恋なんてするわけがないっ!!

シルド

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女帝の過去

年齢と思い込み

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「おはようございます」

特定の誰に、というのはなくオフィスにいる人たちに挨拶をする。

多くの人は忙しくてもこちらの顔を見て挨拶を返してくれる。

「紀田は今日も凛としてるねー」

ポンと後ろから肩に手を置き、そう声を掛けるのは櫻井さんだ。

「ありがとう、ございます……?」

なんと返していいのか分からず、疑問符を付けてお礼を言えば、褒めているんだよ、と頭を撫でられる。

やっぱりこの人は「お父さん」だ。
面倒見が良いというか包容力がある。

「櫻井さん。私、席に戻りますので。」

私の頭を撫でている手をそっと掴んではずす。

櫻井さんは適当な返事をすると、他の人と話し始めた。

自分の席にバッグを置いて、前のデスクを見て藤沢がいることを確認した。

「藤沢、ありがとう。昨日おにぎりとお茶をくれたでしょう?」

目の前で難しい顔をして携帯に文字を打ち込んでいた藤沢は、そのままの顔でこちらに目線をやった。

「俺じゃない。」

それだけ言うとまた目線を携帯に戻す。

藤沢かと思った、たまにああいう事があってそんな時は必ず藤沢だったから。

それじゃあ誰が置いてくれたのだろうか……

そう思いながら携帯を睨んでいる藤沢をしばらく見つめていると、心の問いかけに返事が返ってきた。

「櫻井さん」

唐突な人名に一瞬で理解できずに、うん?と何とも間抜けな声が出た。

「櫻井さんが買ってきて置いてくれたらしいな。」

その後は待っても言葉が出てこなかったから、自分の席に戻った。

そうか、櫻井さんか。
確かに面倒見の良い櫻井さんなら頷ける。

あとで時間が空いてそうだったら、お礼を言おう。

櫻井さんは先程の人とまだ話している。幹部が変わったばかりでやる事が多いのだ。

櫻井さんだけでなく私も忙しいのは同じだ。私はデスクに積み重ねられた書類を上から片付けていった。


定時のチャイムがなってから2時間がたった。

やっと終わった仕事の再確認をして、周りを見渡すと残っている人も多くて、皆少し疲れの色が見えている。

無駄なお世話かもしれないが、何もしないでいるのも心残りになりそうなので、給湯室でお茶を入れ始めた。

甘いお菓子を添えてお茶を渡すと、皆お礼を言ってくれる。

「お疲れ様です、どうぞ」

デスクの端にお茶を置くと、あれ、という声が聞こえた。

今置いたばかりのお茶を見て、首を傾げる男性社員。

「どうかしましたか?」

そう声をかけると、もう一度首を傾げて疑問を口にした。

「さっき加藤さんにはコーヒー渡してなかった?俺のは……これ、ハーブティー?」

お茶の香りを嗅いで不思議そうな顔をする。

その通りだ、今置いたのはハーブティーだ。
私が疲れたときによく飲むもので、思い込みか知らないが、よく効く気がする。

「はい、加藤さんにはコーヒーを、今佐々木さんにはハーブティーをお持ちしました。加藤さんはコーヒーしか飲まないと公言していますし。佐々木さんはそういうのがないので、胃にも優しいものをと。」

話を聞きながら、ハーブティーを何口か飲むと佐々木さんは頷いた。

「ハーブティーって飲んだことなかったけど、結構美味しいね。爽やかで気持ちがリフレッシュされた気がするよ。………もしかして全員出してるもの違うの?」

「全員っていうわけではありませんよ、コーヒーの人は5人いますし、緑茶の人も何人かいますよ。」

大変じゃない?と問われたが、個包装なので同じものでも違うものでも、大した差ではない。

コーヒーメーカーは今壊れていて、来週にならないと新しいのが来ない。

たったの数日のことだ。まあ、それでも面倒を嫌ってかいつも通りにコーヒーを飲まない人は少なくないのだけど。

ありがとう、ともう一度佐々木さんに言われたあと、私は櫻井さんを探し始めた。


「櫻井さん」

櫻井さんは思わぬところで見つかった。

「煙草、吸うんですね。」

会社の一番上の階の喫煙ルーム。
最上階は社長室と会議室があるのだが、ここの会議室は特別なお客様が来たときに一部の人が使うくらいで、その上一番奥にある喫煙ルームにわざわざ行く人はあまりいない。

櫻井さんはまだ長い煙草を灰皿でもみ消して捨てた。

私に喫煙ルームを出るように促して、櫻井さんも後から出てきた。

「身体に毒だから入らないほうがいい。それで、どうした?何か用があるんだよな?」

自分がその毒を吸っているのはどうなんですか、と思ったが何となく聞かないで本題に入ることにした。

「おにぎりとお茶、ありがとうございました。櫻井さんが置いてくれたそうですね。」

軽くお辞儀をすると、頭上でクスッと聞こえた。

「うん、そうだね。確かに俺が置いたよ。」

言ったあともまだクスクスと笑っている。何が面白いのか長い間笑い続ける櫻井さんに、流石に奇妙に思って理由を聞く。

「何がそんなにおかしいんでしょうか。」

櫻井さんはまだ笑いながら答えてくれた。

櫻井さんは藤沢に頼まれて、それらを買ってきて置いたという。お昼にシフォンケーキを盗み食ったあと、出張先に呼ばれてまた戻らないといけなくなったそうだ。それで私が残るだろうと思って櫻井さんに頼んだのだと。

「気味が悪いくらいに紀田のことわかってるんだな、藤沢は。未来予知でもしてんのかね。」

本当に不思議なくらい、私のすることを理解してる。いつもそうだ。

それに、嫌じゃない。
藤沢は絶妙なタイミングでアクションを起こすから。

櫻井さんにお礼を言って会社を出た。

そろそろ梅雨も明けるだろうな、と夜空を見上げて思った。

そろそろ7月だ、梅雨が明けると途端に暑さが襲ってくる。夏はせっかちなのではなかろうか……毎年この時期になると考えることを、今年もまた考えている。

なんかどうでもいいこと考えてるなぁ。考えるって結局何だろう……

少しばかり哲学めいた思考を凝らしていると、いつの間にか家についていた。

すっかり面倒臭くなった思考を断ち切ることも出来ずにお風呂に入り、ソファに横になった。

ご飯も食べずにソファで一晩を明かしてしまったことに気付いたのは、翌朝のことだった。



梅雨が明けて、7月末に差し掛かったある日。

私は衝撃を受けた。

「え、小雪ちゃんって年上だったの……?てっきりもっと若いかと……」

失礼だとは思うが、小雪ちゃんをまじまじと見てしまう。

「えへへー、残念ながらほんとに年上ですよー、これでも32歳ですもん。」

32歳……!?

確かめるように小雪ちゃんの顔色を伺うが、にっこり笑って頷かれてしまう。

どうみても32歳には見えない。肌も表情も若々しい、というよりもはや幼い。

あぁ……それに言葉遣いとか行動が若いのか。

「敬語とか、今更やめてね!紅ちゃん。」

ふと思い浮かびかけたことにすかさず釘を刺されて、エスパーかと目で訴える。

「仕事中は表情に全くでないのに、それ以外だと紅ちゃん結構わかりやすいよね。使い分けてるのかと思うくらい。」

「仕事は完璧主義かってぐらいにキッチリしてるし、相当気を張ってるんじゃないのかな。人に弱み見せたくない性分の人でしょ、紅ちゃん。」

紅ちゃん、のところをやけに強調してこちらの顔を意地悪そうに伺う瀬野君。

確かにそうだけど。
人に弱み見せたって付け込まれるだけじゃないの。

「その、紅ちゃんっていうのやめない?瀬野君。」

ため息をついてそう言えば意地悪な言葉が返ってくる。

「紅ちゃん、俺、年上。」

またもや名前を強調して言う瀬野君にもうそれに言及するのはやめてデスクの上を片付けてバッグを肩にかける。

「駅前の居酒屋だっけ、この後のは。」

無視かーとこぼしつつも、そうだよと答える瀬野君。

「じゃあ、いこっか。藤沢さーん、櫻井さーん、先に行ってますね!」

まだ少し今日中に仕上げたい仕事が残っているらしい藤沢と櫻井さんは、あとから来るようだ。

新しくなった幹部で親交を深めよう、と櫻井さんが提案した飲み会。

提案した櫻井さん自身があとから来るというのも、櫻井さんらしいような気もしてくる。


「予約していた櫻井です。」

櫻井さんじゃないけどね、と小雪ちゃんと瀬野君は笑っている。

念のため席を予約していたらしい櫻井さんは、準備がいい。

「とりあえずビール3つ、お願いします。」

個室に通されるとすぐに瀬野君はビールを注文し、座布団に腰を下ろした。

その隣に小雪ちゃんが座り、私は奥に詰める形で瀬野君の前に座った。

最初はまだ二人が来ていないのに注文するのは申し訳ないと言ってビールをちびちび飲んでいた二人だが、15分もするとアルコールが回って気分がよくなったのか、メニューを見て結構な量の料理を頼み始めた。

「だからね、大地?あの時はそれじゃ駄目なんだって!ねえ?」

凄まじいペースでお酒を飲んだ小雪ちゃんは既に出来上がっていた。

酔っ払った小雪ちゃんに何やら説教をされている瀬野君は、終始相槌を打って笑っていた。

私が聞いているとあれやそれでほぼ意味の分からない話を小雪ちゃんは繰り出しているのだが、どうやら瀬野君は小雪ちゃんの言わんとしていることを理解して相槌を打っているようだった。

ちょうど二人の頼んだ大量の料理が運ばれてくるのと同時に櫻井さんと藤沢が座敷に入ってきた。

「結構頼んだなー、もう楽しんでる?
……って、橘は見事に出来上がってんなー」

櫻井さんは小雪ちゃんを見て、楽しそうに笑う。

瀬野君は櫻井さんに助けを求めて、困った笑顔を向けた。

「いつもこうなんですよ、こいつ。さすがに疲れますよー、櫻井さん交代してください……」

櫻井さんは全く……と言いつつも小雪ちゃんの隣に座って、話を聞き始めた。

「とりあえずビール……でいいですかね。あ、すみません、ビール3つお願いします。」

料理を運び終わった店員さんに瀬野君がビールを注文する。櫻井さんと藤沢とおそらく瀬野君自身のものだろう。

「そういえば全然飲んでないね。」

瀬野君が私のビールジョッキを見て言う。

私のビールジョッキは運ばれてきた時とほぼ変わらない量だ。

「紀田はビール好まないな。」

藤沢が私のビールジョッキをちらりと流し目で見て言い、私の隣に腰掛けた。

疲れのせいか溜息を一つ吐くとお冷を飲む。

お冷を飲んで喉仏が上下するのを私は無意識に見ていた。

「何、見惚れてんの?」

からかうように鼻で笑って藤沢は言うが、
私はいや、と首を横に一度だけ振った。

「なんか、二人の空気感いいスね。お互い分かり合ってて、しっくりきてるみたいな感じ。」

瀬野君が物珍しそうに、しかし至って真面目にそんなことを言う。

今のどこを見てそう思うのか、私にはさっぱり検討もつかないが、とりあえずありがとうと言っておく。

適当だなぁと瀬野君は笑って、料理をつまむ。

「……あ、さっき思ったんだけど、小雪ちゃんと同期ってことは瀬野君も32歳なの?」

この店に向かう途中で少し疑問に思ったことを聞いてみる。

瀬野君が32歳というのも少々意外だが、小雪ちゃんほどの衝撃ではない。

「まぁ、同期だけど。でも俺34歳。24歳のときにこっちに引き抜かれたような感じ。」

さらっとすごいことを言う瀬野君に、藤沢が顔をあげる。

「取引先との商談で瀬野は必ずと言っていいほどこちらの希望通りの結果出すからな。どこの会社でも重宝するだろうな。」

藤沢に褒められたのが初めてなのか、瀬野君は照れ笑いを浮かべた。

「そうだといいんですけどね。」

遠慮しつつもやはり褒められて嬉しいらしく、照れ隠しかお酒を何度も口に運ぶ。

飲み過ぎないようにな、と小雪ちゃんの話に付き合っていた櫻井さんが声をかけると、大丈夫です、と答えて飲みながら櫻井さんと小雪ちゃんとの3人で話し始めるのだった。

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