水の都~二十年越しの恋~

海野ことり

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⑧過去が追い掛けてくる−1

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 目を引く白い花弁が風に運ばれ、信乃の足元にひらりと落ちた。変に繊細なところのある男はそれを踏まないように苦心して避けて歩く。

(桜って奴ぁなんて騒々しい花なんだ。咲き誇る姿も艶やかならば、散り往くのも大騒ぎで派手派手しい。おまけに空を背景にすっかり主役とくらぁ)
 信乃は見たら負けだとばかりに頑なに桜の樹から目を逸らして目的地まで歩いた。

「信乃さん、遅いですよ」
 一人で心細かったのだろう、先に着いていた駒が信乃に文句を言った。

「悪いな、どうにも億劫になっちまってさ」
「だから迎えに行きますと言ったのに」
「だって駒は忙しいんだろう? 公演の中日に抜けさせて貰うだなんて、大変だったろうが」
「それは――蓮治さんもお口添え下さいましたし、我が儘を言わせて戴きました」
「それで俺の迎えも頼むとは言えねぇよ。ほら、いいから入るぜ」
 信乃は駒を促して店に上がった。
 この日は茶を習う同志の道具のお披露目会とやらで、三津弥も何点か出品するのだと言う。その中に駒にあげると言った中棗もあり、それは本当は駒のものだからとその会に招かれた。信乃は一人では心細いという駒のおまけだ。

 品物は鑑定するまでも無く出自がしっかりしているから、信乃の目利きの出番はない。
 精々眼福にあやかって美味いものでも食べて帰ればいいと信乃は思っていた。しかし。

「光明? まさか」
 信乃はその日の目玉が光明作の文箱と聞いて首を振った。
 江戸後期最後の名人と言われた塗り師の光明は茶道具を作る事が多く、文箱は数える程しか作っていない。
 こんなところに――言っては失礼だが市井に出てくるようなものではないのだ。
 何かの誤りだろうと少々不快に思いながらも醒めた表情をしていたが、信乃は件の品を一目見て顔色を変えた。
 ピンクと白の桜の花弁。若々しい娘の華やぎと、人妻の落ち着きを取り入れた意匠。
 それを師匠と二人で納めた時の光景がまざまざと脳裏に蘇る。

(俺が絵を描き、師匠が蒔絵を施した。仕上げはお前に任せると言われて、やっと認められたと有頂天になって取り組んだ。間違いない、一緒にした最後の仕事だ)

「……それを、何処で手に入れた?」
 硬く強張った表情で入手先を質した信乃に、持ち主である男がさも気の毒そうに眉を顰めて答えた。

「それがさる旧家のご婦人が、買い取ってくれないかと直接に持ち込んでね。亭主が博打に嵌って莫大な借金を負い、返しても返してもおっつかない有り様だとか。こんな立派な道具まで手放さなければいけないとは、お気の毒な事だ」
 あの花嫁が、と信乃は痛ましく思いながら文箱を見詰めた。そして暫く見詰めた末に男に言った。

「これを譲っちゃくれないか?」
「何をっ……!?」
 周囲がざわざわと騒がしくなる。言われた当の男も勿論、目を丸くしている。

「金なら言い値を払う。それか光明の有名な作品を代わりに持ってくる」
「光明の作品って、あんたは一体……?」
 不審そうな男に信乃は苦しそうに言った。

「俺は光明の最後の弟子で、その文箱を一緒に作った。箱の裏に光明の名と共に、信という文字も入っている筈だ。『おめぇの名前は女みたいでいらぬ憶測を呼ぶから、信の一字を入れればいい』って言われてな」
 信乃の言葉に男は慌てて箱裏を確認した。そこには確かに光明の名と共に信の一字があった。

「本当だ、信という字が入っている。そんな話は他所で聞いた事が無いが、本当にあの光明の弟子なのかい?」
「そうだ」
 もう誰にも言うつもりの無い過去だった。けれど信乃は、師匠と共に作った作品を目にしたらどうしても耐えられなくなった。

 もう一人きりで生きるのは嫌だ。縋るものが欲しい。
 何も無しに生きろと言うならいっそ殺して欲しい。
 償う為にだけ生きるのはもう真っ平だ。俺が悪いと言うなら罰してくれりゃあいい。

 ガラス玉のような瞳に切実な光を浮かべ、ひたりと見つめてくる信乃に男は唾を飲み込んでから言った。

「だったら光明の最高傑作だと言われている中棗と交換ならばいい」
「っ!」
 信乃の顔から血の気が引き、身体中に冷たい汗を掻いた。
 その存在は幻と言われ、ある事すら知らない人が大半だというのに。この男はそれを持って来いと言う。

「無理だ。そんなものはない」
 激しく首を振り、きっぱりと言い切って見せた信乃に男はいいやあるのだと言った。

「昔、道具屋に私の伯父が見せられたんだよ。その後の行方が知れなくなったが、あれは間違いなく光明の最高傑作と――」
「違う!あれは師匠の最高傑作なんかじゃない! 師匠の作品はもっと気高くて、品が良くて……兎に角あれは違う!」
 酷く取り乱した信乃の姿に三津弥が間に割って入る。

「大野屋さん、この話はまた改めてにしませんか? 会の趣旨とも違いますし」
「ああ、若旦那。これは済みません、私とした事がとんだ醜態を」
「いえ、後日に改めて場を設けさせて戴きます」
 三津弥の言葉に興味津々で行く末を見守っていた客達は不満そうな声をあげたが、それを無視して駒に頼んで信乃を別室へ連れて行って貰った。
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