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第一話
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暫く顔を合わさない間に、随分と精悍さが増している。ついこの間まで、花の精霊のような可憐さすら感じさせるほど麗しい美少年だったが、今はその甘やかな美貌に、春風のような爽快さを一抹纏い、最早神々しいと形容するに相応しい美男子に成長なさったものだ。
二年もあれば、少年は青年になる。私にとっては一息のうちに過ぎた年月だとしても、彼にとってはきっとそうではない。幼いころから親交を深め、成長を見守ってきたと思っていた彼がまるで別人のようになっていることからして、まず間違いないだろう。
彼と私の間に横たわる断崖の如き隔絶が、むざむざと目の前に色濃く表れたような思いがした。もう、私と彼の関係も、形骸化したただの「婚約者」という契約でしかなく、すこし衝撃を与えればたやすく無に帰すような砂の城に過ぎない。
彼にとっての私の存在も。
彼が私に笑いかけてくれたのも、遥か昔のことだ。彼が私に、幼くも何にも代えがたい好意を伝えてくれたことすら、彼にとっては記憶の片隅にすら残っていないだろう、私だけの、独りよがりの思い出。
いつからか、毎日のように顔を合わせていたのが、月に一度の婚約者としての義務的なお茶会でしか面会しなくなった。それも、良くて二言三言形式上の挨拶を交わすだけ。いつしか彼は私と目を合わすことすらしなくなった。
私は、それでも、彼の婚約者という地位にしがみ付いた。
たとえ独りよがりでも、彼との夢のような思い出が、私にとってはよすがだった。幼い彼と交わした拙い約束が、私の生きる導だった。
遥か昔に見た、彼の笑顔こそが、私を何より生かしてくれた、光だったのだ。
重い沈黙が喉を詰まらせる。彼ももう、いたく煩わしげに頬杖をつき、不機嫌な紫を窓の外に向け、こちらを一瞥もしない。話があるなら早く済ませろと言わんばかりの態度だ。
これ以上、お忙しい身の上にある彼をいたずらに縫い留めるわけにもいかないだろう。
「長きにわたり、お心を煩わせて申し訳ありませんでした。我が父の亡き今、果たすべき義理もあって無いようなものであり、テオドール様の婚約者の地位は……私には分不相応に過ぎるものでございます。今この時を以て、謹んで返上いたします」
今、彼の顔を直視すれば、きっと呪いのような未練をここに残してしまう事になるだろう。何故なら、この部屋を退出したら最後、私は辛うじて指一本触れていた雲の上から滑り落ち、彼をただ見上げるだけの凡百に成り果てるのだから。
堪え切れず、私は目を伏せて殿下のきまり切った返答を待った。聞くところによると、彼はこの二年の間に麗しい高貴の姫と随分懇意になって久しいのだとか。気分はさながら断頭台に上る受刑者だ。
しかし、いつまでたっても刃が振り下ろされることは無かった。
「貴方は、僕を捨てようって時にも、そんな生易しい綺麗ごとを並べるのですね」
「は……」
「婚約者の立場を返上、ですか……そんなこと、誰が何と言おうと、ええ、例え私の父が認めたことだろうと、僕は許しません」
「テオドール様……?」
「我慢の限界です。僕は貴方を尊重しようと努めて、今までずっと、ずっと……っ!」
なぜ、貴方がそんな泣きそうな顔をしているのだろうか。私は、せめて潔く身を引けば、貴方の喜ぶ顔が、貴方の幸せな未来が、遠くからでも見れると思っていたのだ。私はまた、間違ってしまったのか。
どうすれば私は、貴方を笑わせることが出来るのだろうか。
「ハハッ、その結果がコレ、か……そう、それなら、僕はもう、自分を抑えるのなんて、金輪際、一切やめてやる」
「殿下……?」
「テオドール・ベルルング公爵の名を以て、ルーベルンゲン辺境伯ユリウス卿に命じます。先程の発言を撤回なさるまで、王宮を出ることは決して許しません。面会は以上、僕は次の予定がありますので、これにて失礼を」
吐き捨てるようにそう言って、彼は立ち上がり部屋を出ていった。事態への理解が全く追いつかず、私は室内にただ一人取り残された体だ。 フウ、とひとつため息をつき、精神統一のため瞼を閉じる。
彼の絞り出すような震えた怒声と、蒼白になった尋常でない顔が、脳裏にこびりついて離れなかった。
二年もあれば、少年は青年になる。私にとっては一息のうちに過ぎた年月だとしても、彼にとってはきっとそうではない。幼いころから親交を深め、成長を見守ってきたと思っていた彼がまるで別人のようになっていることからして、まず間違いないだろう。
彼と私の間に横たわる断崖の如き隔絶が、むざむざと目の前に色濃く表れたような思いがした。もう、私と彼の関係も、形骸化したただの「婚約者」という契約でしかなく、すこし衝撃を与えればたやすく無に帰すような砂の城に過ぎない。
彼にとっての私の存在も。
彼が私に笑いかけてくれたのも、遥か昔のことだ。彼が私に、幼くも何にも代えがたい好意を伝えてくれたことすら、彼にとっては記憶の片隅にすら残っていないだろう、私だけの、独りよがりの思い出。
いつからか、毎日のように顔を合わせていたのが、月に一度の婚約者としての義務的なお茶会でしか面会しなくなった。それも、良くて二言三言形式上の挨拶を交わすだけ。いつしか彼は私と目を合わすことすらしなくなった。
私は、それでも、彼の婚約者という地位にしがみ付いた。
たとえ独りよがりでも、彼との夢のような思い出が、私にとってはよすがだった。幼い彼と交わした拙い約束が、私の生きる導だった。
遥か昔に見た、彼の笑顔こそが、私を何より生かしてくれた、光だったのだ。
重い沈黙が喉を詰まらせる。彼ももう、いたく煩わしげに頬杖をつき、不機嫌な紫を窓の外に向け、こちらを一瞥もしない。話があるなら早く済ませろと言わんばかりの態度だ。
これ以上、お忙しい身の上にある彼をいたずらに縫い留めるわけにもいかないだろう。
「長きにわたり、お心を煩わせて申し訳ありませんでした。我が父の亡き今、果たすべき義理もあって無いようなものであり、テオドール様の婚約者の地位は……私には分不相応に過ぎるものでございます。今この時を以て、謹んで返上いたします」
今、彼の顔を直視すれば、きっと呪いのような未練をここに残してしまう事になるだろう。何故なら、この部屋を退出したら最後、私は辛うじて指一本触れていた雲の上から滑り落ち、彼をただ見上げるだけの凡百に成り果てるのだから。
堪え切れず、私は目を伏せて殿下のきまり切った返答を待った。聞くところによると、彼はこの二年の間に麗しい高貴の姫と随分懇意になって久しいのだとか。気分はさながら断頭台に上る受刑者だ。
しかし、いつまでたっても刃が振り下ろされることは無かった。
「貴方は、僕を捨てようって時にも、そんな生易しい綺麗ごとを並べるのですね」
「は……」
「婚約者の立場を返上、ですか……そんなこと、誰が何と言おうと、ええ、例え私の父が認めたことだろうと、僕は許しません」
「テオドール様……?」
「我慢の限界です。僕は貴方を尊重しようと努めて、今までずっと、ずっと……っ!」
なぜ、貴方がそんな泣きそうな顔をしているのだろうか。私は、せめて潔く身を引けば、貴方の喜ぶ顔が、貴方の幸せな未来が、遠くからでも見れると思っていたのだ。私はまた、間違ってしまったのか。
どうすれば私は、貴方を笑わせることが出来るのだろうか。
「ハハッ、その結果がコレ、か……そう、それなら、僕はもう、自分を抑えるのなんて、金輪際、一切やめてやる」
「殿下……?」
「テオドール・ベルルング公爵の名を以て、ルーベルンゲン辺境伯ユリウス卿に命じます。先程の発言を撤回なさるまで、王宮を出ることは決して許しません。面会は以上、僕は次の予定がありますので、これにて失礼を」
吐き捨てるようにそう言って、彼は立ち上がり部屋を出ていった。事態への理解が全く追いつかず、私は室内にただ一人取り残された体だ。 フウ、とひとつため息をつき、精神統一のため瞼を閉じる。
彼の絞り出すような震えた怒声と、蒼白になった尋常でない顔が、脳裏にこびりついて離れなかった。
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