アマテラスの力を継ぐ者【第一記】

モンキー書房

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章第四「熟穂屋姫命、八河江比売」

(五)

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 麦秋ばくしゅうふつか目の、つ(日の出)。清陽殿せいようでん隠御殿いんのおとどから、布団を片づける数名の御杖代みつえしろが出てくる。彩が後照殿こうしょうでんで爆睡していた時分から、天照大神あまてらすおおみかみはもうすでに執務を始めていたようで、昼御座ひのおましを含む清陽殿のどこにも、姿を確認することはできなかった。
 渡殿わたどの(渡り廊下)に出た彩は、高欄に手を添わせ、庭へと目を向ける。雲ひとつない空から差し込んだ朝日が、水面を煌々と輝かせていた。深呼吸してみると、新鮮な空気と神聖な水の香りが鼻腔をくすぐり、懐かしい気持ちになる。昔ながらの木造建築のためか、見渡す限り、江戸以前の町並みといった雰囲気を漂わせていた。
 彩は自分の依代よりしろの完成具合を確認するため、高天原たかまのはらの北の果てにある恋路沢こいじのさわへと向かう。そこは、可美葦牙彦舅尊うましあしかびひこぢのみことが代々管理するアシのえた湿地帯で、多くの神々は毛嫌いし、八河江比売一族やかわえひめのいちぞく葦那陀迦一族あしなだかのいちぞく以外に近寄りたがる者はいない。
 豊かな国を祈願する場所なのに惜しいことだ、と天照大神は思う。アシはしに通じるから縁起が悪い、という意見もあれば、かといってヨシに変えても吉原よしわらのイメージはもっと悪い、という意見も出た。名前を決める際、いくつかの候補は出たが、決め手に欠けていた。小泥こひぢ恋路こひぢに通じる掛詞かけことばである。先々代の菊理媛神くくりひめのかみが提案した恋路沢という名称は、三分の二以上の賛成を得て可決されたのだった。
 きょうも「れ」と呪文のように叫ぶ八河江比売に進捗しんちょく状況を訊き、順調に成長していることを確認する。その帰り道、任された仕事を朝早くから再開している、オオカマキリの集団を目撃した。豊布都神とよふつのかみ建布都神たけふつのかみの心配が杞憂であってほしい、と彩は願う。
 彩は衛門府えもんふの神々にあいさつし、乾符門けんぷもんを抜ける。納屋で農具を支給している時量師神ときはかしのかみから鎌を受け取り、きのうと同じように自分が割り当てられた田圃たんぼへと向かう。茣蓙ござの敷かれた畦道あぜみちに腰をおろし、数柱の神々が、おむすび片手に談笑をわしていた。まだ作業を始めるには早い、朝食の時間帯である。一柱ひとはしらの女神が、彩に対して爽やかな笑顔を向けてくる。
保食うけもちさん、ごめんください」「おはようございます、きょう息子さんたちは?」「こんげん大事な日がにー、みんな仕事あるすけ国に残ってるんら。あしたはんろー」
 その女神にすすめられて、隣りへと座り、おむすびをひとつまみ上げる。長靴を履いたまま茣蓙の端に腰かける田道間守命たじまもりのみことが「きょうのおやつにどうぞ」と、アメを差し出してきた。彩は受け取りつつも、まだたつこく(午前七時から午前九時ころ)に差しかかったばかりなのだが、とは、如何いかにと疑問を投げかける。女神は「泣いてしまんでねっか? ぬぐぇーすけなー」と言いつつ、首からげた巾着に仕舞いこむ。
 天照大神あまてらすおおみかみが乾符門から出てきたので、茣蓙から立ち上がりかける神々を、天照大神は「どうぞ、そのままに」と手で制した。葦原中国あしはらのなかつくにでいうところの天皇、つまり最高神のくらいである天照大神が普通に大衆の面前に姿を現すなど、ついこのあいだまでは想像もつかないことだった。
 その他大勢の神と同じように、彩も茣蓙へ座りなおす。彩の正面には、依代小六のときの彩よりも背が低く、小学校低学年の、少年のような容姿をした神が座っていた。その幼神おさながみが彩にたずねてくる。
「ああ、保食神うけもちのかみ、おはようございます。オシラサンと会いました?」「おはよう。いや、会ってないけど、どうして?」「ぼくも詳しくはわからないですけど、会いたがっていましたよ」
 彩は、不吉な予感を覚える。それは、オシラサマが彩に会いたがっている、ということに対しても、もちろんあるのだが、いま彩がいだいているのは別の感覚だった。虫のしらせというのか、風の便りというのか、不意に、彩の背中へ悪寒が走ったような気がする。間違いなく、いままさに、この瞬間、稲穂は好ましくない事態に直面し、助けを呼んでいる、ということがわかった。稲穂の感情が届いたということは、運動会の日に交わした彩との約束を律儀に守り、きょうも首に御守おまもりをかけているということだろう。それなら稲穂のもとへ、ひとっ飛びできる。
 彩は急いで、おむすびを口いっぱいに放り込む。指についた米粒を歯で取りつつ立ち上がると、彩は「すみません、ちょっとだけ席を外します」と天照大神にささやいた。軽く飛び上がって、そのまま鳥居を目指す。その様子を見て、ため息じりになげ大気都比売神おおげつひめのかみの声が、遠くのほうから聞こえた。「なんぞ、心慌こころあわたたし。たなつものの神にて、るまじきことなり。はしたなくてある」
 天照大神が「あの方は、特命もありますから」と精いっぱいのフォローをしてくれる。きのうは夜遅くに帰り、そのまま寝てしまったし、きょうは朝遅くに起きてしまい、まだじゅうぶんに話せていない。寂しい思いをさせ、天照大神には、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 彩は大鳥居をくぐり、受付をスルーする。今回ばかりは、記帳している余裕などなかった。どこからか迷い込んだウサギなのか、毛並みの整った一羽をきかかえた天之石門別神あまのいわとわけのかみの横を通り抜けるも、天之石門別神はなにも言ってこない。この場に櫛磐間戸神くしいわまとのかみ豊磐間戸神とよいわまとのかみがいれば、力ずくでも引きとめられていたかもしれない。稲穂の御守から出るには、受持稲荷神社を経由しなければならない。彩は急いで、天八重雲あめのやえたなぐもへ分け入った。
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