狼の婚約者 ―君の愛が、僕の呪いをほどくまで―

海野ことり

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㉗襲撃

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 冬眠状態から目覚めたのは僕ひとりだった。
  結局、あの場にいた人は誰一人として助からなかった。
  僕は胸にこみ上げる感情を飲み込み、淡々と答えた。

「生きる気力、ですか」
「うん。それがないと――あっても、目を覚ますのはきつい」
 ここが現実だって実感もないのに、ぬくぬくとした繭から痛みを堪えて出ようなんて誰も思わない。

「では、番さまはどうして目を覚まされたのですか?」
 素朴な疑問に僕はチラリとディーノを見る。

「僕がいなくちゃ駄目だと思ったんだ」
「は? 誰が……」
 目をパチクリさせる私兵隊員に静かに告げる。

「背中が泣いてたからね。僕が抱きしめてあげないと」
 ……と笑ったけれど、隊員はピンと来ない顔をしていた。僕の胸には小さな棘のように不安が刺さったままだけれど、伝わらないみたいだ。

「あ、ではこっちに来たくなる何かを撒けばいいってことですかね」
 まるで餌付けみたいだと思ったけど、案外とそれで上手くいくかもしれない。
 僕は声が聞こえてないわけじゃないとか、頭はちゃんと働いてないとか、幾つかのことを話して放免された。
 それからディーノと二人きりになった部屋で、彼と正面から向き合う。

「さて、ディーノ。ダンテはまだ生きてる?」
「……わからない。力は奪われてないが、無事だとも言えない」
「……そう」
 僕は目を閉じ、彼の羽根の感触や笑い声を思い出す。
 ほんの少し一緒にいただけなのに、どうしてこんなに色鮮やかに思い出すのか。

「僕はね、世界を救うとか、悪を許せないとかそういう御大層な気持ちはないんだ。怖いものは怖いし、立ち向かう勇気だってない。でもね、もう一度ダンテに会いたい。嗄れ声で『泣くのはおよし、男だろ』って、僕をからかって笑う姿が見たいんだよ!」
 思わず涙を零した僕を、ディーノがしっかりと両腕で抱きしめた。

「エミーリオ、泣くな。そんなに泣いたら、目が溶けてしまう」
 不器用に慰められて、益々泣けてくる。
 僕は何か言おうと口を開きかけ、そのまま硬直する。
 なんか背中がゾワゾワして、虫が這い上ってくるような嫌な感覚。

 ――なっ、なにっ?

「エミーリオ、俺から離れるな」
 ディーノにキュッと手首を握られ、文様が光って空に浮かび上がる。同時に屋敷がズン、と大きく揺れた。
 揺れは細かな振動となって音を鳴らした。

「襲撃だ!」
 邸内が俄に騒がしくなり、ミシミシと鳴る窓にべったりとスライムのようなものが張り付いている。

 ――あれってまさか、紫の靄?
 僕は足首を掴まれた時の感覚が蘇ってきてゾッとする。
 あのじゅわじゅわは凄く嫌だった。

「次期様、囲まれています!」
「結界は!」
「屋敷のもの以外は全て破られました!」
「なんとしても侵入は許すな」
 腹の据わったような低い声で指示を出し、ディーノは髪を解いた。そして光が全身を包み、狼の姿になる。
 僕をじっと見上げる瞳は渦巻く銀河のように輝いていた。

「いいよ、行って」
 本当はついて行きたかった。
 でも足手まといにはなりたくない。

「君の大事なものは僕が守る」
 狼一族は僕よりも強いんだろうけど、でも僕は彼の番だから。彼の大事なものは僕が守りたい。

「……」
 ディーノは瞳をそっと閉じ、額を押しつけてきた。
 これまでになく、彼と気持ちが通じ合った気がして、胸にひたひたと迫るものがある。

 ――これが今生の別れじゃない。わかってる。でも。

「ちゃんと僕と繋がりたかったら、無事に戻って来るんだよ」
 僕は震える指で彼の背中を撫で、送り出した。
 遠ざかる背中を見て、胸に穴が空いたように感じる。
 そこにルイージが駆け付けた。

「エミーリオ様! 兄さんは――」
「外。僕らは中を守るよ!」
 ルイージと一緒に邸内を見回る。
 どこも綻びていないのを確認してシガールームに集まり、マリオが結界強化の指揮を執った。

「くっ、重いな」
「"重い" ?」
「悪い念が溜まって、可視化されるほど凝っている。しかも屋敷を覆うほどの量だ。一体どれだけうちが嫌いなんだか」
 そう言って呆れたように笑うマリオを見ていたら、やり切れない気持ちになった。

 ――そんなに? そんなに恨みつらみで一杯になってるの? 他に楽しいことは幾らでもあるのに、人を恨んで、羨んで、手に入らないものに執着して――。

「僕にはわからない」
 思わずポツリと呟いたら、ルイージに目を丸くされた。

「わかる必要なんてありませんよ」
「えっ?」
「エミーリオ様は兄さんの番ですから、うちを嫌いになる人の気持ちなんてわからなくていいんです! 絶対に好きになってもらえるように努力しますからね! 約束ですよ!」
「……フフッ」
 ルイージの真面目な顔を見て思わず笑みが溢れた。

「ありがとう」
「そんな……あっ、あれって核じゃないですか?」
 ルイージが指差す方を見たら、窓の外に黒い影が見えた。
 スライムの核のようなそれは、産まれる前の鳥の雛にも似ている。
 どこか懐かしいような気もする。
 鳥? 嫌な予感に胸がざわつく。まさか――。

「ダンテ!」
 僕が思い切り叫ぶのと、光の矢がぶつかるのと同時だった。
 僕は攻撃を止めさせようとして、それが外からのものだと気付く。

 ――え、どうして? どうしてディーノがダンテを攻撃してるの?

「ディーノ、止めて!」
 思わず窓を叩いたけれど、ディーノには届かない。スライムの触手のようなものを避けて飛び回りながら、ダンテへ攻撃を繰り返す。

「やだ、止めて!」
 何度も窓を叩く僕の手をマリオがやんわりと止めた。

「弟は強い。きっと大丈夫――」
「ディーノは! 傷付いても痛いって言わない! ダンテも相棒だから、自分の分身だからっ!」
 僕は涙で喉が詰まって声にならない。
 無事に戻って来てって言ったのに。
 ディーノはちっともわかっていない。

「ディーノ、お願い……」
 僕は両手を組み、祈るように額を押し付けたら文様が光って顔を照らした。
 光を受けて僕の瞳が強く輝く。

「ああッ!」
 力が溢れ出して止まらない。制御出来ない。
 視界が光で埋まって何も見えない。
 苦しい。喉からも光が溢れてヒビ割れそうだ。

『タスケテ』
 声にならない求めに応じるように黒い斑点が現れ、それがどんどん大きくなっていき僕の片目を染めていく。
 視界が閉ざされ、身体の中に何かが入ってくる。
 ぞろり、と眼球を撫でられ片目が完全に黒く染まった。

『まったく、しようがないぼうやだ』
 そんな声が頭の中で聞こえ、核の消えたスライムが溶け出した。

「念が消えていく!」
「エミーリオ様っ! 目が!」
 騒がしい声に囲まれながら、僕に向かって駆けてくる狼だけを見つめる。
 ディーノ、僕はちゃんと守れたのかな。
 ダンテは大丈夫かな。
 早く――僕を抱きしめてよ。
 どうなったのか確かめるのが怖いよ。

「ディーノ!」
 僕は崩れるように、狼の首に抱きついた。
 脈打つ鼓動と体温の生々しさに、これは現実なんだと胸が重くなった。
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