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㉖この両手に出来ること−2
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喜多屋が古今東西の美女をずらりと並べ、その中から一番の器量よしを花嫁にすると言うので町内は大騒ぎになった。
“そら、喜多屋の主は男前だから”
“これまでさんざ、女を泣かした男だもの。そんじょそこらの女じゃ満足しないんだろうよ”
“若いのがやはり有利かねぇ”
“いんや、喜多屋のあの内証だもの、顔だけで無しにちゃんと切り回せる頭のある女じゃないと”
“だけど持参金も多いがいいと言ったらしいよ”
“おやあれだけの身代を持っていてかい?”
“嫁を娶るついでに身代も更に膨らまそうという腹か”
“それはそれは、流石は商売人だ。何処の娘御が選ばれるか、楽しみなものさ”
人々の口さがない噂を慶太郎は苦々しい思いで聞いていた。
船頭などをしているととかく噂話は良く耳に入った。
「けっちゃんも知ってるかい? 喜多屋の嫁取りの話」
「ええ、あちこちで噂になってますから」
「何でも飛び切りの美女をずらりと並べて選りすぐりを嫁にするんだってねぇ。流石は喜多屋、豪儀な話だ」
「さて、選ばれなかった娘さんがどう思いますかね」
「なぁに、喜多屋の花嫁候補になったとなれば、他のお大尽から引く手数多だろうよ。それとも、けっちゃんが一人くらいは引き取ってやるかい?」
「俺なんかじゃ、あちらが願い下げでしょう」
「分からないよ。けっちゃんはいなせだから、女子がポーッと参っちまっても不思議はない」
「身分違いは不幸の元でさ」
「言えてらぁ」
客は元々本気でも無かったのだろう、笑って話題を他へ変えた。
慶太郎は客に適当に相槌を打ちながら、己が言った言葉を考えていた。
『身分違いは不幸の元』
この明治の世に、とも思うがやはり身分は厳然としてある。
ましてや男同士だし、大店の蓮治と職人の信乃が添える筈もない。
それでも自分の他に信乃を任せられるのは蓮治しかいないと思っていたので、慶太郎はこの一件が腑に落ちないし苦々しい。
ならばやはり自分がと言いたい所だが、既に信乃にはきっぱりと振られている。
(蓮治さん、あんたは信乃に惚れてるんじゃあなかったのか?)
蓮治は何を考えているのかわからない人ではあったが、信乃のことだけは大事にしていた。
信乃が知らない所で彼を守り、何くれとなく世話を焼き、疎まれても嫌がられても愛想を尽かすという事が無かった。
昔命を助けられた恩人に信乃の行く末を頼まれていると聞いたことがあるが、それだけには見えなかった。
寧ろ恩人に頼まれているから手を出すことが出来ないように見えた。
(大事にし過ぎて手が出せないなんて笑っちまいますよ)
本当にそうだったら大した純情だと思ったが、それはやり方が間違えている。
信乃を強引に手に入れた慶太郎だからわかる。
(あの人が欲しいものはしっかりと抱き締めてくれる腕だけだ)
本当に、信乃にはそれだけで良かった。
それだけで済まないのは、失くせないものを抱え込み過ぎているのは自分達の方だ。
(信乃は俺が持っているものを捨てさせたくなくて別れを選んだ。だから蓮治さんを引き止めたいと思っても、自分からは決して何も言わないだろう)
信乃が蓮治にどういう感情を持っているのか、慶太郎ははっきりとは知らない。
けれど自分が割り込まなければ、蓮治から踏み込めばなるようになっただろうという気がする。
信乃はギリギリの所で蓮治に傾れ込む気持ちを抑えているのじゃないか。
(だとしたら、それを押すのは俺の役目か……)
慶太郎が痛みに堪えるようにギュッと目を瞑った。
愛する人を他の男に手になんか渡したくない。
けれど信乃の為にはそうした方がいい。
(蓮治さん、あなたもこんな気持だったのか)
慶太郎は複雑な気持ちで恋敵の事を思った。
一方で、慶太郎の幼馴染の三津弥は別の見方をしていた。
(それは大店の主が跡取りを設けるのは務めだけれど、蓮治さんに信乃さんを手放せる筈が無い。それくらいならあの人は信頼できる人を探して店を任せるだろう)
どうせ蓮治の事だから、既に店を譲る算段くらいはしていそうだ。
(あの人ならばきっとその辺りの事も考えている筈なのに、嫁取りをするなどとどうして言ったのかしら? しかも相手を複数から選ぶだって? 話をわざわざ大きくして……可笑しいね)
何か考えがある筈だと思うのだけれど、それが何かは三津弥には分からない。聞いたところで教えてくれるとも思えない。
(蓮治さんもあれで意外と大胆な事をする人だから)
三津弥はそれにしても、と溜め息を吐いた。
信乃が全く人を寄せ付けない。殺気立った今の彼に近付ける人もいない。
あのままでは信乃が倒れてしまう。そう思うのだけどとてもとても手を出せない。仕事中の職人とは皆ああいったものなのだろうか?
モノを造ると言う事がこれ程に孤独で苦しいなら、命を削ってしまうものならば、生み出される作品があれ程に美しいのも頷ける。
三津弥は信乃の造ったものを見て彼を天才だと思っていたが、簡単にそう決め付けた事を反省していた。
彼の努力や試行錯誤や刻苦精励を、天才だとその一言で引き換えにしてはいけない。言葉は時として多くの真実を切り捨てる。
信乃の為した事は信乃の作品によってしか語られない。語るべきでは無い。
あの人自身はきっとそれを知ってる。
そして幾重にも孤独なあの人には寄り添う人が必要だ。
信乃の事を理解して、ちゃんと守ってやれて、居場所を作ってあげられる人。
(なのに蓮治さん、あなたは何をしているんですか!)
三津弥の中にも焦燥が膨れ上がった頃、慶太郎が決意した顔で訪ねて来た。
「三津弥、助けてくれ。信乃をあのままにはして置けない。悔しいが蓮治さんと結び合わせてやらなくちゃあ」
「けいちゃんはそれでいいの?」
「構わない。あの人が笑ってくれたらそれでいい」
相手の幸せだけを願っていると告げた慶太郎の覚悟を三津弥は信じた。
あれ程に慶太郎を苦しめた恋の業火も、好きな人の苦しみの前には熾火のように小さくなってしまうものらしい。
「信乃さんを迎えに行こう!」
嘗ての悪童二人が再び動き出した。
“そら、喜多屋の主は男前だから”
“これまでさんざ、女を泣かした男だもの。そんじょそこらの女じゃ満足しないんだろうよ”
“若いのがやはり有利かねぇ”
“いんや、喜多屋のあの内証だもの、顔だけで無しにちゃんと切り回せる頭のある女じゃないと”
“だけど持参金も多いがいいと言ったらしいよ”
“おやあれだけの身代を持っていてかい?”
“嫁を娶るついでに身代も更に膨らまそうという腹か”
“それはそれは、流石は商売人だ。何処の娘御が選ばれるか、楽しみなものさ”
人々の口さがない噂を慶太郎は苦々しい思いで聞いていた。
船頭などをしているととかく噂話は良く耳に入った。
「けっちゃんも知ってるかい? 喜多屋の嫁取りの話」
「ええ、あちこちで噂になってますから」
「何でも飛び切りの美女をずらりと並べて選りすぐりを嫁にするんだってねぇ。流石は喜多屋、豪儀な話だ」
「さて、選ばれなかった娘さんがどう思いますかね」
「なぁに、喜多屋の花嫁候補になったとなれば、他のお大尽から引く手数多だろうよ。それとも、けっちゃんが一人くらいは引き取ってやるかい?」
「俺なんかじゃ、あちらが願い下げでしょう」
「分からないよ。けっちゃんはいなせだから、女子がポーッと参っちまっても不思議はない」
「身分違いは不幸の元でさ」
「言えてらぁ」
客は元々本気でも無かったのだろう、笑って話題を他へ変えた。
慶太郎は客に適当に相槌を打ちながら、己が言った言葉を考えていた。
『身分違いは不幸の元』
この明治の世に、とも思うがやはり身分は厳然としてある。
ましてや男同士だし、大店の蓮治と職人の信乃が添える筈もない。
それでも自分の他に信乃を任せられるのは蓮治しかいないと思っていたので、慶太郎はこの一件が腑に落ちないし苦々しい。
ならばやはり自分がと言いたい所だが、既に信乃にはきっぱりと振られている。
(蓮治さん、あんたは信乃に惚れてるんじゃあなかったのか?)
蓮治は何を考えているのかわからない人ではあったが、信乃のことだけは大事にしていた。
信乃が知らない所で彼を守り、何くれとなく世話を焼き、疎まれても嫌がられても愛想を尽かすという事が無かった。
昔命を助けられた恩人に信乃の行く末を頼まれていると聞いたことがあるが、それだけには見えなかった。
寧ろ恩人に頼まれているから手を出すことが出来ないように見えた。
(大事にし過ぎて手が出せないなんて笑っちまいますよ)
本当にそうだったら大した純情だと思ったが、それはやり方が間違えている。
信乃を強引に手に入れた慶太郎だからわかる。
(あの人が欲しいものはしっかりと抱き締めてくれる腕だけだ)
本当に、信乃にはそれだけで良かった。
それだけで済まないのは、失くせないものを抱え込み過ぎているのは自分達の方だ。
(信乃は俺が持っているものを捨てさせたくなくて別れを選んだ。だから蓮治さんを引き止めたいと思っても、自分からは決して何も言わないだろう)
信乃が蓮治にどういう感情を持っているのか、慶太郎ははっきりとは知らない。
けれど自分が割り込まなければ、蓮治から踏み込めばなるようになっただろうという気がする。
信乃はギリギリの所で蓮治に傾れ込む気持ちを抑えているのじゃないか。
(だとしたら、それを押すのは俺の役目か……)
慶太郎が痛みに堪えるようにギュッと目を瞑った。
愛する人を他の男に手になんか渡したくない。
けれど信乃の為にはそうした方がいい。
(蓮治さん、あなたもこんな気持だったのか)
慶太郎は複雑な気持ちで恋敵の事を思った。
一方で、慶太郎の幼馴染の三津弥は別の見方をしていた。
(それは大店の主が跡取りを設けるのは務めだけれど、蓮治さんに信乃さんを手放せる筈が無い。それくらいならあの人は信頼できる人を探して店を任せるだろう)
どうせ蓮治の事だから、既に店を譲る算段くらいはしていそうだ。
(あの人ならばきっとその辺りの事も考えている筈なのに、嫁取りをするなどとどうして言ったのかしら? しかも相手を複数から選ぶだって? 話をわざわざ大きくして……可笑しいね)
何か考えがある筈だと思うのだけれど、それが何かは三津弥には分からない。聞いたところで教えてくれるとも思えない。
(蓮治さんもあれで意外と大胆な事をする人だから)
三津弥はそれにしても、と溜め息を吐いた。
信乃が全く人を寄せ付けない。殺気立った今の彼に近付ける人もいない。
あのままでは信乃が倒れてしまう。そう思うのだけどとてもとても手を出せない。仕事中の職人とは皆ああいったものなのだろうか?
モノを造ると言う事がこれ程に孤独で苦しいなら、命を削ってしまうものならば、生み出される作品があれ程に美しいのも頷ける。
三津弥は信乃の造ったものを見て彼を天才だと思っていたが、簡単にそう決め付けた事を反省していた。
彼の努力や試行錯誤や刻苦精励を、天才だとその一言で引き換えにしてはいけない。言葉は時として多くの真実を切り捨てる。
信乃の為した事は信乃の作品によってしか語られない。語るべきでは無い。
あの人自身はきっとそれを知ってる。
そして幾重にも孤独なあの人には寄り添う人が必要だ。
信乃の事を理解して、ちゃんと守ってやれて、居場所を作ってあげられる人。
(なのに蓮治さん、あなたは何をしているんですか!)
三津弥の中にも焦燥が膨れ上がった頃、慶太郎が決意した顔で訪ねて来た。
「三津弥、助けてくれ。信乃をあのままにはして置けない。悔しいが蓮治さんと結び合わせてやらなくちゃあ」
「けいちゃんはそれでいいの?」
「構わない。あの人が笑ってくれたらそれでいい」
相手の幸せだけを願っていると告げた慶太郎の覚悟を三津弥は信じた。
あれ程に慶太郎を苦しめた恋の業火も、好きな人の苦しみの前には熾火のように小さくなってしまうものらしい。
「信乃さんを迎えに行こう!」
嘗ての悪童二人が再び動き出した。
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