狼の婚約者 ―君の愛が、僕の呪いをほどくまで―

海野ことり

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⑮君と重なる夜

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 ディーノから、返事がこない。
 あんなに謝ったのに、丁寧に書いたのに――無視だなんて。

「ディーノの馬鹿……唐変木」
 口ではそう言いながら、胸の奥がきゅっと痛む。
 狼になってくれなんて軽く頼んだから? あんな姿を見せたから? 
 恥ずかしい声を聞かれたから? 考え出すと止まらなかった。

 気づけば手が、夜着の上から自分の腹を撫でている。
 指先が熱を探して、少しずつ下へと滑っていく。
 頭の中では、あの夜のディーノの息遣いを思い出していた。

「……ディーノ」
 触れた途端に、身体が震えた。
 想像の中の彼の大きな体が、僕を抱きとめてくれる。
 その幻があまりに鮮やかで、それがただの妄想であることが切なくて、寂しさが募る。

 自分の手じゃ、虚しいだけだよ。
 すん、と鼻を鳴らしたら夜気に森林の匂いが混じった。
  シダーウッドの、深い匂い。
 どこで嗅いだか思い出そうとした次の瞬間には、ベッド脇に影が立っていた。

「……ディーノ!?」
 大きな獣耳を揺らし、半ば狼に変じた姿の彼がそこにいた。
 息は荒く、爪が伸び、冴え冴えとした月光のような瞳が濡れ光っている。

「手紙の返事を伝えに来たのに……一人で何をしていた」
  ゴロゴロと、地を這うような低い声が胸に響いた。
  強いプレッシャーに身が竦み、縫い付けられたように動けない。指先ひとつ動かしても危険だ。
 けれどその腕が伸びてきた瞬間、彼は自分でも驚いたように動きを止めた。

「……ダメだ。これじゃ、あんたを傷付けてしまう」
 ディーノは苦しそうに顔を背けた。
 狼の血が暴れ、爪先が床を掻く。
 僕を怖がらせたくなくて、必死に衝動を抑えている彼に愛しさが込み上げる。

「大丈夫だよ。僕はそんなにやわじゃない」
 僕が手を伸ばすと、ディーノの瞳がわずかに揺れた。

  ――大丈夫。君の爪が僕を傷付けるはずはない。
 熱を持つ掌をそっと包み込むと、彼の呼吸が少しずつ落ち着いていく。
 心臓の鼓動が、触れ合った指先から伝わり、僕の鼓動も寄り添っていく。

「俺はエミーリオを傷つけたくないのに、近づくと興奮してしまう。昂りを抑えられない」
「そんなに僕が好き?」
「……好きだ」
  無骨な言葉に、僕の心が空高く舞い上がった。

 (好きだって!)

「ディーノ……可愛い」
 思わず呟いた言葉に、ディーノの耳がぴんと立った。
  彼はチラチラと僕の様子を窺い、それからそっと抱きしめる。
 獣の力が混じった腕なのに、抱擁は思いのほか優しい。
 僕の髪を撫でながら、ディーノは震える声で言った。

「……エミーリオの匂いがする。懐かしくて、すごく安心する」
  彼は僕よりも大きな体で、縋り付くように僕を抱きしめる。
  僕はこの不器用な獣人を放って置くことなど出来ない。
 彼は精一杯に、僕のために獣の衝動を抑えようとしてくれた――そのことが嬉しかった。

「僕ね、君の黒と銀の髪も、狼の耳も好きだよ。全部、君のものだから」
 ディーノはゆっくりと顔を上げ、額を僕の額に寄せた。
 鼻先が触れ合い、呼吸が重なる。
 それだけで、親密な空気がふたりを包んだ。

「……エミーリオ。俺、ずっと、あんたに逢いたかった」
「うん。そうだね」
 互いの呼吸が溶け合い、沢山の言葉を交わすよりももっと深く分かり合えた気がする。
  僕たちはそのまま暫くじっと互いの温もりだけを感じ取っていた。

***

 静寂の中で、ディーノが深く息をついた。

「……エミーリオ。俺の一族のことを、ちゃんと話しておきたい」
「一族のこと?」
 彼は少し逡巡してから、ベッドの端に腰を下ろした。

「俺たちオルシーニ家は獣の血が強い。特に一族を率いる長には霊力が備わり、その力を御せないと自身が飲み込まれる」
「飲み込まれるって、具体的にはどうなるの?」
「なりそこない、闇堕ち、バケモノ――色々な呼び方があるけど、理性をなくした獣は一族内で処理される」
「……怖いね」
  それは必死になるわけだ、と納得する僕に向かって、ディーノは首を横に振る。

「違う。俺が本当に怖いのは、エミーリオをこの手で傷付けてしまうこと。だからなかなか会う決心がつかなくて……それでも逢いたくて、見苦しい姿をさらした」
  後悔の言葉をこぼすディーノの気持ちが温かい。

「……そんなに、僕に逢いたかったんだ?」
「当然だ。あんたは俺の婚約者で、憧れで、初めて優しくしてくれた……光り輝く宝物なんだ」
 ディーノはそう言って優しく笑ったが、その目の奥には影があった。

「でも俺の血が、いつかあんたを傷つけるんじゃないかって、それが怖い」
 大きな彼が小さく見え、僕はその手を握り返す。

「僕はそんなに弱くないよ」
「いや……俺が、俺自身を信じきれない」
「……だったら君は、君を信じる僕を信じればいい」

 その言葉を口にした瞬間、胸の奥にずっと沈んでいた古い傷が疼いた。
 僕は息を整え、かすかに笑う。

「実はね、僕も臆病なんだ。いつも何かに怯えてる。死ぬのも、生きるのも怖い。前を向こうとすると、痛みを思い出して……足が、止まる。ね、臆病だろう?」
  そう言って無理に笑ったら、ディーノの温かい手が冷たく冷えた頬を包みこんだ。

「無理しなくていい。俺の胸で泣いて、悲しみを全部流してしまえばいい」
「……重いよ」
「あんたを背負えるくらい、強くなる」
 そのまっすぐな声に、何も言い返せなくなる。
 僕は目を伏せ、彼の胸に顔を寄せた。
  シダーウッドの落ち着いた香り。
 獣の名残りを留めた体温が、確かにそこにあった。

「……ありがとう。少し、楽になった」
  初めて人に打ち明けたことで、僕の気持ちは驚くほど軽くなった。
 彼の鼓動が静かに脈打つ。
 カーテンの隙間から差し込む光が、ふたりの影を床に伸ばした。

「もう、朝がくる」
「うん。夜が終わるね」
  僕たちが会える夜が終わる。
  世界中の二人きりのような、親密な夜が。
 ディーノは答えの代わりに、僕の髪を一度だけ撫でた。
 その掌が離れても、胸の奥に灯った火は、もう二度と消えることはなかった。
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