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第三章

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 遠藤は遠くを見つめるように呟くと、ぎゅっと目を閉じた。早瀬のことを想う気持ちは嘘ではない。それでも自分の選択を曲げることもできない。そんな表情を浮かべていた。

「……私、帰りますね」
「あ……」

 寂しそうに微笑むと、遠藤は頭を下げてレインボウを出て行く。

 青崎との話し合いで、本当はもっと上手く話をして、就活を終えたわけじゃないよねと、内定を貰ったとしても大阪の企業にもっといいところがあればそちらに行くよねと言う予定だった。けれど、今の遠藤の話を聞いてもなおそんなことを言えるほど、香澄は早瀬のことだけを応援しきれなかった。

 寂しさを押し殺しながら、それでもまっすぐに前を見る遠藤の目を見てしまうと、香澄には何も言えない。何も言っちゃいけない気がした。

 早瀬の願いは遠藤との仲直りだ。決して遠藤の東京行きを止めることではない。本心ではそう願っていたとしても、早瀬はそれを願うことをしなかった。だったら、遠藤の気持ちを変えるのではなく、早瀬の気持ちを変えるしかないのかもしれない。

「でも、どうすればいいんだろう」

 ポツリと呟いた香澄の言葉をかき消すようにしてレインボウのドアベルが鳴った。それと同時に早瀬が店内に駆け込んでくる。

「ど、どうでした?」

 早瀬の言葉に香澄は首を振った。早瀬は「そうですか……」と言うと近くのソファーに座り込んだ。項垂れ頭を抱えたままため息を吐く。

「結局、俺のことなんてどうでもいいんですよね」
「そんなこと、ないと思うよ」
「そんなことありますよ。せやから俺になんも言わんと東京行きも決めてしまうし、今やって俺が嫌がってるのわかっててやめてくれへんのやから。その程度の存在やったってことですね」

 自嘲気味に言う早瀬に、香澄は苛立ちを覚えた。早瀬は遠藤ばかりを責めるけれど、相談できなくしたのは一体誰なのか。本当は遠藤だって早瀬に相談したかったはずだ。不安な気持ちを受け止めて欲しかったはずだ。「大丈夫、応援してるよ」と好きな人に背中を押してもらいたかったはずだ。

 置いて行かれる方ばかりが寂しいと香澄も思っていた。でも、きっと置いて行く方も置いて行かれる方と同じぐらい、いや誰もいない環境に一人で飛び込もうとする遠藤の方が、早瀬の何倍も寂しいのかも知れない。

「遠藤さんの気持ちがその程度だっていうなら、早瀬君の気持ちもその程度ってことになるよね」
「え?」

 そんなことを香澄から言われると思ってなかったのだろう。早瀬は戸惑ったような表情を浮かべて顔を上げた。香澄はなるべく責め立てるような口調にならないように、小さく深呼吸をするとまっすぐに早瀬を見つめた。

「だって早瀬君今言ったでしょ。自分の嫌がることをやめてくれないから遠藤さんの気持ちはその程度なんだって。じゃあ逆は? 遠藤さんの将来を応援できずに反対してる早瀬君は? 遠藤さんの気持ちに寄り添うことができない早瀬君だってその程度の気持ちってことにならない?」
「違う、俺は……!」

 カッとなった早瀬はソファーから立ち上がる。けれど自分自身でも香澄の言葉を否定しきれなかったのか、もう一度「……俺、は」と呟くと、力が抜けたようにソファーに座り込んだ。

「俺の気持ちも、その程度、やったんでしょうか……」
「どうかな。でも、私には早瀬君の気持ちも遠藤さんの気持ちも『その程度』には思えなかったよ。ただお互いボタンを掛け違えたみたいに、上手く気持ちを伝え合えなかったのかなって」

 遠藤は何かを考え込むように黙ると、俯いたままぽつりぽつりと話し始めた。

「鈴ちゃんが就活初めてから、なんや鈴ちゃんの存在が遠くなったみたいでずっと不安やったんです。せやから何度も「大阪で就職するやんね」「俺が卒業したら一緒に住もうな」って言い続けて。最初はそう言うたら嬉しそうに「うん」って言うてくれてたのが、いつからか俺が言うたびに苦しそうな顔するようになって。でも、俺それに気づいてたのに……ずっと気づかへんフリしてた。気づいたら、何か言うたらこのままじゃおられへん気がして。鈴ちゃんにとって俺なんてもう、いらへんねやって。そう思って不安やったんです」
「……不安なのは、きっと遠藤さんも一緒だよ」

 香澄の言葉に、早瀬は傷ついたような表情を浮かべた。
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