水の都~二十年越しの恋~

海野ことり

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㉖この両手に出来ること−1

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 目を覚ました信乃が厄介ごとの続きというのを聞きたがったので、仕方なく蓮治は事の始まりから話してやった。

「やっと片付いたので、君の所へ顔を出そうと思っていたんだ。そうしたら途中で世話役に捕まってしまってねぇ――」


「ああ、喜多屋さん。丁度良いところに」
「大野屋さん。私もお会いしたら話そうと思っていた事があります」
 蓮治は早く信乃のところへ行きたかったが、どうせならあの厄介な親戚筋がいなくなる事を告げておきたかった。これでこの騒動も終わりになる筈だと、疑いもせずに思っていたのだが。

「ああ、それは丁度良かった。いやね、喜多屋さんが気の進まない縁談を周囲が無理に押し付けるのも良くないと思い直しましてね。代わりにあたしの知り合いの娘さんはどうかと思って――」
「いや、ちょっと待って下さい!」
 一体にどうしてそうなるのだ、と蓮治は慌てて世話役を押し留めた。

「私はまだ嫁を貰うつもりは無いと――」
「まだってあなたはもう三十路も半ばじゃありませんか。若い嫁を貰い、一日も早く跡取りを設けなくては」
「跡取りの事はご心配なく。ちゃんと考えてありますから。それに私は……」
「想う人がいると言うのでしょう?」
 世話役の言葉に蓮治はギクリと身を竦めた。

「さて、どの相手の事を仰っているのか……」
「惚けなくて結構。あなたがピタリと遊びを止めたと言う話は聞いています。けどねぇ、悪い事は言いません。その人とは別れなさい」
 信乃と別れろ、と言われて付き合ってもいないのに蓮治の息が止まった。

「今はまだいい。あなたも若いし店も安泰だ。けれどもこの先どうします? 看取ってくれる家族も無く、血を分けた孫子もいない。あれだけの身代を赤の他人に渡しますか? そんな親不孝があるものですか。ご先祖様にも顔向け出来ませんよ」
 家族に看取られる事が幸せとは限らないとか、血を分けた子供よりももっと大事な存在がいるだとか、身代などこの世限りの事で自分には何処か疎ましくもあるだとか、先祖などいるなら両親や妹弟を守ってくれても良かっただろうにとか言いたい事は山ほどにあった。けれど言っても無駄な事も分かっていた。
 世話役の物の見方の方が世間一般で、自分は外れている。自覚しているから反論はしない。反論はしないが従えもしない。絶対に。
 硬い表情で沈黙を守る蓮治に世話役は上目遣いで言った。

「それにねぇ、喜多屋さん。いっくら綺麗だって男はマズイ」
(……信乃を知っているのか?)
 信乃を巻き込むことを危惧した蓮治が世話役の顔を探るようにじっと見つめる。
 その表情に気圧されたように世話役が早口になった。

「どうせ麻疹みたいなものですよ。物珍しさに一時逆上せたにしても可愛い嫁を貰えば、子でも産まれれば直ぐに忘れます。ええ、あたしが保証しますから」
 二十数年の片想いを麻疹とは、と蓮治は可笑しくなって口元を少し歪めた。

(嫁など貰ったところで一指も触れぬのに、子など出来るものか)
 蓮治は信乃が慶太郎と付き合うようになってから誰のことも抱けなくなった。
 こんなものを抱いて何になる、と虚しさしか感じず全くその気になれない。
 だから信乃以外の人を娶る気もないし、精々無理な注文を挙げてやった。

「どうせ貰うなら、誰よりも綺麗で優しく私を本気で愛してくれて、持参金も多い人がいいですね」
 蓮治の言葉に世話役が目を丸くして驚く。

「これはこれは喜多屋さん、随分とまた飾らず開けっ広げな」
「どうせ長老や町内会長や寄合のご老人方も見合い相手を用意しているのでしょうし、そのくらい我が侭を言ったっていいでしょう」
「まぁ、それであなたが納得出来るならあたしは構いませんよ」
 肩の荷が下りたように微笑んだ世話役によって、その話は瞬く間に拡がった。

 ***

「そんな事になっていたとは……」
 家に引き篭もっていた信乃の耳にまでは噂話が届いていなかった。

「それぞれが推薦する相手を一列に並べて貰い、全部いっぺんに断ってくるよ」
「でもっ、一人くらいは気にいるひともいるんじゃないか?」
「いる訳がない」
「でもいたら――」
「その時は君に嫁入り道具でも作って貰おうかな」
 蓮治にしてみればそれは単なる軽口の一つだった。
 欲しいのは信乃だけだと口に出来ない蓮治の苦しい胸の内だったが、予想外に信乃に打撃を与えた。

(なんとなく、蓮治だけはずっと自分の側にいてくれる気でいた)
 なんだかんだと子供の頃から切れること無く縁が続いて、信乃がどれだけ避けようと鬱陶しがろうと蓮治は構わず付き纏って世話を焼いてきたからこれが一生続くのだと思い込んでいた。
 でも彼が嫁を貰い、子をなして、新しい家族を作れば彼の関心は家族のものになる。
 当たり前だ。時間も愛情も金も有限なのだから、一番に優先されるべきは家族だろう。

(俺はどうしたって蓮治の家族にはなれないからな)
 信乃は蓮治が家族を失ってから、糸の切れた凧のように寄る辺を失っていた事に気付いていた。
 店を大きくし、派手に遊び、人付き合いも上手くこなしていたけれどその瞳にはいつも虚無が潜んでいた。
 ついぞ喪失感を拭えなかった。

(わかるよ。俺は師匠しか失っていないけれど、それでも失った痛みはわかる)
 他にも親しい職人仲間や顔見知りの近所の人、お茶の先生など多くの人に先立たれた。
 激動の時代を生きてきた自分たちは余りにも多くの死を見過ぎた。

(それでも俺が慶太郎に憧れたように、蓮治も眩しいものを見つけられるかもしれない。新しい家族を持つことで奴にも温もりが手に入るかもしれない。だとしたら、俺に出来る事は――)
 信乃はじっと布団の上に出した自分の両手を見つめた。
 何も持たない自分にはこの両手しか無い。
 道具を造る事しか出来ない。

(いいさ、一世一代の嫁入り道具を俺が造ってやらぁ)
 信乃はその日から、寝る間も惜しんで道具造りに取り掛かった。
 誰にも会わず、寝食を忘れ、命を削りながら蓮治に嫁ぐ人の為に道具を造った。
 自分が出来ない分をどうか頼むと、蓮治を幸せにしてくれと祈るような思いで筆を揮った。
 それが完成した朝が蓮治の嫁を選ぶ日だった事を、信乃は運命のように受け入れたのだった。
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