水の都~二十年越しの恋~

海野ことり

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⑦帰れぬ道行き−3

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 慶太郎は足早に歩く信乃を後ろから追い付いて捕まえた。

「信乃さん、送っていきます」
「いいよ、お前は仕事だろう」
「じゃあ俺に付き合っちゃくれませんか? 遠くまで荷物を運ぶ仕事があるんです」
「え……」
 慶太郎と二人で船で遠出をする。それは家に帰りたくない、かといって往く当てもない信乃にはとても魅力的な提案だった。

「人を乗せたら船足が落ちるだろう?」
 拗ねたように、試すように言う信乃が可愛くて慶太郎は微笑んだ。

「別に誰かと速さを競っている訳じゃない。それに信乃さん一人を乗せたくらいで落ちるような船足じゃありません」
「言うじゃねぇの」
「俺もちったぁ腕に覚えがありますんで」
「チッ」
 可愛くねえ、と不貞腐れながらも信乃はそわそわと嬉しそうに慶太郎の後を着いてきた。
 慶太郎は信乃を船に乗せ、とん、と棹で橋桁を突いた。船は静かに滑り出し、同時に信乃の心も地表を離れたような心地がした。

「信乃さん、風が強いんでそれを頭から被りなさい」
「ん……」
 船の上だと流石の貫録だ、と思いながら信乃は言われた通りに手元の羽織を頭から被った。
 何だか慶太郎の匂いがするようで、酷くドギマギさせられた。

「もう少ししたら川沿いの桜がそれは見事なんですが」
「いいよ。桜は嫌いなんだ」
「そうですか」
 どうしてだと理由を訊ねて来ないのが信乃にはありがたい。

「助かったよ」
 信乃が不意に礼を言った。
 黙ったまま何も答えない慶太郎に構わずにそのまま言葉を続ける。

「蓮治の野郎のお節介は俺には重たくてな。いい加減に見放してくれりゃあいいのに……。あいつ、恩人に背けないってそればかり言ってさ」
 迷惑な話だ。そう言う信乃の顔は確かに苦しそうだった。

「振り切ってしまいますか?」
 ぽつりと慶太郎が言った。

「え?」
 訊き返した信乃に慶太郎は至極真面目な顔で告げた。

「蓮治さんも追って来られないような遠くに、俺が連れて行ってあげましょうか?」
「慶太郎……」
 言ったのがそれこそ蓮治のような調子の良い男であったなら信乃も軽く流せたが、相手が真面目な慶太郎ではこちらも真面目に受け止めざるを得ない。信乃は戸惑って視線を逸らした。
 キラキラと光る水面に目を向けながら、信乃は時間稼ぎに話を逸らす。

「あのさ、蓮治の色恋沙汰を、三津弥には話すなよ」
「どうして?」
「それは三津弥はずっとあの野郎に憧れているからさ。そういう生臭いのを知らせちゃ可哀想だろう」
「三津弥は知ってますよ」
「え?」
 信乃は思わず顔を上げて慶太郎を見た。頭上から陽の光を浴びて逆光になった顔が影になり見えない。
 表情の読めないまま慶太郎はもう一度言った。

「三津弥は知ってます」
 信乃はその言葉に軽く頬を張られたようなショックを覚えた。
 三津弥の想いは可愛らしい子供の慕情だと思っていたのに、急に辛酸を知ってなお求める激しい恋情に化けたような気がした。

「だってあの子は……料亭の跡取りで、優しい子だから……」
「だから苦しんでいます」
「……慶太郎」
 信乃は何だか自分が責められているような気がした。どうせ本気で取り合って来なかったのだろうと、無責任に楽しんでいただけだろうと。

「あの、俺……」
「済みません、忘れて下さい」
 三津弥も人に知られる事を望んでいない、と慶太郎は口を滑らせたことを後悔している様子だった。
 信乃はそれが自分だけ仲間外れにされているようで、彼らとは共有してきた時の長さも違うし世代も違うと思い知らされたようで悲しい。別に幼馴染の二人の間に入り込みたいと思っている訳ではないけれど。

「俺だって、三津弥の事は大事に思ってるよ。あの子に辛い思いはさせたかねえ。信じられないかもしれねぇけど……」
 らしくもなくそんな事を一生懸命に言った信乃に慶太郎は軽く驚き、そっと頷いた。

「信じます」
「ん……ならいい」
 信乃は急にムキになった自分が恥ずかしくなって、羽織の中で顔を俯けて表情を隠した。
 慶太郎は隠れてしまった彼を本当は引き摺り出したいけれどもそっとしておく。
 だって彼は臆病なのだ。昔あった何かの所為で、素の自分を見せる事に酷く臆病になっている。

(守りたい人を、自分が追い詰めては駄目だろう)
 慶太郎は暴いてしまいたい気持ちをグッと堪らえ、自分はこの人の為に何が出来るだろうかと考えた。
 ほしいままに、欲望のままに奪うのは簡単だけれど、それは彼を苦しめるだけだから。
 だから奪う代わりに出来ることをしよう。

(俺の望みは叶いっこないから端から諦めて、相手に尽くしたつもりで満足しようだなんて……偽善者ぶってるのは百も承知。でもこれしか思い付かなかった)
 慶太郎は信乃を乗せた船ならばどこまでも漕いで行ける。
 三津弥と二人では拗ねたように帰りたくないとぐずるばかりだったが、信乃とならば本当に帰る場所を失くせるのだ。

(この人の言葉一つで俺は永遠に彷徨える)
 惚れたものだ、と慶太郎は姿を隠したままの信乃を愛しげに見詰めた。
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