君を乞う。

豆狸

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後編 ミケーレが間違ったこと

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「……書類を渡してくれ、テレーザ。婚約解消の書類に署名をする」
「ありがとうございます!」

 ミケーレは、こんなに嬉しそうなテレーザの声を聞くのは初めてだった。
 婚約して親しくなって感情を見せてもらう前に、ミケーレは婚約解消されたスフォルトゥーナに寄り添うようになったのだ。
 スフォルトゥーナは美しかった。メイドでありながら侯爵に見初められた母親もきっと美しかったのだろう。

 だけど、とミケーレは思う。
 スフォルトゥーナがテレーザのように真っ直ぐミケーレを見つめてくることはなかった。
 思えば彼女はいつも、だれかを探していた。一緒に夜会やお茶会へ行っても、しばらくすると姿を消して、同行していた彼女の侍女が体調を崩して休んでいると伝えに来るのだ。そして、帰る時間までスフォルトゥーナは戻ってこない。

(きっとトルッファトーレ男爵令息との密会に利用されていただけだったんだな、僕は)

 署名を終えた書類を渡すと、テレーザはとても穏やかな表情になった。
 その表情も初めて見る。
 初対面のときのテレーザは緊張していたし、以降の彼女の姿は意識的に視界に入れないようにしていた。スフォルトゥーナとのことでテレーザが怒るのは当然だということくらいは、ミケーレも理解していたからだ。

 互いに別れを告げた後でテレーザは見張りの衛兵に、捜査の参考にして欲しいと言って調査書を渡していた。
 モンティ侯爵もスフォルトゥーナの仇を討つためなら、過去の醜聞が暴かれても許してくれるに違いないから、と。
 そういえば、とミケーレは思う。我ながら随分素直に調査書の内容を受け入れたものだ。スフォルトゥーナを貶めるためのニセモノだと喚いていてもおかしくなかったのに。

(テレーザの瞳に嫉妬はなかった。僕に対する哀れみしかなかった。だから僕はあの調査書が真実だと感じたんだ)

「テレーザ!」
「……はい?」
「ひとつだけ教えてくれ。僕は……なにを間違ったんだと思う? どうしていれば良かったと思うかい?」
「そうですね……」

 最後に呼びかけたミケーレの問いに、テレーザは苦笑を浮かべて答えてくれた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 その日のうちには釈放されなかったものの、数日後にミケーレは巻き込まれただけだと証明されて牢から出された。
 テレーザの調査書がどこまで役に立ったかはわからない。
 それでも衛兵隊が自分の証言をもとに捜査をしてくれたのは、あの調査書があったからだとミケーレは思っている。

 しばらくしてから、牢屋で数日過ごしていた間に親しくなった衛兵が教えてくれた。親しくなったからというより、仕方なかったとはいえ凶悪犯用の牢に貴族令息であるミケーレを入れたことへの詫びだったのかもしれない。

 ──トルッファトーレ男爵令息はスフォルトゥーナを殺すつもりではなかった。
 彼らはミケーレが夜会やお茶会の前にスフォルトゥーナに贈った装身具を売って、遊ぶ金に換えていたのだ。
 男爵令息が学園の教師として稼いでいた金の代わりである。本人と妻子の生活費は男爵家が出していた。

 ミケーレはもうすぐ学園を卒業する。
 彼らは学園を卒業して婚約者テレーザと結婚した後のミケーレを縛り付けるために、スフォルトゥーナの体というご褒美を与えようとしていただけだったのだ。
 なおスフォルトゥーナが媚薬を飲んでいたのは、愛するトルッファトーレ男爵令息以外には抱かれたくないので媚薬を飲んで意識不明になっておきたいと望んだかららしい。

(どこまでも莫迦にした話だ。だが……)

 あのときスフォルトゥーナが亡くならず、ミケーレの子ども、もしくはミケーレの子どもと偽った男爵令息の子どもを産んでいたら、自分はテレーザの子どもよりもそちらのほうを大事にしていたに違いない。
 牢でテレーザに言われた通りに。
 ミケーレはそんな愚かな男なのだ。

 トルッファトーレ男爵令息は違法薬物媚薬の密輸入にまでは関わっていなかったけれど、購入したときに密売人と縁が出来ていた。
 その線から密売人が捕縛されて、男爵令息は捜査協力の見返りに罪が軽減された。
 少なくとも死罪にはならない。スフォルトゥーナは事故死なのだ。

 モンティ侯爵は怒り狂っているものの、学園を卒業した後は正妻の産んだ跡取り息子が当主になると決まっている。
 彼の権限は日に日に落ちているのだと聞いていた。
 次期当主は異母姉の死は父親が甘やかし過ぎたせいだと考えていて、男爵令息を絶縁して彼の子どもが跡を継ぐのなら、トルッファトーレ男爵家を潰す気はないと公言しているようだ。

 テレーザとは、あれから会っていない。
 彼女は学園の卒業を待たずに異国へと留学していった。ミケーレがスフォルトゥーナと一緒に夜会やお茶会へ行っていたことで、学園でも社交界でも肩身の狭い思いをしていたのだ。
 父親のフォンターナ子爵に、テレーザはこの王国に良い思い出がありませんから、とまで言われてしまった。

(……テレーザ……)

 ミケーレは彼女を乞う。もう一度会いたいとこいねがう。
 その真っ直ぐな瞳に自分を映して欲しいと願う。
 時間が戻ってやり直せたら、と思う。

 思うと、自分の間違いについて聞いたときのテレーザの苦笑と答えが蘇ってくる。

『すべてが間違ってらしたと言いたいところですが、とりあえず、怪しげな薬を飲んで意識不明になった方がいたら、まずは医師を呼んであげてください』

 あのとき、監視の衛兵が吹き出す声を聞きながらミケーレは、確かにそうだ、と遅まきながら気づいたのだった。
 性行為をしたからといって、媚薬の効果が消えるわけではないのだから──
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