狼の婚約者 ―君の愛が、僕の呪いをほどくまで―

海野ことり

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⑩真夜中の訪問者

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 ディーノから手紙の返事が届いた。
 もう少しで逢いに行けるから待っていてほしい――それまでにまた手紙をくれないか、という短い内容だった。

(え、今さら文通?)

 正直、少し面倒くさいと思った。けれど、あの仔犬が手紙を書けるようになったと思うと和むし、嫌われていたわけではないとわかって安心もした。だから僕は「いいよ。でもディーノも書いてね」と返事を出した。

 最初のうちは無難な内容を書いていたのに、書き進めるうちについ筆が滑った。
「(可愛い仔犬だった)君の成長した姿がとても楽しみ」
「(役に立つか知りたいので)早く逢いたい」
「二年も待った(放置された)んだから、いい加減顔が見たい(でなきゃブチ切れそう)」
……などと書いてしまったのだ。

 後から読み返して、「これ、ラブレターみたいに見えない?」と気づいたが、もう遅い。まあ、婚約者宛ての手紙だから、別にいいか。

 それにしても、どうしてこんなに待たせるのか。
 二年以上経っても獣性のコントロールは難しいものなのだろうか。

(いっそ狼の姿でも構わない、というか僕はむしろその方が良い。男と結婚するより、狼と結婚する方がマシだ。うん、次の手紙にはそう書いてみよう)
  僕は良いことを思い付いたとばかりに手を打って、それから直ぐにそんな訳にはいかないだろうと項垂れた。往生際が悪いのはわかっている。
   
(あ~あ、結婚したら僕の身体も見られちゃうんだよな……)
 自分をちゃんと好きになろう。そう決めてから、僕は改めて鏡を見るようになった。
 陽に透けるオレンジブロンド。ビスクドールのように整った顔。柔らかな和毛に覆われた肌は天鵞絨のように滑らかで、ぷりんとした尻はハート型。尾てい骨の辺りに生えた小さな尻尾は撫でると少しくすぐったく、前世にはなかった器官だけれど、気に入っている。

 ただ――僕が戸惑っているのは、毛が薄い部分だ。
 そこだけ地肌が見えていて、なんだか恥ずかしい。ハゲではない。けれど、人に見せるには抵抗がある。

(みんな、こんな色と形なの? なんか赤ちゃんみたいじゃない?)
  仲の良いミルコのすら見たことがないから、僕にはこれが普通かどうかわからない。
 この世界は奔放なようでいて、肝心なところは見せない文化が根付いている。
 特に上流階級の僕やミルコは、どれほど親しくても裸にはならない。
 性教育はされるけれど、それはあくまで「仕組みの説明」で、実物なんて見たことがない。

(僕はもうすぐ成人なのに……。羊の獣人ってみんなこうなの? 全然男っぽくならないんだけど)
 前世で僕がなりたかったのは、陽気でワイルドなラテン系のジゴロだった。胸毛が生えていて、日に焼けた腕に金色の毛がきらめく――そういう理想があったの。
 でも、現実の僕の手は白く、指も細くて、なんだか頼りない。
 正直、こんな身体を誰かに見られるのは怖い。

 相手が仔犬のままならまだよかった。
 でも、成長した少年に見られて笑われたらどうしよう。
(お前の身体、変だな)なんて言われたら――。

 そうだ。結局僕はまだ自信がないんだ。
 生まれ変わって綺麗になっても、心は地味なまま。
 臆病で、弱くて、こんな自分が嫌になる。

「はぁ……」

 ため息を吐いて、何度目かの寝返りを打った。
 悪夢が消えたと思ったら、今度は別の悩みで眠れない。

「いっそのこと女の子に生まれ変わればよかったのかな」
 そうしたら、結婚相手が男でも悩まなくて済んだのに。
 でも、前世も男だった僕には、女の自分なんて想像もつかない。

「やっぱり、結婚なんて無理だ」

 断ろう、と上半身を起こしたその時――
 月明かりが差し込み、部屋がふっと明るくなった。
 振り向くと、大きな窓の中央に黒い影が立っている。
 鍵は掛けたはずなのに。

「や……来ないで」
 かすれた声しか出なかった。
 ベッドの上で身を起こし、じりじりと後ずさる。
 月光に照らされたその影は、長い黒髪を靡かせ、彗星のような銀糸が間に瞬いた。黒装束に包まれた肢体は、まるで夜そのものだ。
 ――どこかで見たことがある。

「もしかして……前に逢った? 僕を助けてくれた人?」
 そう問いかけた瞬間、その影が風のように近づいてきた。

「ヒッ!」
「エミーリオ、逢いたかった」
 それは少年の声だった。
 え、少年? もしかして、相手は子供なのか……?

「エミーリオ、遅くなってごめん。もう嫌いになった? 呆れちゃった?」
「ちょ、ちょっと待って! その悄気た顔……まさか君、ディーノ・オルシーニ!?」
「そうだよ。やっと逢えた!」
 次の瞬間、勢いよく抱きつかれた。
 頬を擦り寄せられ、耳のあたりを鼻で探られ、くすぐったい。
 でも懐かしい匂いがする。

「ディーノ、擽ったいってば」
 笑いながら肩を押し返そうとしたとき――唇を塞がれた。
 息が止まった。ぬるりとした舌が侵入し、頭が真っ白になる。

(や、やだ……! 知らない、こんなの……!)
 必死に押し返すのに、びくともしない。
 熱い舌が絡みつき、息を吸おうとすればまた奪われる。
 涙が頬を伝って、情けない顔で見上げると、彼は優しく微笑んだ。

「ふふ、可愛い」

(笑うな! 誰のせいで泣いてると思ってるんだよ!)

「エミーリオ、呼吸も甘いんだね」
  無邪気な顔でそんなことを言いながら、ディーノはまた唇を啄んだ。チュッ、チュッと音がして、胸の奥がざわめく。

「ちょ、ディーノ! 僕はこんなこと許してない!」
「やだ。するって決めてた」
(やだ、じゃない! ほんと子供か!)

「ずっと逢いたかった」

 切なげな声で言われ、胸の奥がきゅっとなった。
 でも再び舌が絡んできて、僕は悲鳴を飲み込む。

「んうっ……!」

 ディーノの腕が僕の頭の両側に置かれ、体を覆い尽くす。
 頬に触れる髪の感触は柔らかく、でも唇の熱は生々しい。
 舌が擦れ合い、ちゅるりと吸われるたび、背筋が震えた。
 もう、意識を保つのがやっとだった。

 抵抗できずに固まる僕を見て、ディーノは嬉しそうに目を細めた。

「可愛い。……こういうの、慣れてない?」

「あ、当たり前だっ!」
「エミーリオは綺麗だから、きっとモテると思ってたのに」
「口説かれて、誰とでも寝てると思った?」
 睨むと、ディーノは慌てて首を振った。

「違う! 慣れてないのが可愛くて……意外で。俺より年上だと思ってたから……本当に、可愛い」
(可愛い可愛いって、馬鹿にされてるみたいだな。でも悪気はないんだろう)
 僕はため息を吐いて応える。

「奥手でも仕方ないだろ。恋をしたことがないんだ」
「俺にしてよ。俺に恋をして?」
 まるで散歩に誘うみたいに軽く言われて、肩の力が抜けた。

「簡単に言うなよ。僕はまだ君のことをよく知らない。……知り合うところから始めないと」
「じゃあ、デートしよう」
「デート?」
  僕は初めてのデートを思い出し、ちょっと苦い気持ちになった。
  チェーザレとしたデートは余り楽しいものではなかった。けれどもディーノは、僕の気分などお構い無しにベッドから立たせた。

「行こう」
「い、今から!?」
「夜は俺の世界だ」
 そう言って微笑む彼は、まるで夜そのものだった。
 闇の王のように尊大で、恐ろしいほどに美しかった。
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