四角いリングに恋をして

根本宗一郎

文字の大きさ
上 下
6 / 7
六章

震災興行と武者修行の日々

しおりを挟む
 それから全選手と島村香織はリングを降りると即座に第一試合が始まった。先月後楽園ホールのリングで聞いたばかりの島村香織の選手コールが響き渡り柴田とプリティ大山の男対女の構図で試合は進行している。試合展開としてははっきり言ってコミカルマッチで柴田がプリティ大山のおっぱいを握ったり、お尻を撫でたりして反則すると怒ったプリティ大山に張り手を食らわされるお決まりの場面に観客が沸くのだった。しかし島村香織とは異なりプリティ大山の容貌は凡そ美人とはかけ離れたものであったのでエロチィックな方向性には決してならなかった事がこの場合良かったと言えるだろう。そんな様子をリング下でカンフーマスクとして見ていた達也に突然岡田が走り寄って来て「今回の試合は俺が十分前後で腕ひしぎ逆十字固めで勝つ事になっているけど、張り手とか蹴りに関しては遠慮せずにガンガンやって来て貰って構わないから。尚且つ普段はやらないロープワークもやってみよう」と小声で囁いてきたのだった。達也は今回の試合で岡田に敗れる事は試合開始前に控室でレフリーから聞かされていたので特段驚かなかったが、「張り手や蹴りに関しては本気で良い」と云うような内容を伝えてきた岡田には正直困惑してしまった。もし張り手やローキックが諸に急所に入れば試合が壊れてしまう場合もあると云うのにである。しかしきっと岡田としては熱い試合を被災者に見せたいのだろうと踏んだ達也はその要望に全面的に応えてやる事にしたのである。
 
 やがて第一試合は順当に柴田の勝利で終わり第二試合が始まろうとしていた。先ずは岡田の入場テーマ曲が道場内に鳴り響いて岡田が控室からリングへと歩き出していった。一方の控室で待機しているカンフーマスクの達也にもその間中「岡田コール」や歓声が飛んでいる事が良く知れた。場内では島村香織による「尚岡田選手の出身地は宮城県気仙沼市になります。どうぞ熱い声援をよろしくお願いします」と云うアナウンスも入り、福島県出身のプロレスラーではないものの、岡田が同じ東北出身者と云う事で客席からは「頑張れ、岡田」と云うような声が多数上がっていた。

 次はカンフーマスク(達也)の番である。入場テーマ曲は従来の坂本さんの指定しているものでなくとも良かったので達也は代わりにアメリカ合衆国の国歌を流す事にした。星条旗の曲が鳴り響く中を覆面を被ってカンフー服を着用し、これも昨日横浜中華街で購入した中華人民共和国の五星紅旗のマストをぶら下げて威風堂々と入場していくと観客の失笑を買う羽目となった。中には「国歌と国旗が合わないぞぉ」とヤジを飛ばしてくる者もいる。そんな奴に対してカンフーマスク(達也)は「アンニョンハセヨ」と手拍子をしながら何故か韓国語で反応したりするとより観客から笑いが生じるのだった。アメリカ、中国、韓国とバラエティに富む多国性でインパクトを与えようとした秘策だったが、思った以上に客の反応は良かったのでカンフーマスク(達也)は胸のつかえが下りた気持ちになり掛けたものの試合はまだ始まっていない為に気は抜けないのだった。

 互いの選手コールは第一試合と同じく島村香織が行った。達也は未だ島村香織にフラれた現実にやや傷心の状態ではあったが、カンフーマスクの覆面を被っている以上向こうは自分の事を達也だと認識していない事は想定出来たので島村香織の事を特別意識せずに試合に臨める事は嬉しかった。ただ当の島村香織は普段のカンフーマスクとは明らかに身体の大きさが異なる為にかなり不審に思ったはずである。そして大声援の下にゴングが鳴り響いて試合が始まるとカンフーマスク(達也)は岡田からの希望通りにハードヒットな張り手とローキックを繰り出していったし、その手前岡田も同様に激しく張り手やドロップキックを放ってきたのでいきなり熱い展開が繰り広げられる結果となった。それに対して観客はカンフーマスク(達也)が入場の時と打って変わって真剣な闘い方をしているので拍子抜けした模様だったが、やがてそれが熱い「カンフーマスク」コールへと変わり、一方の岡田に対してもそれに負けじと「岡田コール」が巻き起こる等道場は白熱した空間へと突入していった。

 二人もその観客の高いテンションを微細に感じ取った後はリングの中央で張り手合戦を繰り返すだけではなく、事前の打ち合わせ通りにロープワークを駆使して見せ場を作る事に神経を使った。調子に乗った達也は昔初代タイガーマスクが時折見せていたロープとロープの間をくるりと一回転して返って来るパフォーマンスをしようとしたが、上手くいかずにリング下に転落して観客の嘲笑を買った。だがそれでも盛り上がりはしたのでやっただけの価値はあっただろう。一方の岡田も達也をテイクダウンで捕えた後に達也の耳に覆面越しに「ジャイアントスイング(相手レスラーの両脚を抱えてリングの中央でメリーゴーランドのように回す大技)をやるから両脚を揃えて大人しくしていて」と言い、そしてその通りに達也が両脚を揃えて待機すると直ぐにその達也の両脚を岡田は自身の両脇に固めてグルグルとジャイアントスイングを行うのであった。192センチの岡田がリングの中央で達也をグルグル回す様子は観客には派手に映ったようで非常に盛り上がるのだった。この技を達也はこの時初めて受けたが、正直に言って痛いと云うより気持ち悪いと云う表現がピッタリであった。グルグルと身体が回転するので目が回るのである。それは回している方の岡田も同様で回し終えた後は二人共気持ち悪くなって蹲ってしまった。しかしそんな二人にはお構いなくそのジャイアントスイングに観客のボルテージは上がる一方なのである。

 しかしそんな調子でロープワークを駆使したり普段は見せないような大技の応酬をしているうちに打ち合わせで決めた試合の制限時間の十分間が過ぎようとしていた。その事を忘れてヒートアップしている二人に対してレフリーが耳打ちで「もうそろそろ試合を終わらして」と囁いてきたので、不自然な展開にならぬように達也はタックルで岡田に突っ込んでいくとそれを岡田は打ち崩してテイクダウンを取ってからマウントポジションへと移行した後に達也の右腕を取って腕ひしぎ逆十字固めを極めるのだった。達也はそれを思わず返してやろうとしたが、岡田の怪力は凄まじくそれを覆す事は出来なかった。こうして試合開始から十分二十三秒頃に当初の予定通りに達也は岡田に腕ひしぎ逆十字固めを極められて敗れたのである。達也はこの結末に単なる悔しさとも違うしこりのような違和感を感じたもののその試合中に鳴り響いていた観客の大歓声が非常に快感であったので大変満足だった。

 試合が終わって二人が観客に向かって礼をしてリングを降りていくと大量の拍手喝采に迎えられた。身体は痛かったがリングから控室までの花道で観客から「面白かったぞぉ」とか「また頑張って」等と言われるとそれが身体の中で高揚感へと繋がり不思議な事に痛みが引いていったので驚いたものだった。控室に戻るとメインイベントに出場するストロング西川がいて開口一番「よくやった。プロ第二戦目で覆面を被っているのにも拘わらずあれだけ観客を沸かせられるお前は絶対にプロレスの才能があるぞ。これから期待しているぞぉ」と声を掛けられた時は達也の目に少し嬉し涙が零れたものだった。しかしそれはカンフーマスクの覆面を被っていた為にストロング西川にはバレなかったはずである。兎も角これで達也は今日の自分の仕事を終えられたので多少の重圧からは解放された為に感激もひとしおであった。

 それからの達也はカンフーマスクの覆面は被り続けコスチュームであるカンフー服から団体専用のジャージへと着替えた後にセミファイナルとメインイベントを共にリング下で観察する立場となった。未だプロ二戦目で試合経験が豊富ではない達也にとってはこうして先輩方の試合を実際に観て良い所を盗んでいく事は重要な仕事とも言えるのである。それは岡田も同様の事で先程全力で張り手で殴り合った事が嘘だったかのように二人並んでリング下で先輩達の試合を共に観察した。結局プロレス団体とは一般社会とは大きく異なる摩訶不思議な世界なのだろう。セミファイナルは着替えを済ませた後だっただけに途中からしか観られなかったが、サバイバル原口とミスター・ホーはベテランで試合巧者である為に一見さんに向けたプロレスの組み立て方が非常に上手いな、と達也は思ってしまった。ここぞと云う場面でバックドロップやジャーマンスープレックスホールドを見せたり、普段は使用しない高角度のブレーンバスターや垂直落下式のパイルドライバー等の協力技を程よく使用して試合を組み立てているからである。こう云った技は乱発しても駄目だし、出し惜しみしすぎても観客は試合に飽きてしまうのである。そこら辺を察知する試合勘がこの二人はズバ抜けて鋭いのであろう。結局最終的にはサバイバル原口がドラゴンスープレックスでミスター・ホーを降して試合は終了した。試合開始から十二分三十二秒頃の事であった。

 最後のメインイベントはメインイベントに相応しい盛り上がりと内容であった。リング上に両者が対峙した時からその体格差が際立っていた為に試合開始直後から観客のボルテージが高かった事も幸いしたかもしれない。何しろ188cmに体重120キロの相模川に対してストロング西川は175cmの90キロと云う体格であった為である。一応ストロング西川はプロフィール上は180cmの体重105キロとなっているのだが、実際には身長と体重共に大幅にサバを読んでいたのだった。故に試合展開は弁慶のような相模川に小柄な牛若丸が挑むと云った図式に近く観客は自然と体格的に劣っているストロング西川の方に声援を飛ばしていた。ストロング西川も観客のその期待を熟知している為に一方的に自身が相模川を打ち負かす展開にはさせずに適度に相模川にやられる場面を作る等大いに工夫している点が見られた。

 中でもストロング西川が偉丈夫の相模川を抱えて綺麗な孤を描いてボディスラムを決めた時には大きなどよめきが起きた程である。恐らくそれは相模川として見れば面白くないはずなのでボディスラムをされたくなかっただろうが、ストロング西川が社長と云う立場である以上政治力の観点から逆らう訳にもいかなかったのだろう。しかしそれも社長と云う立場に胡坐をかいてるだけでなく間違いなくストロング西川が浦和アカデミックプロレス内でダントツでレスリングのスパーリングが強くて上手い為に出来る命令であっただろう。例え団体の社長だろうと強くなければ所属しているレスラーは纏められず、言う事も聞かないからである。プロレスは実力だけがものを言う世界ではない事は確かだが、また一方で実力が何よりも大事である側面は多分にあるのである。

 それでそんな裏打ちされた確かな実力を持つストロング西川が結局は試合をコントロールする形で進行した。相模川は鳴り物入りでデビューして以来数々の強者レスラーを相手に試合をしてきたはずだが、メインイベントでしかも社長であるストロング西川と対戦する事は恐らく今回が初めてであったはずである。それ故か始終無駄な力が入っていたり、不必要な緊張感が漂っている為に段々とスタミナが切れている事がリング下の達也にもよく洞察出来たものだった。そんな達也にも分かる隙等絶対に見逃す事がないのがストロング西川でもある。試合の最中には相撲特有のツッパリ等を相模川に出させる等受け手に回る事もあったストロング西川だったが、この隙を察知して以降は素早く攻勢に出て最終的にはスリーパーホールドで相模川の首の頸動脈を締め上げて相模川からタップを奪ったのだった。それは試合開始から十一分四秒頃の事であった。

 メインイベントがそのような形で終わると盛り上がった観客が座っていた椅子から総立ちの状態となって拍手の嵐が巻き起こった。中には無料だとしているにも拘わらず投げ銭と称してリングにビニール袋やポリ袋に小銭やお札を入れて投げ込んでくる観客もいた。初めてプロレスを観た観客が大半であっただろうが、ほとんどの人が満足して楽しんでくれたであろう事がその一点からもよく分かったものだった。メインイベント終了後に全選手が再度リングへと上がって挨拶をしたが、各自一人一人の挨拶がかき消される程声援や拍手が飛ぶ程であったのである。興行終了後の駐車場で行われた全選手と観客との交流会や最後の送迎のマイクロバスの中でもカンフーマスク(達也)のような末端の選手に対してさえサインを強請って来る被災者は相当数いたのだった。各選手の無料のサインは余すところなく貰ってもらえたのである。この光景を見て達也はストロング西川が当初この被災者対象の無料興行をやろうと提唱した際にはギャラも出ない事から乗り気がしなかったが、実際にやってみて良かったと心の底からそう思った。そしてそれはきっと岡田も同様の気持ちであっただろうとも思うのである。この日を境に達也の心の中でプロレスラーである自覚やプロレスに対する自信がより一層深まっていったのだった。

 ところがそんな達也の心中とは裏腹に世間は達也の思う通りにはならなかった。翌月の四月から六月の初旬まで約二ヵ月程この時の日本社会は節電やイベントの自粛等でプロレスの興行を開催するどころではなくなってしまったからである。原発事故の影響が段々と響いてきた為に首都圏近郊も節電を行うようになってきたのである。プロレスの興行を行うのは基本的には夕方からである。電力が使えない以上興行を開催する事は無謀であった。それは意気込んでいる達也にとっては非常に辛い日々であったが、辛抱して毎日の練習に精を出し続けた。今は基礎体力を固めて、よりスパーリングの技術を習得する時期だとプロレスの神様が達也に与えた試練なのだと信じて目の前の事に集中する事で精一杯であったとも言えるだろうか。そんな単調で地味な生活が兎も角六月の初旬まで延々と続いたのだった。

 そんな生活から解放されたのが六月の中旬の頃の事だった。この頃になると節電も首都圏近郊で頻繁には行われないようになり、イベントの自粛も徐々に解除され始めたからである。それは寮のエントランスで観るテレビのニュースで原発事故の話題が全く取り上げられなくなった事からも明らかであった。ここから達也のプロレス武者修行とも言える日々が始まったのである。まず達也はサバイバル原口が参加する新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・ハイパージュニアに付け人として帯同し、サバイバル原口と新日本プロレスのジュニア戦士が闘う試合をセコンドとして見守る役目を務める事が出来た。中でもサバイバル原口と新日本プロレスのレスラーがリング下で場外乱闘を始めた際には新日本プロレスの若手レスラーと揉み合いや掴み合いにまで発展したが、日々浦和アカデミックプロレスでしごかれてきた達也にとっては鎧袖一触とも言えるような相手であったので、恐怖心を抱くような事は皆無だった。そしてこの時の乱闘をきっかけに達也はその度胸を新日本プロレス側に買われて次の新日本プロレスの興行の第一試合で新日本プロレス側の若手レスラーと第一試合を組まれるまでにも至ったのである。場所は奇しくもデビュー戦の時と一緒の後楽園ホールだった。

 その試合では一応達也は団体の格の関係から負け役となったが、張り手やローキックを全く遠慮なしに相手のレスラーに放っていった。新日本プロレスと浦和アカデミックプロレスではプロレス業界で実績や知名度の点で雲泥の差がある故にそれは当然の差配だと言えたが、それが気に食わなかった達也は相手を殺す勢いでそれらの打撃技を打ち込んでいったのである。そして結果的にはその中の張り手の一つが相手の顎にもろにヒットしてしまった為に失神させてしまったのである。事前の取り決めとは異なる結果にレフリーは狼狽していたが、瞬時の判断で達也のKO勝ちを宣言したものだった。達也はそれによってリングで会心の笑みを浮かべたが、大変だったのは引き上げた後の控室で新日本プロレスのマッチメイカーにこっぴどく叱られたのである。それがかなり執拗で延々と続いたので達也は困惑してしまったが、この日の興行で試合はないものの達也の試合のセコンドとして来てくれたサバイバル原口が間に入ってくれて何とか事なきを得る事が出来た。しかし最終的には新日本プロレス側は事前の取り決めを破った罰として達也に試合のギャラである八千円を全く払ってくれなかったのだった。その時プロレスと云うショービジネスの世界の理不尽さを達也はしみじみと感じたものである。

 その後も関東近郊の小規模団体(インディー)の興行に達也は柴田と共に呼ばれて、その団体のレスラー二人組と柴田とタッグを組んでタッグマッチで闘う機会に恵まれた。そしてこの時は新日本プロレスでの失敗があったのでそれを教訓として事前の取り決めを破るような真似はしなかったし、そのお陰で負けはしたもののタッグマッチで観客を沸かせる要点も掴む事が出来たので達也にとっては約束されたギャラも貰えたし良い事尽くめの経験だったと言える。ところでこの頃になると達也には自分が所属する浦和アカデミックプロレスやプロレスのリングそのものに強烈な愛着を抱くようになっていた。それは日々練習に打ち込み、こうして他団体のリングに上がるうちに浦和アカデミックプロレスを背負っていると云う意識が芽生えたり、プロレスそのものの面白さに気が付いてしまった事が大きいかもしれない。既に達也の心の中では島村香織に対する片思いの感情はそのプロレスに対する熱情が綺麗さっぱりに打ち消してしまったようであった。寧ろその代わりにこのプロレスの四角いリングに片思いの恋をしているのではないだろうか?と錯覚する程達也はプロレスが好きになって来ていたし、一日も長く浦和アカデミックプロレスのプロレスラーであり続けたいと思うようになっていたのだった。しかしその達也の四角いリングに恋をしている期間はそう長くなかったのだった。突然のお別れが達也に宣告されたからである。

 それは非常に蒸し暑い八月の中旬の事だった。その日もカンフーマスクを除く全選手が倉庫で練習していたが、そこにいきなり埼玉県警の警察が踏み込んできたのである。驚いた一同だったが、ストロング西川が前面に出てその警察の一団と対話をすれば、何でもカンフーマスクの中の人間である不法滞在中の中国人である李牧(リ・ボク)が麻薬取締法違反の容疑で昨夜池袋駅前で逮捕されたと云うのだった。何でもストロング西川の相手をしている警官の話だと李牧は四年前から中国から日本にやって来て坂本牧夫(さかもとまきお)と云う日本人名を使って本土の中国から麻薬を密輸し、それを池袋の中国マフィアに手配していたとか言うのである。それは俄かには信じがたい話だった。故にストロング西川は「それは本当か?」とその警官に詰め寄ったが、警官は全く同ずる事なく「本当だ」と言い「寧ろ今日池袋警察署から埼玉県警に李牧の身柄が移送されてきたから、この後あなたにはこの団体の責任者として確認しに来て貰う」とまで言うのだった。そして「念の為にこの浦和アカデミックプロレスの寮と倉庫を家宅捜索する」とまで言い、次々に埼玉県警の警察官を寮や倉庫に踏み込ませるのだった。ストロング西川は「おい、勝手に入るなよぉ」と大声で吼えたが焼け石に水で、警察は問答無用で突入していく。そして達也を含めた全選手を片っ端から事情聴取していくのだった。

 結局二時間程家宅捜索されたが、カンフーマスク事李牧の目ぼしい関係物はこれと言って見つからなかったようだった。あったのは三月の無料興行の時に達也が被ったスペアのカンフーマスクの覆面と昨年の後楽園ホールの興行でカンフーマスクが着用していた特製の全身を覆うスーツ位だったようである。故にこれで警察も諦めて引き上げてくれるかと思いきや、ミスター・ホーに事情聴取をした警官がミスター・ホーがベトナム人であった為にミスター・ホーも不法滞在しているものと決めつけて「ストロング西川と共に埼玉県警まで来い」と執拗に絡んできたので、堪忍袋の緒が切れたと云った状態となったストロング西川が「そいつは不法滞在するような奴じゃない。これ以上偏見の目で捜査をするなら俺は埼玉県警に行かねぇぞ」と啖呵を切ったので事なきを得たものだった。その時のストロング西川の迫力が試合中のリング上のと同様だった為に達也は急にストロング西川の事が誇らしく思えてくるのだから不思議だった。プロレスはやらせと思って浦和アカデミックプロレスの事を見下していそうな警察官達はそのストロング西川の迫力に気圧されているようであった。そしてストロング西川はふてぶてしい態度でパトカーに乗り込み李牧がいる埼玉県警へと連れて行かれてしまった。残った人間はそれを呆気に取られて見送るのが精一杯でとても現実の事として受け止めきれないのである。

 結果的にストロング西川が埼玉県警から戻って来たのは皆が夕食のちゃんこ鍋を食べ終えた午後八時頃の事だった。皆は寮の玄関のエントランスで勢揃いしてストロング西川を出迎えたが、ストロング西川は憔悴しきった表情で足取りも重々しそうに入って来たのである。一目で警察に相当やり込められて疲れ切ってしまった様子がありありと達也にも感じ取られたものだった。やがてストロング西川は「ちょっと話があるから皆そこへ坐れ」とエントランスのソファに腰掛ける事を促してきた。故にストロング西川を中心に皆は車座になって囲むようにしてソファへと座ったのだった。そこから今まで埼玉県警でストロング西川が警察とカンフーマスク事李牧に関して応対してきた一切のあらましが明かされたのである。


 
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

警視庁鑑識員・竹山誠吉事件簿「凶器消失」

ミステリー / 完結 24h.ポイント:383pt お気に入り:0

それはさかおり!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

壁の中

ホラー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:16

セカイの果たてで

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:4

転生チートは家族のために~ ユニークスキルで、快適な異世界生活を送りたい!~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:38,419pt お気に入り:1,049

優秀な妹と婚約したら全て上手くいくのではなかったのですか?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:130,137pt お気に入り:2,319

東村山迷走青年(友情編)

青春 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:0

令和四年のダウンタウンヒーローズ

エッセイ・ノンフィクション / 完結 24h.ポイント:106pt お気に入り:0

おい、本当に居たのかよ?

大衆娯楽 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

東村山迷走青年(演劇部退部編)

青春 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:0

処理中です...