狼の婚約者 ―君の愛が、僕の呪いをほどくまで―

海野ことり

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⑲夜明け前

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 僕は窓から、オレンジ色の空が沈んでいく様子をじっと見ていた。
 日が暮れても、夕食を済ませても、ディーノは戻ってこなかった。

「ダンテ!夜までには戻るって話だっただろ!」
 そう声を張り上げたら、バサバサと羽ばたく音がしてカラスが降りてきた。

「おい、飯も食わせずにヒステリーか?」
「あっ、ごめん!ダンテもご飯を食べるの?」
「いや、人の飯は食わねえ」
「なんだよ!」
 僕はムッとして頬を膨らませる。ダンテは器用に仰け反って笑った。
 カラスが笑う姿なんて始めてみたよ。

「心配するな。問題はねえよ」
「でも――」
「忘れたのか?俺はあいつと繋がってる。何かあればわかるって」
 そう言って肩(?)を竦めるダンテを見て、少し落ち着いた。
 但し理由は知りたい。

「じゃあ、なんで戻らないの?」
「あいつは師匠に呼ばれたんだ」
「……師匠?」
 聞いたことがあるような、ないような。眉を寄せる僕に、ダンテは翼をひと振りした。

「ディーノの制御は、まだ完璧じゃない。やばい時には師匠頼みなんだ。 ありゃあ、化け物みてぇな婆さんだからな」
「婆さん……強そうだけど、怖そう」
「怖ぇよ。すげぇ怖ぇよ。俺なんて、一声で羽むしられっからな。けど悪い奴じゃねえ。あいつに何かあれば、真っ先にぶっ叩くタイプだ」
 ダンテが生き生きと語るので、僕もなんだかそのお婆さんをよく知っているような気がしてきた。
 この世界の老人は、たまにものすごい進化を遂げるので油断ならない。

「じゃあ……本当に、大丈夫なんだね?」
「ああ。あいつは無事だ。まあ、息はしてる。俺が保証する」
 ちょっと別の不安を感じるけれど、一先ず胸を撫で下ろした。
 ディーノが戻ってこないとなると手持ち無沙汰で、僕の視線はやっと馴染んできた刻印に向く。
 今はもう、本当に薄っすらとしか文様が見えない。

「ねえ、ダンテ。僕にも……霊力が、あるんだよね? 獣化したりは――」
「出来ねえ。あんた自身の力は強くないからな。波長が合いやすいって言ったらわかるか?」
「う……わからない」
 僕はこれまでそういう世界とは無縁だったのだ。

「じゃあ、僕はただ見えたり引きずられるだけなの? その、悪しきものを引き寄せたり」
 僕は俯いて自分の膝をじっと見た。
 前世でも、霊と波長の合いやすい人がいるって聞いたことがある。そしてそれは、あまり良いことではなかったはずだ。
 ダンテはトトトッと机の上を歩いてきて、くちばしの先で羽を整えた。

「まあ、悪いことばかりじゃねえよ。見えなきゃ倒せねえしな」
「それじゃ餌じゃないか!」
 僕は自分を囮にするつもりはない。

「呵呵ッ! 実際に旨そうなんだから、仕方がない」
 ちょっと、まさかダンテも僕を食べる気?
 妙に含みのある視線を送られて、ちょっと身を引く。

「あんたの旨そうな気配は刻印で隠せてる。夜はちっと陰るが、俺がいるから問題ない」
「ってことは、外に出ても平気?」
「おいおい、どこに行く気だよ!」
 ダンテがバサリと大きく羽を広げたが、僕は怯まずに言った。

「ミルコのところ。彼にもうずっと会っていない。兄さんたちと一緒なら安心だけど――だけどさ」
 幼馴染の彼を弟のように思っているので、僕はどうしてもこの目で直接無事を確認したい。
 それに妙な胸騒ぎがする。

「あんたが気になるなら、何かあるのかもな。……よし。ちょっと偵察してくる」
 そう言うとダンテは夜空に紛れるように羽ばたいて消えた。
 僕は鳥目じゃないのかな、なんて馬鹿なことを考えてから頭を振り、サンテス家へ家の者を使いに出した。
 けれど使いは空手で帰ってきた。

「今はお忙しいので、落ち着いたら招待するとのことでした」
「忙しい? どうして?」
「それは、わかりませんでした」
「そう、ありがとう」
 兄さんたちは僕に伝える気がない。けれども何かが起きている。
 多分、ミルコの身に。

「ダンテ、君だけが頼りだ」
 僕は祈るようにダンテの帰りを待った。
 そして払暁、暁け鴉が疲れも見せずに戻ってきて前置きもなく言う。

「あんたの勘が当たってた」
「何があったのっ!?」
 勢い込む僕に、ダンテは重々しく告げる。

「あんたの友達――ミルコが行方不明だ」
「はあっ!?」
「まる一昼夜、帰ってこない」
「そんな、兄さんたちは――」
「あの派手なフラミンゴ野郎共は、俺ほどじゃないが街に網を張り巡らしてた」
「網?」
「情報の、ネットワークさ」
 カラスから「ネットワーク」なんて言葉が出て面食らう。
 けれどダンテは大真面目だ。
 街角で立ち話をする男たち、不穏にざわつくカフェ、目立たぬよう私服で巡回する警ら隊――そのどこにも、ミルコが見つかったという話はない。

「どうする?」
「えっ? どうするって――」
 勿論、気持ちは今すぐに飛び出して探しに行きたい。
 けれども僕にはなんの当てもない。

「兄さんたちが探しても見つからないなら、兄さんたちの探していないところ……そんなところって、ある?」
 いくら考えても僕には思い付かない。

「……師匠に会いに行ってみるか?」
「え? 会えるの?」
「気に入られりゃな。気に入らなきゃ、挨拶した瞬間に叩き落とされるけど」
「怖すぎるんだけど!」
「でも婆さんなら確実だ。どうする?」
 どうするって――。
 僕は迷った。その師匠のところにはディーノもいるかもしれない。
 だったら彼に助けを求めることもできるかも、なんて甘えが一瞬顔を出す。でも――。

「ダンテ、僕はディーノの邪魔をしたくない。彼が師匠のところに行ったのは、僕の為だろう? だったら邪魔は出来ない」
 僕はまっすぐにダンテを見つめた。
 ミルコのことは大事だし、気が違いそうに心配だ。
 それでも許されないことはある。

「漢だねぇ。よし、あいつに内緒で会わせてやろう」
「え、いいの? 君は彼の使い魔なのに」
「いいさ。婆さんもきっと面白がる」
 機嫌よく笑うダンテが、僕を導く。
 昇り始めた太陽が眩しく、街を白く照らしていた。
 僕は微かに脈打つ刻印に指を這わせ、ひりつく肺に冷たい空気を入れた。
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