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第2章

『変わらぬ日常、変わっていく人々』

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「起立! 礼!」
「「「ありがとうございましたー!」」」

 週が明け、最初の1日を無難に乗り切った入月勇志は、身体の力が抜けたように椅子にもたれかかった。

「はあ、今日も1日終わったなー」

 椅子の背もたれに全体重を預け、そのまま教室の天井を見上げる。いつも通りの学校、いつも通りの授業。それがいつも通り疲れるのは、それもまたいつも通りなのである。

「今日は別に疲れるような授業はなかったろ?」

 後ろの席の林田真純が、まるでまだ元気が有り余ってるような口ぶりで話し掛けてくる。

「ふん、筋肉ダルマめ!」
「よせよ、あんまり褒めないでくれ」
「きッー!?褒めてないんだけども!?」

 このやりとりもまた恒例化した日常の風景である。
 勇志の疲労感は『週末の歩美とのデート』に始まり、『西野莉奈乱入事件』『【kira ☆ kira】のキアラお漏らし事件』と、肉体的にも精神的にも疲労困憊し、まだ疲れが抜けきっていないためだが、当の本人は大体のことは寝たら忘れるタイプのため、「今日は朝からシンドイな」くらいにしか思っていなかった。

「そういえば【kira ☆ kira】の件、なんか進展あったか?」
「ん~……」

 真純が小声で話してくる内容を聞いて、そういえばと先日の記憶が鮮明に思い出されていく。

 キアラにぶつかり、怖がられ、お漏らしを見てしまい、水をぶっかけ、物凄い怒られ、助けられ、その後は沙都子から【kira ☆ kira】の事務所の方へ直接謝罪とお詫びをするとか何とか、という話になっていた。
 しかし、今のところ沙都子の方から連絡はない。もう関わることもないかもしれないしと、勇志はすっかり忘れていたのだった。
 それには、ミュアこと歩美の強制的な暗示による影響も、多少なりともあったかもしれないが……

 せっかく忘れてたんだからいいじゃないかと、勇志は苦い記憶を振り払うように首を振り、真純の方へと向き直った。

「なあ真純、今日はガップレの予定なんもなかったよな? だったら久々に飯でも食ってくか?」

  積もる話がある訳ではないが、たまには男同士水入らずでのんびりしたい時もある。
 特に最近は女子絡みの災難が多発していたため、勇志の潜在意識下で、少し女子から離れたいというのもあるのだろう。贅沢な悩みである。

 『男同士で』を実行するために1番の難所となるのが歩美だったが、幸い彼女は「新体操部のスケットで帰りが遅くなるから、今日は一緒に帰れない」と前もって伝えられていた。
 同時に「寄り道しないで真っ直ぐ家に帰るように!」とも釘を刺されてはいたが、勇志は(パンドラの箱は開けたことが分からなければ開けたことにはならないのだよ)とか何とか、格好をつけて無視するつもりだった。もちろん、面と向かっては歩美に言えなかったが……

「――わるいな勇志、今日はバスケ部に顔を出さないといけない日だから」

 そう言いながらバスケのシュートモーションのジェスチャーをする真純。
 ガップレの活動がメインではあるが、一応バスケ部に所属している真純は、予定がない日はなるべくバスケ部に顔を出すようにしていた。

 近く公式大会も始まる頃だし、忙しいのだろうけども……

「まさか、男のお前に振られるとはな……」
「ごめんごめん、なんなら勇志もたまには顔を出したらどうだ?」

 高校に入学した当初、ボソッと「また一緒にプレーしたいな」と言っていた真純の姿が思い浮かぶ。
 かつて共にコートの中を駆け回り、時には互いに切磋琢磨し、数々の強敵ライバルを共に倒した親友は、高校というステージでも一緒にバスケがしたいと密かに願っていた。

「――遠慮しとく」
「そっか、じゃあ飯はまた今度な!お疲れさん!」

 そう言い残して真純は体育館の方へと向かっていった。残念そうな顔は隠しきれていなかったが、勇志はもちろん気付かなかった。

(すまんな、友よ…… できればもうバスケはやりたくないんだよ……)

 真純に振られてしまったことだし、今日は大人しくゲーセンに寄って帰ろうかと席を立ち上がった勇志の前を、青紫色の髪がフワリと目の前を通り抜け、すぐ隣で止まった。

「入月くんが1人で帰ろうとしてるなんて、珍しいこともあるのね?」
「それはどういう意味でしょうか、?」

 規格外の美貌と抜群のスタイルの『橘時雨』が勇志の行く手を遮るようにそこに立っていた。

「『橘』って呼んでくれてたでしょ?学校でもそう呼んでくれて構わないのよ?」
「いや、なんか学校だと恥ずかしくて……」
「へぇー、超が付くほどの鈍い貴方でも、こういう時は女子を意識するのね?」
「うるさい、ほっとけやい……」

 先日、勇志と時雨が一緒に【Godly Place】のライブに参加してから、このように学校で会話するようになった。とはいっても、その殆どは時雨から勇志に話し掛けることが多く、話しても勇志を茶化すような、揶揄からかっているような節があった。

 あれから他のクラスメイトとも仲良さそうに話している姿もよく見かけるようになったし、何よりも驚いたのが、時雨の『笑顔』が見られるようになったことだった。
 今や、誰も時雨のことを『鉄仮面』だと呼ぶ者はいない。

(しかし、俺と話す時の笑い方だけはちょっと違う気がするんだよな~)

 小悪魔のような、少し恍惚とした微笑み。
 結局のところ、勇志は未だに時雨という人物がよく掴めないのであった。

「それじゃあ私も部活へ行くわ」
「おう、あんま無理せず頑張ってな!」
「入月くんも、たまには…… ううん、何でもないわ」
「そっか、じゃあまた明日」

 時雨が去り際に何を言いたかったのか、勇志にはさっぱり分からなかったが、特に気にもしなかった。

 時雨は勇志と別れ、教室を出た後、そのまま扉に軽く背を預けた。

「もう一度…… 貴方がバスケをしている姿が見たいなんて、言えるはずないじゃない…… 」

 その声は誰にも聞こえず、時雨自身にも聞こえていないかのように……

 時雨が立ち去る際、教室のドア窓から見えた勇志は、呑気に欠伸をしている姿だった。
 長い髪から覗いた口元は、優しく微笑んでいた。
 
「――さてと」

 真純に振られ、時雨に茶化され、やることも無くなった勇志は、珍しく1人で教室を後にした。
 廊下には吹奏楽部の音出しの響きや、グランドから気合の入った掛け声が溢れている。
 そんな中を堂々と歩く勇志の姿に、いつもと変わりはない。しかし、彼の心にはちょっとだけ変化があった。

(隣に歩美がいないと、俺はここまで無気力な人間だったんだな……)

 そんなことを考えながら校庭を歩いていると、正門の辺りに何やら人集りが出来ているのを見つけた。
 近付くほどに、その人集りのほとんどは男ばかりということに気付き、何やらきな臭さを感じてしまう。

 「おい聞いたか!?『花学』のやつが来てるらしいぜ!?」
「マジか!あのお嬢様学校だろ?」
「ああ! しかもメチャメチャ美人だってよ!」
「すげーな! 早く見にいこうぜ!」

 そうしてまた男子生徒たちが勇志の横を通り過ぎては人集りに加わっていく。

(ははーん、それで男子が多いわけか)

 勇志は1人で納得しつつ、関わるとろくなことにならないと、近頃の災害レベルの『女難』を思い出してしまい軽く身震いした。
 なるべく人集りから離れるように正門を抜けようと、距離を空けて横を通り過ぎようとした時だった……

「――いいえ、結構です」
(あれ?どこかで聞いたことあるような声だな)

「そう言わずにさ~、ねえ?俺とデートしよーよ?」
「ごめんなさい、人を探しているので」
(そういえば、さっき『花学』って言ってたけど、もしかして『花園学園』のことじゃないよな!?)

「いーじゃん! ちょっとくらい付き合えよ!」
「もう、いい加減にしてください!」
 
 嫌な予感がした。しかし、時既に遅し。
 勇志は人集りの中心にいた女子へと目を向けてしまっていた。
 重なる視線、怪しく微笑む口元……

「――見つけた!」
「あ……」

 勇志の記憶の扉が音を立てて開かれていく。
 見覚えのない制服に金髪ショートカット、短めのスカートから伸びる健康的な脚と、地球のG重力に引かれない自己主張が弱めな双子山……

 「――いや、人違いだな」

  勇志はその場で立ち止まることなく、そのまま帰路についたのだった。

「ちょっと待ちなさいよッ!」

 聞こえないフリをして、歩みを早める勇志。

 「待てって言ってるでしょ!?」

 かなりの早歩きで進んでいるはずなのに、声の主が心なしか近付いて来ているような……

「コラーッ!入月勇志!!」
「フルネ~ム!?」
 
 これはもう言い逃れはできないかと、覚悟を決めて恐る恐る振り返ると……

「待ちなさ~い!入月勇志~!!」

 正門前で人集りを形成していたナンパ男を含む野次馬男子たち、総勢30名程を引き連れてこちらに爆走してくる『西野莉奈』がそこにはいた。

「ヒィ~~~ッ!!」

 そのあまりにも現実離れした光景を前に、勇志はは回れ右をして、ただ全力で逃げることしかできなかった。

「入月勇志~!逃げないで助けなさいよーッ!!」
「無茶言うなーッ!!」

 莉奈も野郎共を引き連れながら、全力で勇志を追い駆ける。流石スポーツ万能というだけあり、ダッシュしている姿も様になっている。
 ショートカットの金髪と、短めのスカートをひらめかせながらも、なお不思議な気品を纏っているようだ。
 しかし、本人はそれどころではないようだが……

 「ねえ待って~ん!  花学の子~! せめてお名前だけでも~ん!」
「そんなつまんない男より、ここにいい男がいるよ~!」
「つーか、あの男だれだ?」
「入月なんとかって……」
「そんなやつうちの学校にいたか?」
「さあ?」
「誰だろうと、女の子置いて逃げるような奴だぜ?ろくな奴じゃねえに決まってる!」
(だあーっ!言いたいこと言いやがってー!)

 逃げる男と追う女、それを追う男共。なんという地獄絵図だろうか。

「はあ……はあ……」

 しばらく鬼ごっこは続き、志が低い男たちは次々にリタイアしていったが、そろそろ先頭を行く入月勇志運動不足も体力の限界が近づいてきた。
 志が高く強い精神と体力を持った真の西野ファンだけが、この不毛な鬼ごっこで未だにリタイアせず生き残り、勇志を追いかける莉奈の後をついて来ていた。その数はもはや片手で数えられるほどに減っていたが大した者だ。

 「よく西野を一目見ただけでここまでできるよな」と、勇志はむしろ彼らに感心していた。
 自分ならきっとそこまでしないし、なにせ相手があの西野だし、可愛いのは外見だけだと分かっているから尚更だ。

 いつの間にか街の方まで降りてきた勇志は、どこか避難できる場所を探して辺りを見渡した。

「ゆ~し~ぃ!!」

 すぐ後ろには莉奈と愉快な仲間たちが迫って来ている。

「くッ…… 背に腹はかえられないか!」

 勇志は薄暗い路地裏に駆け込み、その影に身を潜め、呼吸を整えることにした。
 入り組んだ地形とこの薄暗さから、殆ど人は通らない道だが、勇志は駅から学校に間に合わない時は、緊急時のショートカットとしてよくお世話になっていた。そのため、路地裏の構造は頭に入っている。

(本当は女子から逃げるためだけに、この場所を使いたくないんだけど……)

 そんなことを考えていると、すぐにドタバタと足音が聞こえて、咄嗟に勇志は息を潜めた。

「卑怯者ーッ!こんな所に逃げ込むなんて!!」
(ごもっともです、ごめんなさい……)

 勇志は心の中で莉奈に謝罪をした。

「やっと…… やっと追いついた!さあ花学の子、俺たちとお茶でも行こうぜ?」

 最後まで諦めずに莉奈を追ってきた精鋭たちは、全部で4人だった。取り敢えず、勇志は心の中で残った4人に拍手を送っておく。
 しかし、当の方人は物凄く嫌な顔をしている。モテるって大変なんですね……
 
 「もう!ほんと執拗しつこい!どっか行って!」
(お前が言うかッ!?)

 嫌そうな顔が、そのうちゴミ虫を見るような目に変わる。そのまま莉奈は「付いてこないで!」と言い放って、路地の奥の方へと走って行ってしまった。
 そこまで言われても、学校からここまで追い掛けてきた猛者たちだ、たじろぐ事なく、すぐに莉奈の後を追いかけて走っていった。

「――ふぅ~、取り敢えず逃げ切ったな……」

 勇志は路地裏の入り口に戻るため歩みを進める。

(いや、これは西野が勝手に付いてきたからこうなったんであって、断じて俺のせいではないはずだ……)

 路地裏の奥、一本道を間違えれば太陽の光さえ届かない賑やかな街のダークサイド。
 もし、男達がその場の雰囲気に流されて、莉奈に手を出したら…… こんな暗がりの中、助けを呼んでも誰の耳にも届かないのではないか……

「あ~、もうッ!」

 勇志は回れ右で路地裏の奥へと走り出した。
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