狼の婚約者 ―君の愛が、僕の呪いをほどくまで―

海野ことり

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㉓過去との対峙

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 潜伏しているチェーザレの行方を突き止めるのは大変だった。でもダンテは優秀だし、しかも手下を持っている。使い魔なのに手下だって。

「それが俺の役目だからな」
 気負った様子もなくそう言ったダンテは、この街の空を牛耳っているのだという。
 ――そら? 烏だから?

「それより、チェーザレって奴には扇動家の素質があったみてえだな。今までのは小手調べとばかりに人を集めてる」
「そんなに人を集めてどうするの? 眠らせるだけじゃ社会に影響なんて――」
「さあな。治安を乱すならオルシーニ家の制裁を受けるし、法に背いたら罰せられる。そこに例外はねえ」
「……」
 もうそこまで話はいってるんだね。
 彼が無実ならいいけど、そうでなければ――遅かれ早かれ、裁かれることになる。

「いくぞ」
「うん」
 僕はダンテの先導で家を抜け出す。
 父上たちには悪いけど、すぐに戻って来るから。今回だけはごめんね。
 シクシクと痛む罪悪感から目を背け、見覚えのある路地を足早に進む。

「ねえ、ここはあまり治安が良くない地域だけど、本当にいるの?」
「だからだろ」
「そ、そっか」
 呆れたように言われてバツが悪い。
 二度目の人生だけれど、僕は箱入りなんだ。
 僕は案内されるまま、前に連れて行かれたクラブの前を素通りし、教会のような飾り気のない建物に入っていく。

 ――教会? 寄付はしてたけど、行ったことはないな。だって前世と違って、宗教施設というよりは養護院に近いもの。
 でも中に入ったらカーペットやら分厚いカーテンがやたらと豪華で、思っていたのと全然違った。それに子供の姿もない。

「こっちだ」
 院長室の前でダンテが止まった。この中に、チェーザレたちがいるのか。
 僕は深呼吸をしてからドアを開けた。

「誰だ!」
 鋭い声に、息を呑む。
 社長椅子エグゼクティブチェアに座った人の顔が紫色の濃い靄で覆われていて全く見えない。
 まさかここまで侵食されてたのか!

「エミーリオ……どうしてここに」
 ゆらゆらと顔を覆う靄が揺れる。
 怯んだ声で尋ねたチェーザレから視線を逸らせながら、チェーリオはいないのかと聞き返した。

「チェーリオは――用事で外に出ている。それよりエミーリオから来てくれるなんて、やっぱり運命なんだね!」
「運命? そんなんじゃない! 僕は君に言いたいことがあってきた!」
「いいよ、聞こうじゃないか。でもまずは、その薄汚い使い魔を処分してからだ」
 冷ややかな声に腹の底がスースーする。
 彼はこんなに冷たい喋り方をする男だったか。

「ダンテは優秀で、頼りになる相棒だ」
「相棒? 君はいつも一人だったろう?」
 孤独な僕を憐れむような、共感するような瞳は今世では見たことがない。
 ああ、やっぱり――。

「やっぱり君は、生まれ変わる前の僕を知っているんだね」
 胸がキリキリと痛み、悲しみがひたひたと打ち寄せる。
 ――せっかく同輩を見つけたのに悲しい。
 彼は僕の気持ちに気付かず得々と続けた。

「勿論だ。だって僕は、君を見ていた。教室の隅に一人で座り、誰とも会話をしない。でも、僕と目が合うと微笑んでくれたね。遠くから合図を送る君に応えたいのに、君は講座が終わるとすぐに帰ってしまったから、この関係を秘密にするしかなかった」

(教室? まさか高校の知り合い? いや、講座ってことは塾か!)

「……塾の講師だった?」
「そう!思い出してくれたんだね」
 チェーザレの嬉しそうな声とは反対に、僕の心は重く沈む。
 塾の講師なんて個別に覚えていない。亡くなる間際に目にした記憶もない。

「ビルの屋上から飛び降りた?」
「僕から見切りを付けたんだ!」
「僕を巻き添えにしたのは偶然?」
「いいや運命さ!」
「思い出したのは――」
「君と運命の再会を果たしたあの時だよ」
「あの時」だなんて言われても僕は覚えていない。
 固く閉じた目の裏で、処理しきれない感情が渦巻いた。
 短絡的に死を選んだ彼への苛立ち。
 僕を一方的に巻き込んだ理不尽さへの怒り。
 この世界で出会ってしまった不運や、僕がいなければ彼も思い出さずにいられたのかもしれないという悔恨。
 激情の渦に飲み込まれそうな僕に、一筋の光が差す。

「エミーリオ。あんたはどうしたい?」
 ダンテの声にハッと顔を上げた。
 漆黒の翼がぬらりと光るのを見て、僕は彼の人の長髪を思い浮かべる。
 ――ディーノ。夜を統べる獣の王。僕の番。僕に寄り添う気高い魂。

「チェーザレ。僕は前世を知る人と出会えたら、懐かしく話せると思ってた。灰色のビルや機械に埋もれた街。色褪せた、セピア色の風景」
 僕にとってそれはもう、古びた写真のように遠い。
 僕は持ってきた思い出袋をぽとりと落とす。口が開き、中からたこ焼きの絵や爪楊枝で作った国旗が飛び出した。

「懐かしさに、飲み込まれちゃいけなかった。あれは過ぎ去ったもの、遠い蜃気楼に過ぎない」
 そうだ。どんなに懐かしくても、もう二度と戻らない。
 僕は今、羊の獣人として生きてる。

「エミーリオ、何を言ってる? 君は僕を選んだんだろう! 一緒に死んで――」
「僕が大事なのは家族や友人。それから僕を愛する年下の恋人だ!」
 きっぱりと告げたら、チェーザレを取り巻く紫の靄がぶわっと拡がった。全身を紫色に包まれたチェーザレはもう人にも見えない。

「穢らわしい! お前たちは男同士だろう!」
「だからなんだ! 僕は彼を愛してる!」
 僕は叫び返してダンテの後ろに隠れる。
 熱湯が吹きこぼれるように溢れ出した紫の靄が、蛇のように僕に向かってきて気持ち悪い。

「エミーリオ、殺るか!」
「殺らないよ!」
 バタバタと部屋の中を逃げ回りながら脱出を試みる。けれど紫の靄が足首に巻き付いて、じゅわっとそこが溶けるような感覚に悲鳴を上げた。

「ひっ!」
「逃がさない! お前だけは、俺のものだ!」
 掴みかかってくるチェーザレが怖い。
 ダンテに邪魔されて上手く動けないみたいだけど、それでも僕のことだけは逃さないという執念を感じる。
 紫色の靄が触手のように僕に絡みつき、ズボンの裾やシャツの間から入り込んでくる。
 いやらしく這い回る蔦が僕の肌を舐めるようで、肌が粟立つ。

 ――やだよ。ディーノ以外になんてやだよ、触られたくない。
 泣きながら床を蹴ったら、刻印が光って熱く燃え上がった。

「ぐはっ!」
 チェーザレがうめき声をあげ、紫色の靄が緩む。僕は必死に抜け出して廊下に転がり出た。
 目の前に映る茶色いローファーの爪先。
 恐る恐る視線をあげたらチェーザレと同じ顔があって、僕は喉を裂かれるような悲鳴を上げた。

 怯える僕を見つめる淡い水色の瞳。
 どこか悲しそうで、恐怖と同時に罪悪感がこみ上げる。

 ――また傷つけた。
 くしゃりと表情が崩れ、歪んだ視界に白い手が映る。
 冷たい指先がそっと額に触れ、頭がぐらりと傾いだ。
 もう目を開けていられない。
 音が波のように引いていく。
 静かな世界に、僕はひとり残された。
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