狼の婚約者 ―君の愛が、僕の呪いをほどくまで―

海野ことり

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⑧悪しき者

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 僕はミルコと二人、バスに揺られながら窓の外を見ていた。
 こうしてぼんやりしていると、ふと前世を思い出す。

 僕が死んだのは、高校三年生の春――卒業を目前にした三月のことだった。
 大学受験を終え、四月からの新生活に浮かれていたものの、長い休みに遊ぶ相手もいなくて、人生の中休みのようにぽっかりと時間が空いて虚ろだった。
 それでも閉じ籠もっているのが勿体なくて、ある日、気まぐれに街へ出た。

 花曇りの空の下、デパートを抜けて、工事中の幕の掛かったビルの前を通り過ぎたその時――。
 突然、幾つもの悲鳴が上がり、直後に世界が弾けるような衝撃を受けた。

 ぐしゃり、と何かが潰れる音。
 目が飛び出し、耳から血が溢れ、砕けた意識が霧のように散っていく。

 記憶も、五感も、思考も――僕を形づくるすべてが、指の隙間からこぼれ落ちる砂のように消えていった。

 痛い。魂が痛い。
 引き裂かれた肉体よりも、損なわれた魂の方が、耐え難く悲鳴を上げていた。
 死は優しいものではなかった。ただ、恐ろしく、辛く寂しく、惨めだった。
 僕はどうしてこんな理不尽な目に遭わされているのだと、誰かを心の底から恨んだ。

 けれど、その強烈な恨みすらも、やがて遠のいていった。
 すべてが薄れて、完全に消滅していく――そう思った瞬間、何かに強く引き寄せられた。
 そして気づけば僕はこの世界に生まれ変わっていて、十四歳になるまでその記憶は魂の底に沈んでいた。
 あまりにもおぞましい死だったから、無意識の内に思い出すことを拒んでいたのだ。

 僕の頭の上に落ちてきたのが何だったのか、今もわからない。
 もしかしたら、あの事故を引き起こしたのが「悪しき者」なのか。
 それとも――死にかけた僕をこの世界へと招いてくれた命の恩人なのか?
 でも、だとしても随分と乱暴なやり方だ。

 あのままなら、僕はきっと消えていたから、こうしてこの世界に生まれ変わったことには感謝している。
 けれど――殺されたことを、許せるかと言われたら、それは別の話だ。
 なんで僕が、あんな目に遭わなければならなかったのか。理由を知りたい。問い詰めたい。

 悪しき者。古い力。
 それが何であろうと、僕は今生まで、思い通りにはさせない。

 そのためにもディーノに会って、その力が本当に役に立つのか確かめたかった。
 ――そんな都合のいいことを考えていたのが悪かったのか、訪問は延期になってしまった。
 しかも、無期限の。

(えっ? 僕って、もしかして歓迎されてない……?)
 父は「向こうは婚姻に積極的だ」と言っていたから、てっきり請われている立場なんだと思っていたけれど。
 もしかして家のための、単なる義務感だったのかもしれない。
 確かに、僕の取り柄なんて「可愛い」ことと家柄くらいで、この世にはもっと上がいくらでもいるだろう。

「いないよ。幾ら探しても、君みたいに奇跡的に美しい人はいない」
 ミルコにそう言われて、照れるよりもげんなりした。

「ちょっとやめてよ。幼馴染みに美しいとか言われると引くから」
「前から思っていたけど、君の自己認識はずれてるよ。どうしてそんなに低く見るんだ? 謙虚を通り越して害だよ」
「う……」
 だって、前世があんな終わり方だったし、僕の中身はあの地味な高校生のままだもの。
 この外見はまるで借り物みたいで、どうしても引け目を感じてしまう。
 しかも中途半端に獣の特徴を持つ身体にも、まだ慣れない。
 くるんと巻いた小さな羊の角。
 柔らかなミルク色の毛に覆われた身体。
 そして、そこだけベイビーピンクの……うう、まるで赤ちゃんみたいで恥ずかしい。

「まあ、君が美貌を鼻にかける様な奴じゃないから僕も気楽に付き合えるんだけどね」
「ミルコが友達でよかったよ」
「……そういうとこだってば」
 照れている幼馴染が可愛い。
 前世では親友も兄弟もいなかった僕にとって、ミルコの存在はかけがえがない。
 思わず抱きしめて頬を擦り寄せた。

「照れてるミルコは可愛いなぁ」
「だからお兄さんぶるなって! 世話してるのは、僕の方だろ!」
「しっかり者の弟で助かるよ」
「弟じゃない!」
 腕の中で暴れるミルコを可愛がっていると、コルシカ家の双子がいつの間にか目の前に立っていた。
 どうやら同じバスに乗っていたらしい。

「チェーリオ! 学校の外で逢うなんて珍しいね」
「この近くに用事があったんだ。それより、君たちは今日も一緒か。本当に仲がいいね」
「子供の頃からの付き合いだから」
「家同士が親しいのだっけ?」
「そう。気が付いたら隣にいた」
  同じ家屋敷で育った訳じゃないけど、感覚としては一緒に育ったに近い。 
  ミルコがいなかったら、僕の二度目の人生も随分と味気ないものになっていただろう。

「用事って、この辺りに何かあった?」
  ここは街の外れなので、僕たちのように紡績工場に行くのでもなければ、用なんて無さそうなものだけれど――。

「この近くで大きな事故があったんだ。チェーザレは事故現場に行くのが趣味だから」
「最近は足が遠のいていたんだけど……エミーリオも、事故現場に行こうとしてたのか?」
 何故か目を光らせて聞いてくるチェーザレから、身を引きながら否定する。

「僕たちは工場に、生地のサンプルを貰いに行く所だよ」
「ああ、おつかいか。でも時間があるなら、エミーリオも一緒に行かないか?」
 なんだこいつ。ミルコもいるのに僕だけ誘うなんて、失礼な奴だな。

「行かない。僕らは忙しいんだ」
「ほんの少しだから」
 やけに熱心に誘われて心底、鬱陶しい。おまけにこちらに伸ばしてきた指の先から、なんだか紫色の靄が出ているような――。

「エミーリオ!」
 ミルコがボケっとした僕を背後に被った。そして凛として言い放つ。

「チェーザレ、エミーリオは断っただろう。引き際が悪いよ」
「……ミルコも来ても良いよ?」
「そんな顔で言われてもね」
 嘘臭い笑みを浮かべるチェーザレと、目は笑っていないのに口角だけを上げたミルコが一触即発の雰囲気で怖い。

「チェーザレ、事故現場はデートに向いてないよ」
 何処かピントの外れたチェーリオの口出しに、僕も全力で乗っかる。

「服も汚れるし、危ないし、ミスチョイスだね!」
「エミーリオ……本当に? 本当に事故現場に興味はないのか?」
「ない」
 寧ろ前世を思い出すから近付きたくない。

「……そうか。共に行くのでは出逢ったことにならないものな。それに運命なら、慌てなくても必ず出逢える。必ずだ」
 ブツブツと自分に言い聞かせるように呟くチェーザレが怖い。
 運命なんて何処が良いんだろう? 僕はそんなの信じないけど、避けがたい運命というのは最早呪いじゃないか。呪いならばかからない方が良いに決まってる。運命なんて、僕はいらない。

「さようなら」
 僕は双子に別れを告げ、ミルコの手を取ってバスを降りた。走り出したバスの窓越しに、山羊の顔が見えたので思わず二度見した。

「エミーリオ? どうしたの?」
「今、山羊の獣人が――」
「珍しいね。彼らは山間部にしかいないのに」
「いや、見間違いだったかもしれない。人の体に山羊の顔だったし、黒い山羊だったし」
「ちょっと、エミーリオ」
「ごめん。見間違いだ」
 黒い山羊はその昔、不吉だという言い伝えにより迫害されて数を減らした。だから黒い山羊はもう見掛けない。いるのは茶色や白い山羊ばかりで、少なくとも完全変態をした黒山羊はいない。だから見間違いだ。
 そう思うものの、どうにも気になって仕方がない。だって黒い山羊は前世でだって不吉だった。

「悪魔……」
「えっ?」
「いや、なんでもない」
 実はこの世界に悪魔という概念はない。天使はあるのに対になるものがいないのは不思議だけれど、ないものはない。代わりに悪いもの、不吉なものって考え方があって、悪いことは遠ざけて回避する。
 遠ざけるには強いものを身の回りに置くのが良い。モンドさんのアドバイスも、そこから来ているのだろう。
 その風習に従うなら、僕にとってのベストは悪しき者が遠ざかるまでディーノに側にいて貰い、いなくなったらはいさようならって――流石にそれはどうなんだ?

「エミーリオ、ウンウン唸ってどうしたの?」
「いや、流石に自分の行動が恥ずかしくなってきてさ」
「恥ずかしい?」
「だって僕は、ディーノを利用することばかり考えてる。応える気持ちもないのにさ」
  男なんてとか、年下は嫌だとか、婚約は破棄するとか。散々に嫌がっておいて、使えるところは使おうなんて虫が良すぎる。
  けれどミルコは大きく否定した。

「そんなのは当たり前じゃないか、それも駆け引き。僕なら惚れさせて逃がしたりしない。君は優しすぎるんだよ、エミーリオ」
「………」
 やけにじっと見つめられて目がチカチカする。
 凄い。これが本物のラテンの男。

「ミルコはそんなに好きな人がいるの?」
「……さあね。秘密だよ」
 ふいっと視線を外されて、僕は胸がモヤモヤした。幼馴染みが少し遠くにいってしまったような気がした。
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