水の都~二十年越しの恋~

海野ことり

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㉒終わる恋の花−1

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 着流し姿の男がぶらりぶらりと川沿いの道を歩いている。
 残照は眩しいが昼よりは気温が下がり、幾分かは過ごしやすい。湯屋帰りの信乃は団扇を使いながらそぞろ歩きをしていたが、川の方から覚えのある好い声が聴こえてきて耳を澄ませた。

「朝咲いて、よつに萎れる朝顔さえもぉ……露に一夜の、宿を貸す~」

 儚い花に託した情歌に信乃の口角が上がった。
 しかし続く歌を聴いて今度はへの字になった。

「浮いた同士と言われる筈よ~……涼み船から出来た仲ぁ……」

(随分と意味深じゃねぇの。慶太郎の中ではもう俺との事は終わった事なのか?)
 慶太郎に弾みで出来た仲だと言われているようで信乃は凹んだ。

「五月雨のぉ~……ある夜ひそかに、恋路の闇にィ……主の御見を、松の月ぃ……」

 御見とは江戸時代に遊女が使った言葉で、お目に掛かる事をそう言ったのだという。

(ぬしの御見を待つの月……か)
 信乃は訪れるのを待つばかりの意気地のない自分も、遊女と同じ立場かもしれないと思う。
 想いは掛けられているが、それでどうこうなれるでもない。
 この辺が引き際か、と俄に腹が決まった。
 信乃はよしと小さく呟いて、角を曲がってきた船に手を振った。

「慶太郎、まだ上がらねぇのか?」
 声を掛けたら慶太郎が船を寄せてきた。

「丁度帰り道ですから送って行きましょう」
「だったら三津弥の店に行こうぜ。冷酒を引っ掛けて、ハモでも喰おうや」
 信乃の台詞に慶太郎が思わず苦笑する。

「相変わらず豪勢ですね」
「江戸っ子は宵越しの金は持たねンだよ」
 どうせ遺す相手がいるでなし、信乃は稼いだ金は全てぱあっと使ってしまう。

「怒っているんですか?」
 久し振りに会ったのに、信乃が自分の家ではなく三津弥の店に行こうと言った事でそう思ったようだ。
 慶太郎の縁談話はまだ片付いていない。

「いいや、大事な話があるんだ」
「大事な話? なんですか?」
「お前は案外とせっかちだな。だから店に行こうって」
 信乃にだって助けは必要だった。
 人目のない所でごねられたら、慶太郎を説得する自信がない。弱い自分は屈してしまうだろう。
 けれど店ならば、最後まで毅然として別れを告げることが出来る。
 それに最後に、やり残した事もしてしまいたい。

「信乃さん、見合いの事なら俺は――」
「シッ。店に行ってから話そうぜ」
 信乃は細い指を赤い唇に当てて微笑んだ。
 その様子に見惚れ、慶太郎はそれ以上追求する事が出来なかった。
 そして後々まで慶太郎は、何故かこの時の信乃の顔を一番良く思い出すのだった。

 ***

「信乃さん……と、慶太郎? じゃあ例の件は片付いたの?」
 吃驚したように訊ねる三津弥に、慶太郎が答えかけたが信乃が遮る。

「ああ、それなら問題な――」
「三津弥、その事で話がしたいんだ。離れは空いているけぇ?」
「予定を変えればなんとかなりますが……」
「悪ぃが融通しちくれ」
 手を合わせて拝まれて、三津弥は珍しい事もあるものだと思う。
 店に来た信乃はいつも自由気ままに振る舞っていて、こちらに遠慮した事など一度もない。

「こちらへどうぞ」
 三津弥は何かを予感しつつも大人しく離れに二人を案内した。
 二間続きの片方には花色の布団が敷いてある。
 自分がここで蓮治に抱かれた事など、もう遠い昔のように感じる。
 蓮治はあれ以来、三津弥を避けて一度も店に来ない。

「料理はどうなさいます?」
「酒と肴を適当に見繕ってくれ。給仕はいらない。こちらで適当にやる」
「わかりました」
 慶太郎が口を挟む隙もなく二人の間で話が進む。
 三津弥が部屋を出る間際、気遣わしげに慶太郎の方を見たが慶太郎にも訳がわからない。
 不安ながらも黙って酒を飲む信乃に付き合うしかなかった。


「それで信乃さん、話って――」
「もう少し飲んでからにしろよ。折角の酒と肴が不味くなる」
「……」
 ああこれは悪い話なのだ、と察して慶太郎の顔が強張る。
 それを見て信乃は困ったように笑い、慶太郎の前に置かれた盃に酒を注いでやる。
 そして自分は手酌でやりながら、ゆっくりと話しだした。

「俺ぁこんななりだから、ずっと自分のことは好きになれなかった。俺の事を可愛いだの綺麗だのと言うのなんて蓮治くらいで、あいつにとっちゃ単なる口癖みたいなもんだ。本気にできっこないだろう?」
(そんな事はない)
 蓮治は本気で信乃の事を可愛くて綺麗だと思っているし、他にそう思う人だっていた筈だ。
 ただ信乃には届かなかった、届くくらい強引な真似をしたのが慶太郎だけだったという話だ。
 そう思いはしても、慶太郎は何も言えない。今は全身全霊で信乃の言葉を聞く。

「だからお前に手を出されて、死ぬほど驚いたけど同時に嬉しくもあった。お前みたいな若くて、綺麗で、まっさらなのから求められた。それも真剣にな」
 くふっと笑い声を漏らした信乃の顔が幸せそうで、慶太郎は辛いながらも良かったと思う。
 あんなに酷いことをしたのに、信乃が幸せそうで良かったと。

「お前と口付けンのも、あっちこっち触られて気持ちよくされんのも好きだった。ずっとこうしていたい、何もかも忘れてお前と二人で逃げちまいたいって何度も思った」
「だったら逃げましょう! 俺は信乃さんと二人なら何処だって生きていける! あなたさえいれば俺は――」
「駄目だよ。そんな事をされたら、俺は一生お前に負い目を背負って生きていかなくちゃならねぇ」
「……俺が、いいと言ってもですか?」
「それでもお前に親は捨てさせられねぇよ」
 困ったように笑う信乃を見て、これは最初から叶う筈のない恋だったのだと慶太郎は理解した。
 身内のいない信乃は、慶太郎を親や親戚のいる世界から引き離す気は最初から無かった。
 何処かで終わる予定の恋だった。
 それでも慶太郎に納得できる筈はなく、悪足掻きのように声を張り上げた。

「俺があなたを手放さないと言ったら!? 纏わり付いて、俺の好きにして、何処にも行かせないと言ったらどうします!?」
「うん、だから……最後にケジメをつけてぇんだよ」
「ケジメ?」
「お前の初めての男になって、それで終わりにしよう。俺はずっと忘れねぇよ?」
 泣き笑いの表情で慶太郎を見上げてきた信乃に、慶太郎はそれ以上駄々を捏ねる事が出来なかった。
 信乃だって別れは辛い筈だ。それでも無理して一緒になる方がもっと辛い。
 慶太郎にはその辛い道を歩んでくれと言うことが出来なかった。

「綺麗なまま、あなたを手放しても良いんですよ」
「よしちくれ。それは俺が耐えられない。そんな未練を残さねぇでくれ」
「……」
 信乃が別れを惜しんでいる。
 最後に思い出をくれと言っている。
 それならば自分は応えるまでだと慶太郎は思った。

「手加減しませんよ?」
「ああ、望むところだ」
 そう言ってニヤリと笑った信乃を、慶太郎が強く引き寄せた。
 少し見ない間に薄くなってしまった肩が切なかった。
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