常に抵抗して来る対象者の中に潜んでいたときよりも強大になるのです」
「殺害のための呪いでないのなら、なんの呪いでこんな状態になっているというのだ」
国王の声は震えていた。嫌な予感を感じているからだ。
「恋の呪いでしょう。王妃様は高熱を発し、意識が朦朧として、心臓の動悸が乱れていらっしゃいます。……熱を帯び、理性を失い、心騒ぐ……それが恋というものではありませんか?」
「ああ、知っている……」
この王国の貴族子女と裕福な平民の通う学園に入学して、当時王太子だった国王と男爵家の養女だったグリーディは出会った。
ひと目惚れだった、と国王は認識している。
彼女をひと目見た瞬間に、体が熱を帯びて理性が消え去り心がざわめいた。
(いや、それでも最初はアリスを大切にしようと思っていた。グリーディを迎えるにしても立場は愛妾で、正妃となるアリスを尊重しようと……わしはいつから、だれよりもなによりもグリーディを優先するようになったのだ?)
両親である先代国王夫婦の反対も耳に入らなかった。
ジェーコブが生まれてしばらくして両親が亡くなったときは、孫の顔を見せられて良かったと少し思っただけで、口うるさい人間がいなくなったことを喜ぶ気持ちのほうが強かった。
そして国王は即位した。グリーディを王妃として。
大神官が呪いを語る。
「呪いには媒体が必要です。術者が思って儀式をするだけで発動するのなら、だれもが呪いの犠牲になっています。対象者の身近なものに呪いを含ませるのです。媒体の核には術者の髪や爪、血などが使われているという説があります」
「身近なもの……装飾品、などか?」
「ええ、そうです。禁忌とされてしまいましたが、本当は呪いには良い面もあるのです。家族を案じて渡すお守りには相手の安全を願う呪いが込められています。ただ、まあ、良いものの場合は呪いではなく加護や守護と呼んだほうが相応しいかもしれませんね」
国王は布の腕輪を思い出す。
王妃グリーディからお守りだと言って贈られた手作りの腕輪。
暖炉で腕輪が燃えたとき、人間の髪が燃えるときのような匂いがした。
高熱で意識が朦朧としている彼女は、うわ言を呟きながら寝台で横になっている。
グリーディの夫にして王太子ジェーコブの父である国王は、妻を案じていた。
国王はグリーディを愛している。
長年の婚約者だった侯爵令嬢アリスを捨ててまで、男爵家の養女だったグリーディを選んだのである。
王妃の実家の後ろ盾のない王家の財政は苦しく、ジェーコブが十二歳のときにアリスの姪に当たる侯爵令嬢エミリーとの婚約を結んで、やっと安定した。グリーディが病に倒れたのは、侯爵令嬢に婚約を解消された息子の未来を案じたからだろうか。
(……いや、違うな。グリーディが倒れたのは、侯爵が令嬢との婚約解消を申し出る数日前だ)
その日にあったことを思い返していて、国王は眉間に皺を寄せた。
不吉の前兆と言われてもおかしくないことがあったのだ。
結婚前、まだアリスと婚約していたころ、グリーディと出会ったばかりのときに贈られたお守りを失ってしまったのである。
それは布で出来た腕輪だった。
いつもつけていたのがふとした弾みで手を外れて、国王執務室の暖炉まで転がって行ってしまったのだ。肌寒い日だったので暖炉には火が入っていた。
燃える腕輪からは、人間の髪が燃えるときのような匂いがした。ずっと身に着けていたから、汗が染みついてそんな匂いがしたのだろうと、国王は考えている。
(この王国を守護する女神が気をつけろと伝えてくれたのだろうか。しかし、どうすれば良かったのか……)
などと考えながら、国王は大神官の言葉を待った。
彼は幼いころからの学友であった。
けれど国王が侯爵令嬢との婚約を破棄したことを非難して、側近候補だったのを拒否し、俗世まで捨てて神職に就いたのである。この王国の神殿は聖職者の婚姻を禁じていないが、元公爵令息だった彼は今も独身だ。
大神官は禁忌である呪いの研究をしていた。
かけるためではない、解呪するためだ。
何百年も前に禁忌となった呪いは、かけるための正しい情報が封じられたことで解呪や対処の方法までも失われてしまった。近年発生したいくつかの不可解な事件の原因は呪いだったと噂されている。
王妃グリーディは、医師に見せても薬師に相談しても回復しなかった。
本人に薬草の知識があり、軽い病なら自分で治療していたこともあって、体質や耐性も他人にはわからない。
万策尽き果てた国王は絶縁状態だった大神官に救いを求めた。大神官がいなくなった後、相談役をしてくれている伯爵には反対されたが、国王は一縷の望みにも縋らずにはいられなかったのだ。
「陛下のお考えの通り、王妃様を苦しめているのは呪いです」
寝台に横たわる王妃から離れ、黄金の髪に青い瞳の大神官が口を開く。
王家から分かれた公爵家の血を引く彼は、国王とよく似ていた。
大神官は研究によって呪いを感知出来るようになっている。完全な対処法は見つかっていないものの、彼の信仰心に女神が答えてくれて、いくつかの呪いを解呪した実績もある。
「おお、やはりそうか! ではどうしたら良い? どうすれば解呪出来る?」
「解呪は出来ません」
「今はまだ無理だと申すか。だが王国一丸となって呪いについて書かれた古書を集めたらどうだ? どこだかの隠れ里にいるという魔女を探しても良い。いや、そもそも呪いをかけたのは魔女なのではないか? 術者を殺せば呪いは解けるのだろう?」
不安に押されて早口になった国王に、大神官は首を横に振る。
「どんなに調べても、魔女を見つけても、魔女を殺しても、王妃様は呪いから解放されません。なぜならば、王妃様を苦しめているのは、呪いは呪いでも呪い返しだからです」
「は?」
「王妃様を苦しめているのは、王妃様ご自身がだれかに放った呪いが返って来たものなのです」
「王妃が、だれを……アリス、なのか?」
かつての婚約者の名前を口にした国王を、青い瞳が冷たく射る。
「アリス嬢はお亡くなりになりました。呪いだったのかどうかは今となっては確認出来ません。呪いだったとしても成就したからお亡くなりになったのです。終わった呪いが返ってくるはずがありません。それに……」
「それに?」
「殺害のための呪いなら、返って来た時点で王妃様は即死なさっているはずです。術者が生み出した呪いなのですから、術者と一番相性が良い。返った呪いは術者の悪意や害意を吸収して、相性が悪く常に抵抗して来る対象者の中に潜んでいたときよりも強大になるのです」
「殺害のための呪いでないのなら、なんの呪いでこんな状態になっているというのだ」
国王の声は震えていた。嫌な予感を感じているからだ。
「恋の呪いでしょう。王妃様は高熱を発し、意識が朦朧として、心臓の動悸が乱れていらっしゃいます。……熱を帯び、理性を失い、心騒ぐ……それが恋というものではありませんか?」
「ああ、知っている……」
この王国の貴族子女と裕福な平民の通う学園に入学して、当時王太子だった国王と男爵家の養女だったグリーディは出会った。
ひと目惚れだった、と国王は認識している。
彼女をひと目見た瞬間に、体が熱を帯びて理性が消え去り心がざわめいた。
(いや、それでも最初はアリスを大切にしようと思っていた。グリーディを迎えるにしても立場は愛妾で、正妃となるアリスを尊重しようと……わしはいつから、だれよりもなによりもグリーディを優先するようになったのだ?)
両親である先代国王夫婦の反対も耳に入らなかった。
ジェーコブが生まれてしばらくして両親が亡くなったときは、孫の顔を見せられて良かったと少し思っただけで、口うるさい人間がいなくなったことを喜ぶ気持ちのほうが強かった。
そして国王は即位した。グリーディを王妃として。
大神官が呪いを語る。
「呪いには媒体が必要です。術者が思って儀式をするだけで発動するのなら、だれもが呪いの犠牲になっています。対象者の身近なものに呪いを含ませるのです。媒体の核には術者の髪や爪、血などが使われているという説があります」
「身近なもの……装飾品、などか?」
「ええ、そうです。禁忌とされてしまいましたが、本当は呪いには良い面もあるのです。家族を案じて渡すお守りには相手の安全を願う呪いが込められています。ただ、まあ、良いものの場合は呪いではなく加護や守護と呼んだほうが相応しいかもしれませんね」
国王は布の腕輪を思い出す。
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