水の都~二十年越しの恋~

海野ことり

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⑦帰れぬ道行き−2

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「信乃! そんなところで何をしているんだい? 酷い有り様じゃあないか」
「蓮治……」
 丁度過去の後悔を思い出している最中に見るには不向きな顔だった。
 蓮治はあの頃の信乃をよく知っている。

「嫌な奴に会っちまった。俺は忙しいんだよ、向こうへ行きな」
 信乃は近寄ってきた蓮治を鬱陶しげに追っ払おうとしたが、腕を掴まれて強引に顔を覗き込まれる。

「そんな時化た顔をして、一人で行かせられるかい」
「お前には関係ないっ!」
「無くはないだろう。どうせまた、昔を思い出していたんだろう? だったら俺にも関わりがある」
「止めてくれ。本当に、勘弁してくれ……」
 蓮治の心配も世話も信乃には重く負担だった。苦しいばかりでちっとも有り難味を感じない。

(俺は励ましなんて欲しくないんだ。慰めなんて必要ないんだ。師匠でなければ、意味は無いから……)
 追い詰められたようにギュッと目を瞑る信乃の耳に、一陣の風のような涼やかな声が飛び込んできた。


「信乃さん!」
 良く知った青年の声に、信乃は縋るように目をキョロ付かせて相手を探した。
 遠くから、真剣な表情でこちらへ駆け寄ってくる背の高い青年の姿が目に入る。

「慶太郎、どうして……」
「昼飯を摂るところです。どうかしましたか?」
 厳しい表情で真っ直ぐに見られて、蓮治は我に返ったように信乃の腕を離した。

「こいつが昼間っから時化た面でふらふらと歩いていたからね、食事にでも誘おうとしていたんだよ。慶太郎も一緒にどうだい?」
「俺は時間が無いから――」
 言い掛けて慶太郎は言葉を飲み込んだ。心細そうな信乃の表情が自分に行かないでくれと言っているようで、突き放せない。

「いえ、お付き合いさせて戴きます。何処か当てがありますか?」
「ああ、この辺りなら牛鍋屋でも――」
「ごめん、今、ちょっと」
 口元を押さえながらの信乃の言葉に、蓮治は己の無神経さに内心で舌打ちをした。
 ちょっと人気の店を知っているからと言って、相手の心理状態も考えずに押し付けようとした。そういう自分本位なところが彼に敬遠されていると知っていたのに。
 これまでは自分のペースに他人を巻き込んで、それで喜んで貰えているものと思い気にもしなかった。けれど信乃だけは自分流が通用しない。寧ろ裏目に出ている。

(彼は他の人とは何もかもが違う。その肌の色も、髪の色も、選ぶ言葉も喜ぶ事も。それが俺を――途方に暮れさせる)

「蕎麦はどうです? 他に大したものはありませんけど」
 ぼそりと言った青年に信乃が黙って頷いた。相変わらず蒼い顔をしているが何処かホッとして見えたのが蓮治には小癪に障った。

(俺の事は鬱陶しそうに追い払おうとした癖に、そいつは良いのか)
 そう思うとなんともやり切れないが、それを表に出すほど蓮治は子供ではない。
 三人は連れ立って蕎麦屋へ入った。

 そこはこじんまりとした店だが小上がりもあって、三人は小上がりに上がらせて貰い、信乃はかけ蕎麦を、蓮治と慶太郎はもり蕎麦を二枚ずつ頼んだ。

「慶太郎は相変わらずいなせだねぇ」
 蓮治が暫く見ないうちに随分と立派になった青年を見て、しみじみと言った。
 膝の上に軽く拳を付いて座る慶太郎を見て、信乃もその通りだなぁと思う。自堕落な自分とは余りにも違い過ぎて、その目に映るのが恥ずかしいくらいだ。
 眩しげに自分を見る年嵩の男達を見て、慶太郎は堂に入った態度で返す。

「蓮治さんこそ、男っぷりが良過ぎて女たちが放って置かないでしょう。ああ、男もですね。今の恋人は役者でしたっけ」
 慶太郎の言葉に信乃がパッと顔を上げて蓮治を見た。
 蓮治が彦十郎を後援している事は知っていたが、二人の関係にまで思いが至ってなかった。

「流石に船頭と言うのは、耳が早いねぇ」
「あなたのお相手はいつも派手だから」
「まあ恋人というのじゃないけどね」
「じゃあ、なんだよ!」
 口を挟んだ信乃に蓮治は苦笑する。

「”情人” というのが適当かなぁ。ずっと一人でいられるほど潔癖では無いし、かといって金で買うのは嫌いでね」
「よく言う。金じゃなきゃなんだよ」
「彦十朗の矜持は金じゃ買えないよ」
「…………」
 信乃は蓮治の言葉に何故だか悔しくなった。

(本当は知ってる。蓮治は金なんて持ってなくてもいい男だし、財力で無しに惚れる奴だっているだろうよ。でも、そんなのは知りたかねぇ……)

「お前の色事なんざ興味がねえ。飯が不味くならぁ」
「はは、そうだな。俺も聞かせる気は無かったよ」
 ちろり、と蓮治が慶太郎に褪めた視線を流した。その冷やかさに睨まれた慶太郎はゾッとしたが、信乃はそれには気付かずに食べ終えた丼を置いた。

「胸糞悪ぃ。ここはお前の奢りだ」
 そう言うと信乃はさっさと一人で店を出た。慶太郎がそれを慌てて追う。
 その背中にからかい混じりの蓮治の声が突き刺さる。

「なかなか可愛い真似をしてくれるね」
「…………」
 慶太郎は何も答えなかった。
 一瞬足を止めただけで直ぐに信乃の後を追って行った。
 蓮治は溜め息を吐いてからふと目線を落とし、机に置かれた一人分の代金に気付いて小さく笑った。
 そのささやかな意地と生真面目さに、自分に無いものを見せつけられた気がして落ち込んだ。

(慶太郎ならば、信乃を怒らせたりしないんだろうね。真っ直ぐで、裏表がないから)
 蓮治はその若さを羨ましく思った。
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