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陛下と、皆の願いと、最期の時を、永遠に。

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 リーファは、夢を見ていた。

 華やかな婚礼衣装を身に纏い、ひっそりと部屋で待つ自分。

 サイラが居て、何故か周りには他に誰もいなくて。
 扉を開けて、静かに現れたのは、皇帝の証である冠を頂いておられる、陛下。

 愛しい方の来訪に、小さく笑み、言葉を発しようとして……声が、亡い。

 喉を押さえたリーファに、陛下が表情を曇らされると、気づけば全てが、闇に沈む。

 ーーーああ。

 叶わぬ望みが、夢である、と。
 リーファは深く息を吐く。

 望まぬはずが、あろうか。
 その横に立つのが自分であるという気持ちを、抱かぬはずがあろうか。

 だが、嫉妬も、羨望も、それら全てを、押し込めても。


 ーーー陛下がお幸せに在ることを祈るのは、醜かろうか。


 なろうことなら、少しでも永くともに在りたいと、願ってしまうことは……どれほど、我儘と言えるだろう。

 しかしもう、それすらも、叶わぬこと。

 陛下に御目通りすることすら諦めることが多くなり、床に臥してしまえば。
 体を蝕む呪いの重みに、もう耐えきれなくて。

 ーーーだけど。

 リーファを蝕む凶刃が、陛下に届かなかったことは、この我儘を許される理由になったのだ。
 死を身の内に抱かなければ、彼のお方の心に出会えなかったことを思えば。

 これを、人は必然と呼ぶのだろう。

 心から陛下の幸せを願う気持ちに、嘘はなくとも。
 生きながら死せる身で、御前にお目通りを願った。

 最早、自らの心が奈辺に在るかすら、分かり得ぬままに。

 懺悔と、肯定を繰り返すリーファの額に、そっと、冷ややかな手が添えられる。

 心地よく慣れた手の持ち主は、優しく囁いた。

『相反する想いの内に、それでも信ずることを貫かれたリーファ様のお気持ちは、何よりもかけがえのないものにございます』

 ーーーそうかしら。

※※※

 もう此方を離れて彼岸へ踏み出そうとしているリーファを、一人見つめながら。

 サイラは、己の選択がどういう結果をもたらすのか、分からないままに。
 再びスゥ、と深い眠りに落ちた彼女に、いたましさを覚えて表情を歪ませる。

 後幾度、その意識が戻るかも、分からない。

 あらゆる癒し手に匙を投げられた呪いの中、ここまで生き抜いたことすら驚嘆に値する、サイラの主人。

 最後に家族と過ごすよりも、陛下の幸せを願った少女の細い体のどこから、これほどの心力が湧いているのか。

 命の残りの全てを、月下に咲く花の如く、ひそやかに生の炎にくべ続けた末が、自分一人見守る中で、息を引き取ることであれば。

 ーーーわたしは、それが主人の願いであっても、聞き届けるわけにはゆかなかったのでございます。

※※※

「リーファの、元へ……?」

 婚礼を控えた、まさに今。
 正装を纏うエルリーラが投げかけた言葉に、同じく身を飾った陛下は眉をひそめられた。

「ここ最近、体調が優れず、とは、聞いていた、が」
「リーファの命の灯火が、尽きかけております」

 あの娘の体調が悪化し始めたのは、エルリーラが正妃となることが決まった日から。
 
 陛下におかれては、寝耳に水、だったのだろう。

 無理もない。
 エルリーラに対しては詳(つまび)らかにしたその真相を『決して誰にも、特に陛下には口外されませぬよう』と、リーファは固く、口止めをしていたから。

 ーーーでも。

 共に口止めをされていた従者が、口にしたのだ。

 『リーファ様の想いには、二つの真意がございます』と。
 決して、かの従者は陛下に明かして欲しいと、口にしたわけではなかったが。

 『我が主人は、婚姻の夜を越えられはしないでしょう。願いに、命を繋いでいたのです』

 それは、採択をエルリーラに預ける言葉だった。
 婚姻を結ぶ当事者である、自分は、確かにリーファとぶつかる想いは、ない。

 それでも婚礼の日に、皇帝陛下の時間を割くを、秘密を明かし約束を違えるを、是とするか。

 難しい決断と思えるが、これより先、正妃としてどれほど似たような採択をするかを考えれば。

 己が身を、外より見れば決して成すべきことではない。
 しかし、エルリーラが親愛の情を覚えたリーファは、叶うことなら己がこの場所に立っていただろう。

 彼女の存在なくば、今の時もなしと思えば。

 そう思い、大きく息を吸い込まれた陛下のご尊顔を見上げると、彼の方は、表情を固くしてお言葉を発された。

「何故に、黙って、いた」
「望みゆえに」
「では、なぜ、明かした」
「あの愛しき娘の、心を思えば。……国とは人であり、彼女もまた、そして陛下ご自身もまた、そのお一人」

 愛する者の死に目にすら会えぬ、嘆きは。
 物語に謳われるほどに悲痛で、尾を引くもの。

「人の心の内には、真なる願いが幾つも宿るものにございます。陛下の幸せを願えばこそ、リーファは話さぬことを採択し……わたくしは、陛下の御心安らかなれと思えばこそ、お伝え申し上げて、おります」

 私人としてのエルリーラは、今すぐにでも彼女の元へ赴きたいと思う。
 だが、それは役目ではない。

「時間は、限られております。どうか。……ワタクシが、泣き崩れて化粧を崩すことにならぬよう……お目に、掛かって、差し上げて、いただきたく」

 泣けはしない。
 これより婚姻の儀に望むのだから。

 公人として在るために、私人は殺さねばならぬとしても。
 陛下は常に、公として振る舞い続けておられるのだから。

 この、二度と戻らぬひと時を、二人に私人として過ごして欲しいと……エルリーラもまた、従者と同じく望んだのだ。

 陛下は、それ以上言葉を発されず。
 静かに、場を辞された。

※※※

『リーファ様』

 遠くから、声が響く。

『今一度だけ、戻られませ。……陛下の、お目見えにございますれば、どうか』

 ーーーへいか。

 サイラの言葉だ。

 陛下が。
 では、起きないと。

 安らかさに沈みかけていたリーファは、苦しみが戻ると同時に、開けるだけでも重い瞼を開く。


 そこに、婚礼衣装に身を包んだ陛下が佇まれていた。


 わたくしを、むかえに?

 そう問いかけて、そんなはずはないと気づく。

 すると陛下は、起き上がれぬリーファの枕元に膝を折られた。

「いけ……ませぬ……」

 皇帝が、臣下の前に膝をつくなど。

「良い。朕は……我は今、私人、なれば」

 陛下の御手に、髪を漉かれる。
 初めての感触は、ふくよかで、暖かくて。

 陛下ご自身の優しいお人柄のように、安らげる。

「なぜ、黙っていた?」
「美人薄命……と申します、でしょう……?」

 死の際でも。
 愛しい人に、これ以上の無様は見せられぬ、と、リーファは微笑む。

 すると、大して上手くもない冗談に、陛下も微笑みかけて下さった。

「では、此方は、長く遺されることになる、な」

 自らの容姿に言及されるも、卑下されるご様子ではなくて。
 リーファは、安堵する。

「陛下には……長く善政を、敷いていただかねば……なりません。早くに、散られては……困ります……」
「……そなたに、何か望みは、なかったのか?」
「叶うことなら……永く……側に……」

 堪えようと思っていたのに、頬を、涙が伝う。
 いけない、こんなことでは。

 せっかくのお目見えなのに。

「泣く、な」
「こうなるから、黙って……おり、ましたのに……わたくしは、けっして、強くなどないのです……」

 少しでも長く、お側に、寄り添いたいと……願い続けて。
 もう叶わないけれど。

「望みを……聞いて、いただけるのでしたら……御許し、いただけるの、でしたら……」
「聞こう」
「月下美人の咲く、小さな庭を……望んでも?」

 その言葉に、少し戸惑う様子を見せた後、陛下はすぐに首肯された。

「季節には、後宮全てに咲くように計らおう。そなたは、我の救いであった。……そなたを、心に留め、決して忘れぬと、誓おう」

 ーーーああ。

 その言葉に、リーファは。

 胸一杯の幸福と。
 もう分かたれる、哀しみと。
 ほんの少しの、自らの行ったことの罪悪感に。


 ーーー満たされる。



 月下美人の花言葉は『儚い恋』。

 人の夢と書いて、儚く。
 恋の字には、下心。

 死してなお、せめて陛下の心の片隅に残りたいと。

 そう願っただけのはずなのに。

 気づけば、その心の全てが欲しいと、望んでしまう自分の強欲さに、呆れ果てた。

 だから、もう動かなくなってきた口を、必死に動かす。

「へい、か……うそ、にございま……す」
「……」
「おわすれ……ください。わたくしの……ことなど」

 陛下は、少しだけ、いつものように聡明で、心なしか潤んだ瞳で、リーファの目を覗き込まれる。
 深く、吸い込まれそうに、なる。

「そなたは聡明で、美しいが。……稀に見るほど、嘘だけは、下手だ」

 そうして耳元に寄せられ、発されたお言葉。



 ーーー愛している。永遠(とわ)に。



 リーファは、遠く響く陛下の言葉に、天に登る心地を、覚えながら。
 最後の最後に、かすれた声を絞り出した。

 肌を合わせることすらなかったけれど。
 愛を捧げた、唯一の人へ向けて。

 心の底からの、言霊(ことば)を。



 ーーーわたくしも、愛しています。陛下……。


 
 了。
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みんなの感想(2件)

P.ローズマリー

人を想う気持ちが伝わってきてとてもあたたかく、心を動かされる物語でした。

素敵なお話をありがとうございます!

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ゆらぽって
2021.02.11 ゆらぽって

遥か昔に習った古文の授業を思い出しました。

儚く切ない、優しいお話ですね。涙が溢れそうです。

陛下の呪いのような姿と、リーファの受けた呪いが、愛によって解ける、というラストを望む方も有りましょうが、私はこの切なく甘いラストが好きです。
お気に入りにさせていただきます。

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