狼の婚約者 ―君の愛が、僕の呪いをほどくまで―

海野ことり

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⑳師匠はなんでも知っている

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 師匠はとても大きな、白い山犬の獣人だった。
(狼じゃないの?……いや、そこはどうでもいいか)
 僕はまだひりつく肺をゆっくり落ち着かせながら、深く一礼した。

「初めまして。ディーノ・オルシーニの婚約者、エミーリオ・ゼッポリーニです。突然の訪問、失礼します」
 頭を下げたままじっと声がかかるのを待つ。
 緊張する僕の耳に、ガランガランと鐘の音のような笑い声が聞こえる。

「長生きはするもんだ! まさか異世界から転生した魂を見るとはね!」
「っ!」
(どうして? 僕が異世界転生した魂だってわかったの!?)
 雷に打たれたように電流が走り抜けた。
 固まった僕の頭の上で、師匠が犬臭い息を吐いた。
 逆巻く白い毛に朝日がきらめく。

「お前の魂は、少し形が違うのさ。こっちの世界の器に無理やり嵌め込んだ……そういう匂いがする」
「匂い……?」
 僕の震えに気づいたのか、師匠は鼻で笑った。

「怖がるこたぁない。珍しいだけだ」
(珍しい“だけ”? その言い方が、怖いんだけど……)
 もっと詳しく聞こうか、と躊躇していたら先に師匠が尋ねた。

「それであたしに何か用かい? あの子に会いに来たんじゃないんだろ」
「あ、ディーノは――?」
「あの子は使いに出てる。そうだね、あと四、五日はかかりそうだ」
 鼻をヒクヒクと動かしてそう言った師匠に、僕はもう一度頭を下げる。

「力を貸してください。僕の友達がいなくなったのに、どこを探せばいいのかもわからない。彼は慎重な性格で、いつもなら危ない場所には近付かないけど……」
 けれど僕や兄さんたちの名前を出されたら、危険とわかっていても飛び込まずにはいられないだろう。
 彼は何よりも身内を大事にしている。

「そこのカラスが何を吹き込んだかわからないが、あたしは探し物は苦手だよ」
 べろりと大きな舌で唇を舐め、牙を剥いて見せた師匠に必死に縋り付く。

「ヒントだけでもわかりませんか?」
「……ふん。じっとしてな」
 そう言うと師匠は口を大きく開け、僕を頭からパクリと呑み込んだ。

(のっ、呑まれた!?)
 ぬるり、と生温かい感触に包まれ、僕は吃驚して固まった。
 まさか頭から喰われる日が来るとは思わなかった。
 でも、師匠はすぐにペッと僕を吐き出した。

「お前、ディーノに刻印されたね。お陰でわかりにくいったらありゃしない」
「守って貰えませんでしたけどね……」
「噛んでないだろ。ちょっと吸っただけさ。ほら、小鳥の居場所がわかったよ」
「本当ですかっ!」
「ああ。ピンク色のコマドリは、どうやら窓のない部屋にいる。地下室か、倉庫か――何人かと一緒に閉じ込められてるね」
 すごい。そんなことまでわかるんだ。
 僕は感心しながらそれで場所は何処かと尋ねた。

「ここからだと詳しくはわからない。実際に行ってみるしかないよ。ダンテに付いておいき」
「はい!」
 僕は渋るダンテを急かして踵を返し、何かに呼ばれたように師匠を振り向く。

「あの、お名前を聞いてもいいですか?」
「名前? あたしのかい?」
 目を丸くする山犬に笑いかける。

「だってあなたは僕の師匠じゃないもの。名前で呼んだ方がいいですよね?」
「……グリゼルダ。リゼでもゼルダでもいい。好きにお呼び」
「グリゼルダさん……ゼルダさんと呼びます」
「ああ」
 犬の顔で笑ったゼルダさんにもう一度頭を下げ、僕は今度こそ駆け出す。
 ダンテの体が空中で矢のように真っ直ぐに伸びる。

(ミルコ、すぐに助けに行くからね!)
 僕はどうやって助けるかも思いつかないまま、ひたすら走った。
 そしてその後ろで、ゼルダさんに足止めされていたディーノが食って掛かっているなんて、全く気付かなかった。

 ***

「お婆! どうしてエミーリオを一人で行かせたんだ!」
 ディーノは自分の存在を伏せ、エミーリオ一人で行かせたことが納得いかない。

「ディーノ、お前はあの子を囲い込んで閉じ籠めたいのかい?」
「そんなつもりはない! ただ今は危険だから――」
「危険から遠ざけるばかりが愛情ではないよ」
「でも、何かあったら……」
 力なく文句を言ったディーノに、師匠はグッと顔を近付けて囁く。

「いいかい、よくお聞き。自分を救えるのは自分だけだ。前世からの因縁を切りたいなら、まずは自分で動かなければいけない。誰かが救ってくれるなどと思っては駄目だ。神ですら、人を救うことは出来ない。お前はあの子の神になりたいのかい?」
「……恋人に、なりたい」
「はっ! だったらあの子を信じて待つことも必要さ。それにダンテがいるだろう? あのカラスは、お前の力の半分を持ってる」
 傍系で先祖返りのように力を持った師匠とは違い、ディーノは正統な狼獣人の血統だ。持って生まれた力は師匠よりも大きい。
 もしも力を分割できなければ、処分されていただろう。それがわかるから、ディーノは自分のことに関してはどこか投げやりだ。
 その代わり、自分の命も力も全てエミーリオに捧げればいいと思っている。
 尊いものを輝かせることが出来たら、自分の人生にも意味があったと思える。
 しかしディーノの気持ちを見抜いている師匠は辛らつだった。

「ディーノ、力を貸すことと押し付けることはよく似ている。あの子が重くならない分だけ、貸しておやり」
「……わかった」
 ディーノは不承不承うなずくしかなかった。

(いざとなれば、ダンテの両目を開く。そうすれば――)
 そんなことをすれば自分も世界もただでは済まないのだが、それでもそう考えるのは救いになった。

 ディーノは手の甲に浮かび上がった印にそっと口付ける。
 それはエミーリオには知らされなかった、狼一族の守護の刻印の代償で、エミーリオが受けた攻撃をその身に引き受ける印だった。

(この印が痛まなければ、エミーリオの身に何も起きなければいい。でも傷つくくらいなら、腕くらいくれてやる)
 エミーリオが傷ついた姿を想像するだけで胸が潰れそうなのだから。
 ディーノは一心にエミーリオの無事を祈った。
 そんな彼を、山犬の師匠が静かな目で見ていた。
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