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あの時のことを

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この方と、あの時のハロルド殿下は違う。そしてなにより、子爵令嬢はいないのだ。侯爵令嬢のアデル様になったのだから。…でも、彼女と接点があることに変わりはない。

逡巡する私を見て、ハロルド殿下は悲しそうな顔をした。申し訳ないという気持ちはある、でも…。あの時の声が。言葉が。私を苛むように頭の中にこだまするのだ。一年近く苦しめられてきて、その相手に、…中身はどうあれ、結婚したいと言われてもまだ感情の整理がつかない。

「セシリア」

呼ばれて見上げると、ハロルド殿下が私の頭を胸に抱き込んだ。ハロルド殿下の鼓動が、激しい。ハロルド殿下の緊張が強ばるカラダから伝わってくる。

「…初めて顔を合わせた婚約者として、これからお互いのことを知っていく、そのチャンスをくれないか。俺がキミの話の中の俺とは違うと言っても、キミは納得がいかないんだろう。それでも、今日公式に婚約は整ったのだし、まずは、俺を知って欲しい。その機会まで、俺から奪わないで欲しいんだ」

耳元で懇願するように囁かれ、振り払うことができない。関わりたくないと、思っているのに。

答えられずにいる私を、ハロルド殿下も何も言わずに抱き締め続けた。前回一度たりとも触れ合うことのなかったカラダなのに、その温もりにいいようのない安らぎを感じてしまうのはなぜなのか。

「セシリア、」

「わかりました、…わかりました、なんて、申し訳ありません。ハロルド殿下、これから…今日から、婚約者として、よろしくお願いいたします」

すると、頬に手を添えられ顔をそっと向けさせられた。煌めく黒い瞳が、心なしか潤んで見える。

「本当か、セシリア、本当にいいのか」

「正直に申し上げれば、まだ、気持ちの整理がついていない状態で…前回、ハロルド殿下とはまったく接点が持てず、言葉も交わすことなく、子爵令嬢との仲を見せつけられて、」

「俺が謝ることではないが、俺として謝る、済まなかった」

頭を下げられて慌ててしまう。そんな、こんなことさせてしまうなんて、

「殿下、」

「セシリア、ハルと呼んでくれ。キミにだけ、そう呼ばれたい。俺もキミをシアと呼びたい。…いいだろうか」

熱の籠った瞳に見つめられて、とたんに胸がドキドキと激しく脈打つ。私、普通にハロルド殿下の膝の上に乗ったりして、今更だけど、恥ずかしい…!図々しすぎるわ、どうしよう…!

「で、殿下、申し訳ありません、私…っ」

「ハル」

「あ、の、まだ、無理です…?」

「ハル」

「殿下、」

「ハル」

「…ハル、様」

ハロルド様は、ふにゃ、と顔を緩ませると「なんだい、シア」と微笑んだ。…こんな顔、なさるんだ。激しく脈打つ鼓動が、更に強くなった。
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