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第四話 王太子
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「エミリー!」
学園の中庭で呼びかけると、侯爵令嬢は怪訝そうな顔で振り向いた。
ジェーコブは戸惑いを覚えた。
十二歳で婚約してからの六年間で、彼女に呼びかけたのはこれが初めてに近いことに気づいたからだ。ふたりは婚約者だったのに。
「なんのご用でございましょうか、王太子殿下」
これまでとはまるで違う冷たい声で問われて、ジェーコブはカッとなって相手を睨みつけた。
「伯爵令嬢が寝込んだのは知っているか?」
「はい、父である侯爵に聞いております。王妃殿下と同じ病のようだというお話ですね」
「そうだ」
ジェーコブは優雅な挨拶の姿勢を取ったエミリーを見つめる。
白銀の髪に紫色の瞳、美しい元婚約者は以前とはなにかが変わっている。
紫色の瞳に映る自分の姿をどんなに睨んでも、ジェーコブには違いがわからない。なんだかそれが酷く悔しくて、自分が混乱していくのがわかる。
「私との結婚は許してくださらなかったが、母上は君よりも伯爵令嬢を可愛がっていた。それを妬んで、君が母上と伯爵令嬢に呪いをかけたのではないか?」
細く形の良い眉の間に一瞬だけ皺を寄せ、エミリーは柔らかな笑みを漏らす。
「私と殿下の婚約はもう解消されていますのに?」
そのとき、ジェーコブは気づいた。
耳飾りがない。
エミリーに婚約の打診を拒否された後、母王妃と一緒に作って贈った緑色の石の耳飾りがないのだ。婚約を受け入れてからのエミリーは、いつもあの耳飾りをつけていた。心臓の動悸が一気に激しさを増す。
「……私が贈った耳飾りはどうした?」
エミリーは溜息をついた。
不敬な態度を取られて、ジェーコブの背筋を冷たいものが走った。
これまではそうではなかった、エミリーは婚約者のジェーコブを愛していた。王太子を映す侯爵令嬢の瞳は愛で輝いていた。なのに、今は違う。
「婚約解消の話し合いのとき、壊れたことをお伝えしました。ならば捨てておけと、殿下ご自身がおっしゃったのを覚えていらっしゃらないのですか?」
「……」
あのときは、とジェーコブは思い起こす。
あのときは伯爵令嬢が元気だった。
数日前から寝込んでいる母王妃のことは心配だったものの、エミリーとの婚約が解消されれば最愛の伯爵令嬢と結ばれることが出来るかもしれないという期待に包まれていて、耳飾りのことなどどうでも良かった。
「お話がそれだけでしたら、午後の授業がありますので私は退散させていただきます。禁忌の呪いをかけただなどと……そんな恐ろしいことをおっしゃって侯爵家に冤罪をおかけになるのなら、私にも考えがございますのでご覚悟くださいませ」
去っていくエミリーの言葉にはひとかけらの情もなく、冷たい。
けれどその声音よりもジェーコブの心を抉ったのは、エミリーの手首を飾る腕輪の存在に気づいたことだ。
侯爵令嬢の髪と同じ白銀の輪に透き通った青い宝石が飾られた腕輪だ。
(最初に婚約を断られたとき、エミリーはあの腕輪をつけていた。耳飾りを持って行った誕生日のときもだ。でも婚約を受け入れてくれたときは外していて、だから私は……)
エミリーに選ばれたような気がして嬉しかったのだと、遠い昔の記憶が蘇る。
だが、婚約者だったはずの侯爵令嬢との思い出はほかにない。
婚約者にしただけで満足して、ジェーコブは幼馴染で最愛の伯爵令嬢とばかり過ごしていたからだ。当然の苦言を呈した婚約者を怒鳴りつけたことならある。
(……そう、そうだ。私の最愛は伯爵令嬢だ。私にも父上にも侍女や侍従達にもうつらなかった病がなぜ彼女にだけうつったのかはわからないが、愛する彼女を見舞いに行かなければ……)
ジェーコブは学園の教員に許可を取り、早退して王都の伯爵邸へ向かった。
胸の奥には白銀の髪と紫色の瞳が焼き付いて離れない。
伯爵令嬢と会えばいつものように落ち着いた気持ちになれるはずだと、ジェーコブは考えたのだ。
学園の中庭で呼びかけると、侯爵令嬢は怪訝そうな顔で振り向いた。
ジェーコブは戸惑いを覚えた。
十二歳で婚約してからの六年間で、彼女に呼びかけたのはこれが初めてに近いことに気づいたからだ。ふたりは婚約者だったのに。
「なんのご用でございましょうか、王太子殿下」
これまでとはまるで違う冷たい声で問われて、ジェーコブはカッとなって相手を睨みつけた。
「伯爵令嬢が寝込んだのは知っているか?」
「はい、父である侯爵に聞いております。王妃殿下と同じ病のようだというお話ですね」
「そうだ」
ジェーコブは優雅な挨拶の姿勢を取ったエミリーを見つめる。
白銀の髪に紫色の瞳、美しい元婚約者は以前とはなにかが変わっている。
紫色の瞳に映る自分の姿をどんなに睨んでも、ジェーコブには違いがわからない。なんだかそれが酷く悔しくて、自分が混乱していくのがわかる。
「私との結婚は許してくださらなかったが、母上は君よりも伯爵令嬢を可愛がっていた。それを妬んで、君が母上と伯爵令嬢に呪いをかけたのではないか?」
細く形の良い眉の間に一瞬だけ皺を寄せ、エミリーは柔らかな笑みを漏らす。
「私と殿下の婚約はもう解消されていますのに?」
そのとき、ジェーコブは気づいた。
耳飾りがない。
エミリーに婚約の打診を拒否された後、母王妃と一緒に作って贈った緑色の石の耳飾りがないのだ。婚約を受け入れてからのエミリーは、いつもあの耳飾りをつけていた。心臓の動悸が一気に激しさを増す。
「……私が贈った耳飾りはどうした?」
エミリーは溜息をついた。
不敬な態度を取られて、ジェーコブの背筋を冷たいものが走った。
これまではそうではなかった、エミリーは婚約者のジェーコブを愛していた。王太子を映す侯爵令嬢の瞳は愛で輝いていた。なのに、今は違う。
「婚約解消の話し合いのとき、壊れたことをお伝えしました。ならば捨てておけと、殿下ご自身がおっしゃったのを覚えていらっしゃらないのですか?」
「……」
あのときは、とジェーコブは思い起こす。
あのときは伯爵令嬢が元気だった。
数日前から寝込んでいる母王妃のことは心配だったものの、エミリーとの婚約が解消されれば最愛の伯爵令嬢と結ばれることが出来るかもしれないという期待に包まれていて、耳飾りのことなどどうでも良かった。
「お話がそれだけでしたら、午後の授業がありますので私は退散させていただきます。禁忌の呪いをかけただなどと……そんな恐ろしいことをおっしゃって侯爵家に冤罪をおかけになるのなら、私にも考えがございますのでご覚悟くださいませ」
去っていくエミリーの言葉にはひとかけらの情もなく、冷たい。
けれどその声音よりもジェーコブの心を抉ったのは、エミリーの手首を飾る腕輪の存在に気づいたことだ。
侯爵令嬢の髪と同じ白銀の輪に透き通った青い宝石が飾られた腕輪だ。
(最初に婚約を断られたとき、エミリーはあの腕輪をつけていた。耳飾りを持って行った誕生日のときもだ。でも婚約を受け入れてくれたときは外していて、だから私は……)
エミリーに選ばれたような気がして嬉しかったのだと、遠い昔の記憶が蘇る。
だが、婚約者だったはずの侯爵令嬢との思い出はほかにない。
婚約者にしただけで満足して、ジェーコブは幼馴染で最愛の伯爵令嬢とばかり過ごしていたからだ。当然の苦言を呈した婚約者を怒鳴りつけたことならある。
(……そう、そうだ。私の最愛は伯爵令嬢だ。私にも父上にも侍女や侍従達にもうつらなかった病がなぜ彼女にだけうつったのかはわからないが、愛する彼女を見舞いに行かなければ……)
ジェーコブは学園の教員に許可を取り、早退して王都の伯爵邸へ向かった。
胸の奥には白銀の髪と紫色の瞳が焼き付いて離れない。
伯爵令嬢と会えばいつものように落ち着いた気持ちになれるはずだと、ジェーコブは考えたのだ。
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