狼の婚約者 ―君の愛が、僕の呪いをほどくまで―

海野ことり

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⑨夢で逢う男

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 相変わらずオルシーニ家への訪問が叶わないので、僕は手紙を書くことにした。
 貰ったピアスと指輪のお礼、それからお返しに何か贈りたいけれど欲しいものはあるか、という内容だ。

「近頃は夢見が悪いとか、コルシカ家の双子の兄に迫られて困ってるとか、そういう近況も書いたら?」
「ミルコッ! 人の手紙を覗くな!」
 僕は慌てて書きかけの手紙を隠す。けれど、どうして夢見が悪いなんて知っているのだろう?

「君が物憂げにため息なんてつくから、親衛隊が浮足立って仕方がない。それに、うたた寝や眠気をこらえて涙ぐむのもやめたほうがいい」
 どうやら寝不足のせいで、クマの浮いた顔を心配されていたらしい。

「心配をかけてごめん。夢を見なければいいんだと思って、徹夜してたんだ。最初はうまくいったけど、その代わりに一度眠ったらなかなか起きられなくなってね。どんなに大音量の目覚ましをかけても、悪い夢から抜けられないんだ」
「どんな夢を見てるの?」
「山羊の顔をした男が出てくる。その男が僕に酷いことばかり言う」
「酷いことって?」
「……ヒミツ」
 ――言えるわけがない。
 前世の僕が飛び降り自殺に巻き込まれて死んだこと。そして僕を殺した男が、この世界に生まれ変わっているなんて。

『そいつに会いたくはないか?』
 山羊顔の男が甘い言葉で唆すが、僕はきっぱりと断る。
 会いたくない。
『恨み言を言いたいんじゃなかったのか?』
 前世のことなんて、もう忘れた。
『ウソだ。忘れられないほど痛かっただろう?』
 ああ、痛かったよ。あの痛みを、生まれ変わったくらいで忘れられるはずがない。
『俺なら教えてやれる。お前を殺したのが誰か、なぜ巻き込まれたのか、なぜ死なねばならなかったのか』

 ――なぜ僕が死ななければいけなかったのか。
 理由があるなら知りたい。前世を思い出してから、ずっとそう思ってきた。
 でも、この男に尋ねてはいけない気がした。
 だから僕は全力で断る。ノーと言える元日本人なのだ。

「エミーリオが意外と強情なのは知ってる。でもこのままじゃ君が倒れてしまう。僕に君の夢の番人は出来ないけど、一緒に眠ることは出来るよ?」
 凄い。ミルコの口から流れるように口説き文句が出てきて吃驚した。
 幼馴染みにさえも歯の浮くようなセリフを言えるとは、お兄ちゃんは彼の将来がちょっと心配だぞ。

「そこまでする必要は――」
「本当にない?」
 心配そうに眉を下げたミルコに問われ、フッと肩の力が抜けた。
 ミルコに強情を張っても仕方がない。

「そうだね。誰かが一緒に寝てくれたら悪夢も近寄ってこないかも。それに起こしても貰えるしね」
「誰かじゃなくて僕が一緒に寝てあげるってば」
「うん、頼むよ」
 ミルコは強そうには見えないけれど、あのファンキーなピンク色の羽毛に包まれて眠ったら、楽しい夢が見られそうだ。
 僕は夢のことは伏せたまま手紙を書き終え、オルシーニ家へ届けてもらった。
 その夜は久しぶりにミルコが泊まりに来て、同じベッドで眠ることになった。

 ***

「言い出したのは僕だけど、君はもう少し危機感を持ったほうがいいと思う」
「危機感?」
 大きな枕を抱えたミルコが言う。僕は小首を傾げた。
 彼と一緒に寝て何の危険があるというのか。

「ミルコのことは信用してるよ。寝相が悪くて蹴られても、暴漢が来た時に一人だけぐっすり眠ってても怒らない」
 安心してほしいと言ったら、ミルコはうなだれて枕に顔をうずめた。
 そして「そうじゃない」とか「釘を刺されてるから手を出せない」とか、ぶつぶつ呟いている。僕、何か間違えただろうか。

「ミルコ? どうかした?」
「どうもしないよっ! 一人で浮かれていた僕が馬鹿みたいだけど別に良いんだ。わかってたし、今日は君の眠りを守るのが目的だからねっ!」
「頼りにしてる」
 僕はそう言って微笑んで、隣に潜り込んできたミルコにくっついた。
 温かい。小鳥の獣人は柔らかくて温かくてふわふわだ。

「エミーリオだって柔らかいし、なんか甘くていい匂いがするし、寝息とか可愛くて――ってもう眠ってるのか! 早いよ!」
 だって、すごく安心したんだ。
 子どもの頃から一緒にいたミルコが隣にいる。誰かの体温が、自分は一人じゃないと教えてくれる。
 山羊が僕を惑わせようとも、心を乱してこようとも、もう平気。地獄へ帰れって言ってやる。
 ――そう思っていたのに、僕はやっぱり悪夢を見たし、山羊顔の男に言われた最初の言葉がそれを打ち砕いた。

『お前の思うような地獄などない。天国も地獄も、すべては地上に共にある』
 地上に、共にある……?

『だから俺は消えたりしない。次に逢う時が、少し早いか遅いかの違いでしかない』
 それは、人は必ず追いつかれ、必ず負けるという意味だろうか。
『そうだ』

 ほんのわずかな躊躇いがあった。その瞬間、僕は悟った。
 ――嘘だ。人は追いつかれても、必ず負けるとは限らない。
 そしてその勝ち負けの形が問題になってくる気がする。

『負けは負けだ。お前たちに勝ちはない』
「うるさいな……。僕は勝たなくてもいい。ただ負けたくないんだ。今度こそ、無事に寿命を全うするって決めてる」
『寿命? 永遠の命が望みか?』
「まさか。永遠に生きても、一人じゃ意味がない。僕はただ、理不尽な死を避けたいだけだ。誰かの思惑や横槍に邪魔されず、自分の生を全うしたい」
『だが、それを邪魔する者がいる』

 ――邪魔?
 もしかして、前世で僕を巻き込んだ奴は、今世でも僕を道連れにしようとしているのか。
 僕を一度殺しただけじゃ飽き足らず……。
 怒りで頭が沸騰する。

『前世で結ばれた縁は、まだ切れていない』
「どうして! そんなの、僕が望んだわけじゃないのに。一方的で、迷惑なのに!」
『だから言っただろう。地獄は地上にあると』

 絶望しかけたその時、ふと体が温かいことに気づいた。
 ――そうだ。僕はもう一人じゃない。
 お前は“天国も地上にある”と言ったな。
 ならば、地獄も天国も、友人も、悪縁も、全部ここにある。
 そこから欲しいものだけを選べばいい。僕がその因縁とやらを断ち切ってみせる。

『だから、それを俺が手助けしてやる』
「うるさい! お前なんか必要ない! 僕には友達がいるんだから!」
『友……果たして、どこまで信じられるかな?』

 山羊頭がいやらしく笑ったところで、僕は目を覚ました。
 部屋の中はまだ薄暗く、右肩の方に丸まった影が見える。
 なんだか髪が濡れていて、少し冷たい。――ミルコのやつ、また僕の髪を食べたな。
 僕はくすくす笑い、そっと目を閉じた。

 状況はあまり良くない。
 泣きたくなるようなことばかりを聞いて、胸が痛んだ。
 それでも、もう焦ってもいないし、悲観もしていない。
 なんとかなるだろう――諦めではなく、開き直りにも似た静かな覚悟がある。

 それよりも今を、もっとちゃんと生きたい。
 僕を「綺麗だ」と言ってくれる人たちの言葉に耳を傾け、この身体で恋をして、前世ではできなかったキスやその先のこともしてみたい。
 ――僕のこの身体を、僕が愛さなければ。

 赤く色づく唇を指でなぞり、細く滑らかな首筋を撫でる。
 前世とは違う肌の感触、なだらかな胸の膨らみ。
 そのまま手を下に伸ばしかけて、はっと我に返った。
 ――馬鹿。隣にミルコがいるんだぞ。
 それにまだ、自分のあれに触れる勇気はない。

 うん、今度にしよう。
 今はせっかく訪れた夢のない眠りを、静かに味わおう。

 僕は傍らの小鳥のぬくもりを感じながら、穏やかに目を閉じた。
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