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生き残る道
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ジュリエッタはもう一度、青い旗を確かめるために望遠鏡を覗いた。
(やはり、あの旗に間違いない……!)
そこでヤンスが緊張を孕んだ声をかけてきた。
「夫人、兵士がやってきます」
望遠鏡を外して見ると、赤銅色の甲冑の騎士らがこちらに向かっているのが見えた。数十人はいる。
「あれはノルラント兵?」
ジュリエッタの問いに、ヤンスは、険しい顔つきでうなずいた。
「そうです。修道士として、素知らぬふりをしてください」
ヤンスが祈りを唱え始めた。あとの者も続く。
「天にまします我らの父よ、ねがわくは御名をあがめさせたまえ……」
ノルラント兵がバッバリ砦に入ってきた。どやどやと踏み込んできて、無遠慮な声を出す。
「光るものが見えたから来てみたが、何だ、修道士かよ」
「てめえらもご苦労なこったなあ」
そう言って兵士らは出て行った。修道士の偽装が功を奏したようだ。
ほっとするのもつかの間、また兵士らは戻ってきた。鼻を鳴らす。
「修道士にしちゃ妙だな。あいつら独特の匂いがしねえ。てめえら本当に修道士か? 修道士のふりした物盗りじゃねえだろうな」
「戦利品でもあったら寄越せよ」
ヤンスが口を開いた。
「我らはあなた方のために神の許しを祈るもの、あなた方のために祈らせてください」
「ますます怪しいな」
兵士らはずかずかと近寄ってきた。
ハンナがジュリエッタを守るように前に出て、さらに騎士らが囲む。その様子を兵士らが見とがめる。
「なんだなんだ? 高貴なお方でもいるのか。そいつ、ちょっと顔を見せてみろ」
ジュリエッタを指さす。
突然、聖歌が聞こえてきた。マルコだ。透き通るような麗しい歌声だった。
歌声に兵士らは、足を止める。思わず皆が聞き惚れる。
「歌声に免じて許してやるか」
一人の兵士の声に、他の兵士がかぶりを振る。
「馬鹿を言え。こいつら貴族に騎士だ。挙動でわかるんだよ。見られたからには始末しないわけにはいかない」
空気が張り詰める。
そのとき、外から物音が聞こえてきた。兵士らの叫び声に、金属の激しくぶつかり合う音がする。
中にいた兵士らも慌てて出て行ったが、叫び声が次々に上がったかと思うと、やがて、静かになった。
「ジュリエッタ、無事か!」
侯爵の声が聞こえてきた。入ってきたのは侯爵らだった。その剣には血が滴っている。
侯爵はジュリエッタを見ると、ほっとした顔で息をついた。ジュリエッタは糸が切れたように崩れた。それを侯爵が支える。
ノルラント兵らは一人残らず始末され埋められたが、ジュリエッタの見えないところでそれは行われた。
目を開けたジュリエッタは横抱きにされて馬に乗っていた。
見上げると侯爵と目が合った。優しげな黒目で見返してくる。侯爵に、ジュリエッタは深い安堵を感じていた。
(青い旗に赤銅色の甲冑……)
ジュリエッタの脳裏に王都が浮かぶ。
(あれはノルラント軍だったんだわ……)
王都の海に、青い旗をたなびかせた船が、突如、出現した。それは赤銅色の甲冑の兵士を乗せていた。兵士らは王都に上陸し、至る所から火が上がり、人々は逃げまどった。
予知夢で見た旗と甲冑にジュリエッタは出くわしてしまった。やはり未来は予知夢通りになるのか。
(ノルラント軍がどうして王都の海に……?)
それは地理上、不可能なことだった。
ヤンスの声が聞こえてきた。
「それにしても、ノルラントは曲者ですね。今のタイミングで兵士をバルベリに侵入させるなんて」
ジュリエッタは口を開いた。
「ノルラントは和平を破るわ……、数年後、ブルフェンの王都を攻めてくる……」
ジュリエッタの言葉に、侯爵は目を見開くも、うなずくだけだった。
「ジュリエッタ、だから、俺は軍を維持する。俺はブルフェンを守る。あなたを守る」
(どうしてそんなことを言うの? あなたは私を見捨ててシャルロットを……)
しかし、ジュリエッタには侯爵が思ってもいないことを口にしているようには見えなかった。
***
大海を大陸が縦断している。大陸の東側に【東の海】があり、西側に【西の海】がある。
大陸には、北からノルラント、次にブルフェンがあり、ブルフェンより下には、大小さまざまな国がひしめいている。
ノルラントの東部は深い森に閉ざされており、ノルラントは西海岸で【西の海】にのみ接している。ノルラントの真下にバルベリ領があり、バルベリの対角に位置する王都は東海岸で【東の海】にのみ接している。
そして、【西の海】と【東の海】はつながっていない。
ノルラントの北にはどこまでも凍土が広がっており、大陸の南側は広大で全貌は不明だ。
よって、【西の海】にしか接していないノルラント軍が、【東の海】から王都を攻めることは不可能だ。
(いったいノルラント軍はどうやって攻めてきたの?)
***
「ジュリエッタ、何が不安なの?」
ダニーを真ん中に挟んだベッドの上で、侯爵は訊いてきた。侯爵の手は優しくダニーを撫でながら、目はジュリエッタを向いており、その目には心配と慈しみが浮かんでいるのを感じる。
侯爵は、ジュリエッタが不安を抱えていることを見抜いている。
そんな侯爵にジュリエッタの胸が切なくざわめく。
明日、侯爵は、王都に向かう。
そこで、シャルロットに出会う。
(王都に行ってほしくない)
しかし、侯爵が王都に行かないわけにはいかない。戦勝記念式典に侯爵がいなければ話は始まらない。
この先、侯爵はブルフェンの軍務長官に任命される。そのためにバルベリから王都に拠点を移すことになる。そして、シャルロットと愛を育み、その先は死があるのみ。
(あなたに死んでほしくない)
ジュリエッタも黙って侯爵を見つめ返していたが、ついに口にした。言わずにいられなかった。
「王都に行かないで欲しいの。私とどこかに、どこか遠いところに行ってほしいの」
「ジュリエッタとどこかに?」
侯爵は目を細めて、笑いかけてきた。ジュリエッタはそれをとても愛おしい思いで眺めた。
「そうだね、何もかも捨ててどこかに行ってしまおうか」
ジュリエッタは笑った。
(どうせそんなことなどできないのに)
「ふふ、では、ハンナも一緒よ?」
「では、ヤンスもいい?」
「ええ。それとダニーも」
「では、ジミーも。あの子はみなしごだ」
「じゃあ、料理人のアンナも。夫を失くして天蓋孤独なの」
「じゃあ、みんなで行こうか」
ジュリエッタは小指を出した。
「約束。いつか、みんなで、楽園を探しに行くの」
侯爵はジュリエッタの小指に自分の小指を巻きつけた。
「うん、わかった。約束だ」
「私も王都に行くわ。記念式典に出るわ」
「えっ」
侯爵はジュリエッタを見てきた。ジュリエッタは行かないつもりでいると思っていたようだ。
「だって、あなたとは家族ですもの、あなたを一人にはしない」
ジュリエッタは 『夫婦』とは言わずに『家族』と言った。そのことの意味に気づいたのか、侯爵はどこか寂し気な顔つきになった。
(この先、侯爵もハンナも、みんな死なせはしない。生き残る道はきっとある)
王都をノルラントの奇襲から救う方法があるはずだ。
おそらく予知夢はそのために見たのだ。
(自分だけが助かるために見たんじゃない。みんなを助けるために見たんだわ)
ジュリエッタは侯爵に小指を巻きつけたまま目を閉じた。
(やはり、あの旗に間違いない……!)
そこでヤンスが緊張を孕んだ声をかけてきた。
「夫人、兵士がやってきます」
望遠鏡を外して見ると、赤銅色の甲冑の騎士らがこちらに向かっているのが見えた。数十人はいる。
「あれはノルラント兵?」
ジュリエッタの問いに、ヤンスは、険しい顔つきでうなずいた。
「そうです。修道士として、素知らぬふりをしてください」
ヤンスが祈りを唱え始めた。あとの者も続く。
「天にまします我らの父よ、ねがわくは御名をあがめさせたまえ……」
ノルラント兵がバッバリ砦に入ってきた。どやどやと踏み込んできて、無遠慮な声を出す。
「光るものが見えたから来てみたが、何だ、修道士かよ」
「てめえらもご苦労なこったなあ」
そう言って兵士らは出て行った。修道士の偽装が功を奏したようだ。
ほっとするのもつかの間、また兵士らは戻ってきた。鼻を鳴らす。
「修道士にしちゃ妙だな。あいつら独特の匂いがしねえ。てめえら本当に修道士か? 修道士のふりした物盗りじゃねえだろうな」
「戦利品でもあったら寄越せよ」
ヤンスが口を開いた。
「我らはあなた方のために神の許しを祈るもの、あなた方のために祈らせてください」
「ますます怪しいな」
兵士らはずかずかと近寄ってきた。
ハンナがジュリエッタを守るように前に出て、さらに騎士らが囲む。その様子を兵士らが見とがめる。
「なんだなんだ? 高貴なお方でもいるのか。そいつ、ちょっと顔を見せてみろ」
ジュリエッタを指さす。
突然、聖歌が聞こえてきた。マルコだ。透き通るような麗しい歌声だった。
歌声に兵士らは、足を止める。思わず皆が聞き惚れる。
「歌声に免じて許してやるか」
一人の兵士の声に、他の兵士がかぶりを振る。
「馬鹿を言え。こいつら貴族に騎士だ。挙動でわかるんだよ。見られたからには始末しないわけにはいかない」
空気が張り詰める。
そのとき、外から物音が聞こえてきた。兵士らの叫び声に、金属の激しくぶつかり合う音がする。
中にいた兵士らも慌てて出て行ったが、叫び声が次々に上がったかと思うと、やがて、静かになった。
「ジュリエッタ、無事か!」
侯爵の声が聞こえてきた。入ってきたのは侯爵らだった。その剣には血が滴っている。
侯爵はジュリエッタを見ると、ほっとした顔で息をついた。ジュリエッタは糸が切れたように崩れた。それを侯爵が支える。
ノルラント兵らは一人残らず始末され埋められたが、ジュリエッタの見えないところでそれは行われた。
目を開けたジュリエッタは横抱きにされて馬に乗っていた。
見上げると侯爵と目が合った。優しげな黒目で見返してくる。侯爵に、ジュリエッタは深い安堵を感じていた。
(青い旗に赤銅色の甲冑……)
ジュリエッタの脳裏に王都が浮かぶ。
(あれはノルラント軍だったんだわ……)
王都の海に、青い旗をたなびかせた船が、突如、出現した。それは赤銅色の甲冑の兵士を乗せていた。兵士らは王都に上陸し、至る所から火が上がり、人々は逃げまどった。
予知夢で見た旗と甲冑にジュリエッタは出くわしてしまった。やはり未来は予知夢通りになるのか。
(ノルラント軍がどうして王都の海に……?)
それは地理上、不可能なことだった。
ヤンスの声が聞こえてきた。
「それにしても、ノルラントは曲者ですね。今のタイミングで兵士をバルベリに侵入させるなんて」
ジュリエッタは口を開いた。
「ノルラントは和平を破るわ……、数年後、ブルフェンの王都を攻めてくる……」
ジュリエッタの言葉に、侯爵は目を見開くも、うなずくだけだった。
「ジュリエッタ、だから、俺は軍を維持する。俺はブルフェンを守る。あなたを守る」
(どうしてそんなことを言うの? あなたは私を見捨ててシャルロットを……)
しかし、ジュリエッタには侯爵が思ってもいないことを口にしているようには見えなかった。
***
大海を大陸が縦断している。大陸の東側に【東の海】があり、西側に【西の海】がある。
大陸には、北からノルラント、次にブルフェンがあり、ブルフェンより下には、大小さまざまな国がひしめいている。
ノルラントの東部は深い森に閉ざされており、ノルラントは西海岸で【西の海】にのみ接している。ノルラントの真下にバルベリ領があり、バルベリの対角に位置する王都は東海岸で【東の海】にのみ接している。
そして、【西の海】と【東の海】はつながっていない。
ノルラントの北にはどこまでも凍土が広がっており、大陸の南側は広大で全貌は不明だ。
よって、【西の海】にしか接していないノルラント軍が、【東の海】から王都を攻めることは不可能だ。
(いったいノルラント軍はどうやって攻めてきたの?)
***
「ジュリエッタ、何が不安なの?」
ダニーを真ん中に挟んだベッドの上で、侯爵は訊いてきた。侯爵の手は優しくダニーを撫でながら、目はジュリエッタを向いており、その目には心配と慈しみが浮かんでいるのを感じる。
侯爵は、ジュリエッタが不安を抱えていることを見抜いている。
そんな侯爵にジュリエッタの胸が切なくざわめく。
明日、侯爵は、王都に向かう。
そこで、シャルロットに出会う。
(王都に行ってほしくない)
しかし、侯爵が王都に行かないわけにはいかない。戦勝記念式典に侯爵がいなければ話は始まらない。
この先、侯爵はブルフェンの軍務長官に任命される。そのためにバルベリから王都に拠点を移すことになる。そして、シャルロットと愛を育み、その先は死があるのみ。
(あなたに死んでほしくない)
ジュリエッタも黙って侯爵を見つめ返していたが、ついに口にした。言わずにいられなかった。
「王都に行かないで欲しいの。私とどこかに、どこか遠いところに行ってほしいの」
「ジュリエッタとどこかに?」
侯爵は目を細めて、笑いかけてきた。ジュリエッタはそれをとても愛おしい思いで眺めた。
「そうだね、何もかも捨ててどこかに行ってしまおうか」
ジュリエッタは笑った。
(どうせそんなことなどできないのに)
「ふふ、では、ハンナも一緒よ?」
「では、ヤンスもいい?」
「ええ。それとダニーも」
「では、ジミーも。あの子はみなしごだ」
「じゃあ、料理人のアンナも。夫を失くして天蓋孤独なの」
「じゃあ、みんなで行こうか」
ジュリエッタは小指を出した。
「約束。いつか、みんなで、楽園を探しに行くの」
侯爵はジュリエッタの小指に自分の小指を巻きつけた。
「うん、わかった。約束だ」
「私も王都に行くわ。記念式典に出るわ」
「えっ」
侯爵はジュリエッタを見てきた。ジュリエッタは行かないつもりでいると思っていたようだ。
「だって、あなたとは家族ですもの、あなたを一人にはしない」
ジュリエッタは 『夫婦』とは言わずに『家族』と言った。そのことの意味に気づいたのか、侯爵はどこか寂し気な顔つきになった。
(この先、侯爵もハンナも、みんな死なせはしない。生き残る道はきっとある)
王都をノルラントの奇襲から救う方法があるはずだ。
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