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第三章 社交と結婚

第76話 新たな移住者①

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 冬の寒さも和らぎ、街や村を繋ぐ街道の行き来が増え始めた2月。

 開拓が始まって3年目を迎えたアールクヴィスト領の領都ノエイナでは、冬の間は途絶えていた移住希望者が再び続々とやって来るようになった。

 その中でも特に重要な移住者を、ある日ノエインは出迎えていた。

「よく来たね、御用商人のフィリップさん」

「いやあ、そう仰っていただけると自分の出世ぶりを感じますね……これからこの地の経済的な発展のために尽くさせていただきます、アールクヴィスト閣下……いえ、ノエイン様」

 かつてレトヴィクから定期的に訪れてはアールクヴィスト領の領民たちの生活を支え、一方でアールクヴィスト領の近況をケーニッツ子爵へと伝える役割も果たしていた行商人フィリップ。

 彼が「盗賊団の接近をアールクヴィスト領にいち早く知らせる」という命がけの働きを以てノエインに認められ、アールクヴィスト士爵領に店舗を構える最初の商人として移住してきたのだ。

 移住が冬明けまで延びたのは、ノエインがフィリップに与える店舗の建設が待たれていたという事情があった。

「こちらこそ、君がアールクヴィスト領に商人としての人生を賭けてくれた覚悟に応えられるよう領主として励むよ。これで僕たちは栄えるも衰退するも一緒……まさに運命共同体だね」

「ははは……仰る通りですね」

 いたずらっぽく笑うノエインに、フィリップは内心で少し焦りながら返した。

 フィリップがアールクヴィスト領の発展状況をケーニッツ子爵に伝えていたことは、ノエインも気づいていた。しかし、領地の表面的な状況を伝えられる程度なら構わないと許容していた。

 今のノエインの発言は、程度は小さいとはいえ間諜のようなことをしていたフィリップに「これからはアールクヴィスト領の有利になるよう考えて動け」と釘を刺す意味もある。フィリップも当然それに気づいていた。

「そこは共通認識を持ってくれてるみたいでよかったよ。それじゃあ、君の店舗まで行こうか」

 そう言いながらノエインが直々にフィリップを案内し、連れて行ったのは、領都ノエイナで一番大きな通りに面した建物だ。一階は店として、二階は事務所として使える作りになっていて、さらに裏手には広い倉庫もあった。

 それを見たフィリップは目を見開く。

「これほど立派な店舗を……本当に私がいただいていいのですか?」

「もちろんだよ。君は最初にうちの領に移住してきた商人だからね。一番乗りの特権だと思って受け取ってほしい。その代わり、うちの領の発展のために商売に励んでほしいな」

「ノエイン様……必ずやご期待に応えてみせます」

 予想以上に立派な店舗を与えられたことで、フィリップは商人としての計算を超えて、一個人として本心からノエインにそう言った。

 これで彼も、「移住者に予想を上回る高待遇を与えて心をわし掴みにする」というノエインの常套手段にかかったことになる。

「従業員のあてはあるかな?」

「いえ、恥ずかしながら……レトヴィクではしがない行商人でしたので伝手などもほとんどなく」

「そっか。うちの領は農民出身者がほとんどだから読み書き計算のできる人材は少ないけど、自作農の子どもから丁稚は何人か紹介できるよ。その中から将来性のありそうな子に勉強を教えて、弟子にするといい」

「分かりました。人手の配慮までいただいて、何とお礼を申し上げれば……」

「これも領主の器量のうちさ。それにうちの領から新しい商人が育ってくれたら、領主としても嬉しいからね」

 そう言って、ノエインは優しい笑みを浮かべた。

・・・・・

 アールクヴィスト領への移住希望者は一定のペースで訪れており、ノエインはその全員と面会している。

 細かな手続きは領都ノエイナ内の治安維持を手がけているペンスに一任しているが、移住者に「領主様が自ら歓迎の言葉をかけてくれた」「家と農地まで手ずから与えてくれた」と印象づけるためにもわざわざ会って言葉を交わしているのだ。

 移住者はほぼ全てが行き場を失って難民化した農民だが、稀にそうではない人物も訪れる。例えば新しく活躍の場を求める職人など。

 しかし、今日アールクヴィスト領へとやって来た新たな移住希望者は、今までにない事情を抱えていた。

「……なるほど、ミレオン聖教の司祭様のご一行でしたか」

 目の前に座る20代前半ほどの痩せた男を前に、ノエインは言った。

 男の後ろには彼の妻だという女性と、若い修道女が2人並んでいる。

「左様でございます。ロードベルク王国ミレオン聖教伝道会の北西部教区、レトヴィク教会から参りました、ハセルと申します。この度は私のような卑賎な者のためにアールクヴィスト士爵閣下の貴重なお時間を頂戴し、恐悦至極にございます」

「こちらこそ、神にお仕えする方にご来訪いただけたことを嬉しく思います」

 社交界の貴族も顔負けの回りくどい文言で挨拶を述べたハセル司祭に、ノエインはひとまずにこやかに返した。

「司祭様がいらっしゃったということは、教会の設立のため……と考えてよろしいのでしょうか?」

「仰る通りにございます。是非ともアールクヴィスト閣下のご領地にミレオン聖教の教会を置かせていただき、偉大なる神の教えを説き、また『祝福の儀』の実施をはじめとした教会の役目を果たし、神の敬虔なる信徒としての役割を務めさせていただきたく存じます」

 ミレオン聖教はこの大陸で広く信仰されている宗教で、ロードベルク王国でも国教と定められている。

 東のパラス皇国では教会勢力が政治にも深く介入していると聞くが、このロードベルク王国では初代国王からの方針によって宗教が政治から排されている。

 教会は「祝福の儀」を執り行う儀式集団としての一面と、民衆に神の教えを説く道徳教育の担い手としての一面を持つのみだ。

 また、信心深い富裕層からの人道的な支援――つまりは寄付を受けて貧民への施しを行うなど、社会のセーフティネットのような役割も務めている。

「それは……この地を治める領主として、願ってもないことです。歓迎させていただきます」

 アールクヴィスト領に教会を置かれるメリットとデメリットを頭の中で天秤にかけたノエインは、そもそもデメリットなどほとんどないと結論づけ、すぐにハセル司祭の一行を受け入れると決めた。

 アールクヴィスト領の中でも、信心深い領民などは自宅で神への祈りを日々捧げているという。領内に教会が置かれることは、そんな領民たちにとっては喜ばしいことだろう。

 また、子どもが10歳を迎える領民が「祝福の儀」のためにわざわざレトヴィクまで行かなくて済むというメリットもある。

 その他にも、ミレオン聖教伝道会には世俗から少し距離を置いているが故の、独特の技術や知識もある。それが手の届く範囲に来るのも利点だ。

 一方で、彼らを迎える負担は、教会の建設と、領主としての定期的な寄付といった金銭的なものだけ。ノエインは今のところ金に困るどころか資産が余り過ぎているくらいなので、これはデメリットと呼ぶほどのことでもない。

 そして何より、「人間も、獣人も、エルフやドワーフなどの亜人も、全て神の子として平等に愛する」という教義を掲げるミレオン聖教伝道会のことをノエインは嫌いではない。自分が獣人であるマチルダを愛しているからだ。

 その伝道会の力が弱いために、ロードベルク王国では獣人差別や虐待が根強く残っているという悲しい現実もあるのだが。

「よ、よろしいのですか?」

 ノエインの即断での歓迎が意外だったのか、ハセル司祭は驚いたような表情を見せる。

「はい、アールクヴィスト領の社会の安定と成熟のためにも、教会が置かれることは喜ばしく思います。むしろこちらからお願いしたいほどです……意外なのでしょうか?」

「は、はい、その……失礼しました。教会が置かれるとなると寄付などで出費が増えるからと、小規模な領地を持つ貴族の方々からは難色を示されることが多く……」

「なるほど、そういうことでしたか。幸い私には皆様を受け入れさせていただく十分な余裕がありますので、喜んでお迎えしたい。私も神の子の一人でありますので、ささやかではありますがご助力させていただきます」

「アールクヴィスト閣下のお言葉、誠にありがたく存じます。それでは閣下のご厚意を受け取らせていただき、この地にて神の教えを説き、神より祝福されし者を見出す儀を行って参ります」

 ハセル司祭が深々と頭を下げると、彼の妻と修道女たちも続いた。

「どうぞよろしくお願いします……それでは、ひとまずあなた方のお住まいの用意と、教会建設のための場所の策定を行いましょう。建設の費用は全てこちらで負担させていただきます」

「建設費用もでございますか!? そ、そこまで閣下のご厚意に甘えさせていただくわけには……」

 かえって不安そうな顔を見せたハセル司祭を制してノエインは続ける。

「これもまた私からミレオン聖教伝道会への寄付としてご了承をいただきたい。この地に領地を賜ってから2年もの間、教会の方々をお呼びすることもなくミレオン聖教への敬意を示すことを怠った私のせめてもの贖罪とさせてください」

「……閣下の行いを、偉大なる神もきっと見ておられることでしょう。敬虔な信徒として心よりの感謝を申し上げさせていただきたく存じます」

 教会の建設にまで手を貸せば、ノエインがミレオン聖教会を心から歓迎していると示すことができる。

 聖教会は政治的な影響力は少ないとはいえ、全国規模の繋がりを持つ一大組織だ。そこからの覚えがめでたくなるのなら、教会の建設費用など安いものだとノエインは考えていた。
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