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第三章
3-10
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「あの、そこのカフェ、行きませんか?」
「え?」
青崎が指さしたのは早瀬と別れたロータリー近くにある、最近できたカフェだった。駅近くにある若い子向けのカフェとは違い、どこか落ち着いた雰囲気のあるそこはスーツを着ている社会人が主な利用客なようだった。
このまま帰ったとしても晩ご飯を食べるぐらいしか用はない。普段なら自分の家が喫茶店だったので、あまり外でカフェに入ることはないのだけれど。
「うん、いいよ」
「ホントですか? やった」
小さくガッツポーズをする青崎の態度に一瞬、もしかして、という感情が湧き上がる。けれど、きっと猫神社まで往復して喉が渇いていたのだろう。社会人ばかりのカフェに大学生が一人では入りにくくて香澄を誘ったのだろうと勝手に納得した。……一人でカフェに入るのが苦手なタイプには見えないけれど。多分、きっとそうなのだ。
青崎とともにカフェに入ると、お洒落な飲み物に戸惑いながらも青崎に勧められるままにカフェモカを注文する。青崎はブラックコーヒーを頼んでいた。
「それ苦くない? 大丈夫?」
「平気です。香澄さんは甘めの方が好きなんですか?」
「うん、苦いの苦手なんだ」
入り口からほど近くの二人がけの席に向かい合って座ると、青崎と向かい合う。思ったよりも近い距離に少しだけ戸惑ってしまう。
普段は店員と客としてしか接したことがない青崎との、普段とは違う距離感。なんとなく、背中がむず痒い。
「……にがっ」
「え?」
「あ」
所在なさげにいる香澄の目の前でブラックコーヒーに口を付けた青崎が咽せたのがわかった。思わず顔を上げると、苦笑いを浮かべる青崎と目が合った。
「えっと、その」
「ふっ……ふふ……ふふふ」
「笑わないでくださいよ」
「だって、にがって。やっぱり苦かったんだ」
恥ずかしそうに鼻を掻く青崎に、一つ多めに取っておいたガムシロップを差し出した。
「……どうも」
それをコーヒーに入れると今度こそ飲むことができたようで、照れくさそうに笑った。
「かっこ悪いなぁ、俺」
「いいじゃん、背伸びしなくても」
「それは、そうなんですけど」
何か言いたそうにする青崎に首をかしげてみせるけれど「や、いいです」と笑って誤魔化されてしまった。
「それより早瀬のことなんですけど」
「うん、どうにかしてあげないとね」
「それもなんですけど、あいつ最初からテンテンさんのこと見えてませんでしたよね」
「そういえば、そうだね」
あのとき早瀬は最初から最後までテンテンのことを猫だと思っていた。喋った声も聞こえておらず、猫の鳴き声としか思っていないようだった、いったいどういうことなのだろう。
「俺には最初テンテンさんが賽銭箱に座ってるように見えたんですけど」
「私もそうだよ。それで飛び降りて猫の姿に戻って」
「一緒です。……なんで早瀬には見えなかったんでしょう?」
なんで、と言われたところで香澄にもその答えはわからない。そういえば雪斗にも奈津にもテンテンの声は聞こえていないようだった。逆に言えば香澄と青崎にしか聞こえていないし見えていないということになる。いったいどうして。
「うーん」
考えたところで答えが出るとも思わない。なんならテンテンに聞いた方が早いかも知れない。それなら今は。
「とりあえずそれは置いておいて。先に早瀬君と遠藤さんをどうするかの方を考えようか」
「そうですね。すみません」
「ううん、ごめんね」
「でも、どうしたらいいでしょう。俺も何度か話し合えよって早瀬に言ったんですけどずっとあんな感じで」
青崎は困り果てたように言う。たしかに今の早瀬が話し合ったところで平行線を辿るだけだろう。今日に至っては喧嘩にまで発展してしまったようだったし。それなら。
「私さ、遠藤さんと一度話してみようかな」
「遠藤さんとですか? ……そうですね、早瀬の話だけじゃ、遠藤さんが何を想ってどう考えてるのかわからないですし。お願いしてもいいですか?」
「まあ、私に話をしてくれるかはわからないけどね。遠藤さんを連れてくるの青崎君にお願いしてもいいかな? 表向きは『商店街の子が就活に悩んでて話を聞きたい』とかって言ってもらって」
「わかりました」
快諾してくれる青崎に「お願いね」と頼むと、香澄はカフェモカに口を付ける。ほろ苦さと生クリームの甘さが合わさったそれは、口の中で絡み合いそれぞれの味を引き立てる。
全く違うもの同士が、一緒になることで単体で飲んだときよりも美味しさが増す。それは人間関係にも似ているのかもしれない。早瀬と遠藤、それぞれが違うことを想い、違う方向を見ているけれど、もしかしたらきちんと絡まり合うことができれば今よりももっといい関係になるのではないか。香澄はそんなことを想いながらコーヒーに浮かぶ生クリームをかき混ぜた。
翌日、頼んでおいた通り青崎は遠藤にレインボウへ来るように言ってくれたようだった。
「香澄さん、鈴ちゃんに何の用なんです? もしかして東京行くんを止めてくれようとしてるとか?」
「ごめんね、そうじゃなくて商店街の子で就職に悩んでる子がいるから話聞かせてもらえたらって思って」
「そうなん、ですか」
あからさまにガッカリした表情を早瀬は浮かべるけれど本当のことを言うことはできない。これは本来であれば猫宮司であるテンテンの仕事で、上手くいったあかつきにはテンテンの、ひいては猫神社のおかげなのだ。そこに香澄や青崎が関わったことは気づかれてはいけない。
けれどため息を吐く早瀬が気の毒になった香澄は、小さく笑みを浮かべた。
「遠藤さんが今どう思っているかも、聞けるようなら聞いておくね」
「ほんまですか? よろしくお願いします」
早瀬はパッと顔を輝かせると「そろそろ遠藤さん来るから帰るぞ」と言う青崎に連れられて店を出て行く。「頼みますよ! 香澄さん!」とドアが閉まるギリギリまで言葉を残して。
青崎たちがレインボウをあとにしてから十分ほど経ったころ、ドアが開き一人の女の子が入ってきた。腰まで届きそうなほどの真っ黒の髪にすっと通った鼻筋。目元もぱっちりとしていて、まるで若い女の子向けの雑誌に出てそうな外見をしている。初めて見たときも思ったけれど、早瀬が一目惚れするのもわかるほどの美人だった。
「いらっしゃいませ。遠藤さん、よね」
「あ、はい。青崎君から就活のことで聞きたいことがあるって言われたんですけど」
「そうなの。でも、ごめんなさい。その子からさっき連絡があって急に弟さんが熱出しちゃったらしくて来られなくなったの」
「そうなん、ですか」
「だから私に色々聞いておいて欲しいって言われたんだけど、いいかな?」
「はい。私でよければ」
「え?」
青崎が指さしたのは早瀬と別れたロータリー近くにある、最近できたカフェだった。駅近くにある若い子向けのカフェとは違い、どこか落ち着いた雰囲気のあるそこはスーツを着ている社会人が主な利用客なようだった。
このまま帰ったとしても晩ご飯を食べるぐらいしか用はない。普段なら自分の家が喫茶店だったので、あまり外でカフェに入ることはないのだけれど。
「うん、いいよ」
「ホントですか? やった」
小さくガッツポーズをする青崎の態度に一瞬、もしかして、という感情が湧き上がる。けれど、きっと猫神社まで往復して喉が渇いていたのだろう。社会人ばかりのカフェに大学生が一人では入りにくくて香澄を誘ったのだろうと勝手に納得した。……一人でカフェに入るのが苦手なタイプには見えないけれど。多分、きっとそうなのだ。
青崎とともにカフェに入ると、お洒落な飲み物に戸惑いながらも青崎に勧められるままにカフェモカを注文する。青崎はブラックコーヒーを頼んでいた。
「それ苦くない? 大丈夫?」
「平気です。香澄さんは甘めの方が好きなんですか?」
「うん、苦いの苦手なんだ」
入り口からほど近くの二人がけの席に向かい合って座ると、青崎と向かい合う。思ったよりも近い距離に少しだけ戸惑ってしまう。
普段は店員と客としてしか接したことがない青崎との、普段とは違う距離感。なんとなく、背中がむず痒い。
「……にがっ」
「え?」
「あ」
所在なさげにいる香澄の目の前でブラックコーヒーに口を付けた青崎が咽せたのがわかった。思わず顔を上げると、苦笑いを浮かべる青崎と目が合った。
「えっと、その」
「ふっ……ふふ……ふふふ」
「笑わないでくださいよ」
「だって、にがって。やっぱり苦かったんだ」
恥ずかしそうに鼻を掻く青崎に、一つ多めに取っておいたガムシロップを差し出した。
「……どうも」
それをコーヒーに入れると今度こそ飲むことができたようで、照れくさそうに笑った。
「かっこ悪いなぁ、俺」
「いいじゃん、背伸びしなくても」
「それは、そうなんですけど」
何か言いたそうにする青崎に首をかしげてみせるけれど「や、いいです」と笑って誤魔化されてしまった。
「それより早瀬のことなんですけど」
「うん、どうにかしてあげないとね」
「それもなんですけど、あいつ最初からテンテンさんのこと見えてませんでしたよね」
「そういえば、そうだね」
あのとき早瀬は最初から最後までテンテンのことを猫だと思っていた。喋った声も聞こえておらず、猫の鳴き声としか思っていないようだった、いったいどういうことなのだろう。
「俺には最初テンテンさんが賽銭箱に座ってるように見えたんですけど」
「私もそうだよ。それで飛び降りて猫の姿に戻って」
「一緒です。……なんで早瀬には見えなかったんでしょう?」
なんで、と言われたところで香澄にもその答えはわからない。そういえば雪斗にも奈津にもテンテンの声は聞こえていないようだった。逆に言えば香澄と青崎にしか聞こえていないし見えていないということになる。いったいどうして。
「うーん」
考えたところで答えが出るとも思わない。なんならテンテンに聞いた方が早いかも知れない。それなら今は。
「とりあえずそれは置いておいて。先に早瀬君と遠藤さんをどうするかの方を考えようか」
「そうですね。すみません」
「ううん、ごめんね」
「でも、どうしたらいいでしょう。俺も何度か話し合えよって早瀬に言ったんですけどずっとあんな感じで」
青崎は困り果てたように言う。たしかに今の早瀬が話し合ったところで平行線を辿るだけだろう。今日に至っては喧嘩にまで発展してしまったようだったし。それなら。
「私さ、遠藤さんと一度話してみようかな」
「遠藤さんとですか? ……そうですね、早瀬の話だけじゃ、遠藤さんが何を想ってどう考えてるのかわからないですし。お願いしてもいいですか?」
「まあ、私に話をしてくれるかはわからないけどね。遠藤さんを連れてくるの青崎君にお願いしてもいいかな? 表向きは『商店街の子が就活に悩んでて話を聞きたい』とかって言ってもらって」
「わかりました」
快諾してくれる青崎に「お願いね」と頼むと、香澄はカフェモカに口を付ける。ほろ苦さと生クリームの甘さが合わさったそれは、口の中で絡み合いそれぞれの味を引き立てる。
全く違うもの同士が、一緒になることで単体で飲んだときよりも美味しさが増す。それは人間関係にも似ているのかもしれない。早瀬と遠藤、それぞれが違うことを想い、違う方向を見ているけれど、もしかしたらきちんと絡まり合うことができれば今よりももっといい関係になるのではないか。香澄はそんなことを想いながらコーヒーに浮かぶ生クリームをかき混ぜた。
翌日、頼んでおいた通り青崎は遠藤にレインボウへ来るように言ってくれたようだった。
「香澄さん、鈴ちゃんに何の用なんです? もしかして東京行くんを止めてくれようとしてるとか?」
「ごめんね、そうじゃなくて商店街の子で就職に悩んでる子がいるから話聞かせてもらえたらって思って」
「そうなん、ですか」
あからさまにガッカリした表情を早瀬は浮かべるけれど本当のことを言うことはできない。これは本来であれば猫宮司であるテンテンの仕事で、上手くいったあかつきにはテンテンの、ひいては猫神社のおかげなのだ。そこに香澄や青崎が関わったことは気づかれてはいけない。
けれどため息を吐く早瀬が気の毒になった香澄は、小さく笑みを浮かべた。
「遠藤さんが今どう思っているかも、聞けるようなら聞いておくね」
「ほんまですか? よろしくお願いします」
早瀬はパッと顔を輝かせると「そろそろ遠藤さん来るから帰るぞ」と言う青崎に連れられて店を出て行く。「頼みますよ! 香澄さん!」とドアが閉まるギリギリまで言葉を残して。
青崎たちがレインボウをあとにしてから十分ほど経ったころ、ドアが開き一人の女の子が入ってきた。腰まで届きそうなほどの真っ黒の髪にすっと通った鼻筋。目元もぱっちりとしていて、まるで若い女の子向けの雑誌に出てそうな外見をしている。初めて見たときも思ったけれど、早瀬が一目惚れするのもわかるほどの美人だった。
「いらっしゃいませ。遠藤さん、よね」
「あ、はい。青崎君から就活のことで聞きたいことがあるって言われたんですけど」
「そうなの。でも、ごめんなさい。その子からさっき連絡があって急に弟さんが熱出しちゃったらしくて来られなくなったの」
「そうなん、ですか」
「だから私に色々聞いておいて欲しいって言われたんだけど、いいかな?」
「はい。私でよければ」
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