あなたを褒める仕事をしています

えんびあゆ

文字の大きさ
6 / 50
白石ゆい編

第6話 褒め言葉は、拡散される[2]

しおりを挟む
予約したレンタルスペースは、拍子抜けするほど普通だった。

白い壁。
簡素な机。
少しぐらつく、安っぽい椅子。

癒しを売っている感じもなければ、スピリチュアルを匂わせる飾りもない。
観葉植物すら置かれていない。
香りも音も、演出がない。

それが、少しだけ腹立たしかった。

――もっと、それっぽいと思っていた。
――安心できる空間とか、整えられた雰囲気とか。

そんなものを、自分が期待してしまっていたことに気づいて、白石ゆいは奥歯を噛みしめた。

期待している時点で、自分はもう“客”だ。
“客”であることは悪くない。
でも、ゆいはずっと“見られる側”で生きてきた。
客になるのが下手だった。

ドアを開けた瞬間、ゆいは反射的に背筋を伸ばした。
「今日はすっぴん寄りでいい」と思っていたのに、結局きっちりメイクをしてきた。
髪も巻いた。
服も、無難に褒められるやつ。

自分の“無難”は、他人に褒められる無難だ。
無難を着てきたことが、急に恥ずかしくなる。

「……思ったより、普通ですね」

つい口に出してしまってから、言わなくてもよかったかもしれない、と思う。
目の前に座る女性――三枝しのは、その言葉を否定もしなければ、気まずそうに笑うこともしなかった。

「そう言われることはあります」

――ただ、それだけ。

フォロワーの反応とは、あまりにも違う。
肯定も、共感も、装飾もない。
“盛らない”。

その距離感が少しだけ居心地が悪かった。

――この人は、私をどう扱うつもりなんだろう。

お客として?
商売相手として?
それとも、ただの一人として?

しのは、開始の確認をする。

「一時間です。途中で止めたくなったら止めて大丈夫です」

その言い方は優しいのに慰めではない。
ルールの説明に近い。

ゆいは頷く。
頷きながら、心のどこかで“逃げ道がある”ことに安心する。
逃げ道が必要な自分が嫌なのに必要だ。

「褒めてほしいポイント、空欄でした」

しのが淡々と言う。
責める声ではない。
事実として置く声。

ゆいは一瞬だけ笑いそうになる。
インフルエンサーが、褒めてほしいポイントを空欄。
笑える。皮肉すぎる。

「……書けなかったです」

「書けない方もいます」

しのは言い切らない。
“多いです”とも“普通です”とも言わない。
それが、逆に怖い。
普通だと言ってくれれば楽なのに。

ゆいは、話し始める。
フォロワーの数。
過去の投稿。
褒められ続けた感覚。
それが、だんだん怖くなっていったこと。

話しながら、言葉が自分の中で勝手に整理されていくのが分かる。
整理されるのが嬉しいのに、同時に怖い。
整理されたら、次に何かを決めなきゃいけない気がするからだ。

しのは聞くだけだった。
相槌は最小限。
表情も大きく変わらない。

肯定しない。
驚かない。
慰めない。

その沈黙が、だんだん怖くなってきた。

フォロワーの世界では、沈黙は拒絶だった。
反応がない=興味がない。
興味がない=価値がない。

そんな単純な式が、体に染みついている。

沈黙が続くたびに、ゆいの中の“数字”が暴れ出す。
今の発言、ウケた?
刺さった?
共感された?
されてないなら、価値がない?

「……あなたも、褒め屋ですよね」

確認するように言ったのは、この沈黙に耐えられなくなったからだった。
“反応を引き出す”ための言葉。
いつもやっていること。
炎上しないギリギリの強さで、相手の温度を引き出す。

「じゃあ、同じじゃないですか」

言ってしまった瞬間、少し強すぎた、と分かった。
責めたいわけじゃない。
でも、引き返せなかった。

「お金を払ったら、肯定してくれる。それって、私が今まで浴びてきた褒めと何が違うんですか」

言葉にしてしまえば、それはほとんど八つ当たりだった。
それでも、八つ当たりが出るということは、“ここが安全”だと、どこかで思っている。

しのはすぐには答えなかった。
沈黙が落ちる。
その沈黙が、画面越しの沈黙よりずっと重い。

画面越しの沈黙は切り取れる。
ブロックもできる。
閉じれば終わる。

でも、目の前の沈黙は、逃げ場がない。
逃げ場がないのに、殴ってこない。
それが逆に、落ち着かない。

「同じだと感じるなら」

しのは静かに言った。

「今日は、褒めない方がいいかもしれません」

ゆいは一瞬、言葉を失った。
想定していた答えは、どれでもなかった。

否定されるか。
論破されるか。
優しく諭されるか。

どれかだと思っていた。

褒めない、というのは反則だった。
だってここは“褒め屋”なのに。

「……それって、逃げじゃないですか」

思わず、そう返していた。
返した瞬間、自分の声が少し震えているのが分かる。

でも、その直後、胸の奥がふっと緩んだ。
逃げだと思ったのに。
同時に、ほっとしている自分がいた。

褒められないことに安心している。
それは、ゆいの中でずっと言葉にできなかった感覚だった。

「私は、言葉を渡します」

しのは続ける。

「でも、それが誰かを壊すなら――渡さない選択もします」

壊す。
その言葉で、ゆいの中の何かが止まった。

壊れている自覚は、ある。
でも、壊れていると断定されたくはない。
断定されたら、そこに閉じ込められる。

なのに、しのの言い方は断定ではなかった。
“可能性”として置く。
“選択”として置く。

だから余計に逃げられない。

「……私、褒められるのが怖いんですよね」

ゆいは、口から出た言葉に自分で驚いた。
怖い、なんて言うつもりはなかった。
でも出た。

しのは頷きもしない。
否定もしない。
ただ、言葉を拾う。

「怖い、は。具体的にどんな怖さですか」

ゆいは一瞬、息を詰めた。
具体的に、と言われると逃げたくなる。
自分の曖昧さが、剥がされるからだ。

「……褒められると、安心する。安心すると、またやる。またやると、もっと褒められる。で、いつの間にか、やめられなくなる」

「やめられなくなる」

しのが言葉を返す。
返されるだけで、ゆいの胸が少し疼く。
自分の言葉が、ここで“形”になってしまう。

「褒められないと、不安になる」

ゆいは続けた。
続けたら止まらなくなりそうで怖いのに、続ける。

「不安になると、投稿する。投稿すると、褒められる。……それで、落ち着く。でも落ち着くのって数時間で。また不安になって。それ繰り返してると、何のためにやってるのか分からなくなる」

しのは、初めて少しだけペンを動かした。
カリ、と小さな音。
その音が、ゆいの言葉に“重さ”を与える。

「白石さんは、褒められることで自分を確かめてきた」

「……そう、だと思います」

「確かめるのは、悪いことではないです」

そこで、しのが一度止まる。
ゆいは身構える。
“でも”が来ると思ったからだ。

「ただ。褒めが確かめる道具になりすぎると、褒めは内容を失います」

内容。
ゆいの中に、過去のコメントが流れる。
“全部が魅力”
“何しても可愛い”
“それも含めて好き”

内容がない。
優しいけれど、輪郭がない。

「輪郭がない言葉は、安心にはなります。
でも、安心は“存在の証明”にはならないことがあります」

存在の証明。
その言葉で、ゆいの喉が少しだけ痛くなる。

「……じゃあ、私は」

言いかけて止まる。
結論が欲しい。
欲しいのに、結論が怖い。

しのは、結論を渡さない。
代わりに、短い事実を置く。

「白石さんは、今日ここに来ました」

ゆいは瞬きをした。
それ、圭一のときと同じだ。
同じ言葉が、別の人にも刺さるようにできている。

「褒められる側の人ほど、“褒められない場所”に来るのは怖いです」

ゆいの胸が、少しだけ反発した。
褒められない場所?
ここは褒め屋なのに。

でも、しのが言っているのは、たぶん“外側”の話ではない。
自分の中で、褒めが止まる場所のことだ。

「白石さんは、怖い場所に来た。それは、簡単ではありません」

ゆいは、返事ができなかった。
褒められたくて来たのに。
“褒めない”と言われてほっとして。
その上で、こういう事実を置かれる。

褒めの形が違う。
甘くない。
でも、嘘じゃない。

一時間は、短かった。
期待していた「救い」はなかった。
分かりやすい「肯定」もなかった。

代わりに残ったのは、自分が何を怖がっていたのか、まだ言葉にできない重たい感覚だった。

「正直、期待してたのと違いました」

そう言ったとき、ゆいは本当にそう思っていた。
がっかりしたのか。安心したのか。
自分でもまだ分からない。

しのは「そうですか」とだけ言った。
引き留めもしない。
評価もしない。
その距離が、今日のゆいには効いた。

「でも……」

続く言葉を、自分で探しているのが分かった。
喉の奥に、まだ言葉が残っている。

「少なくとも、“また褒められたい”とは、思わなかったです」

それは、褒め言葉ではない。
感謝とも、批判とも言えない。
でも、嘘ではなかった。

部屋を出たあと、ゆいは階段を下りながら何度もスマートフォンを取り出しかけて、やめた。

今すぐ、誰かの反応を見たい気もする。
でも、それをしたら、今日のこの感覚が薄れてしまう気がした。

胸の奥に残った、まだ名前のついていない感情。
それだけは、もう少し、手元に置いておきたかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ

Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。 理由は決まって『従妹ライラ様との用事』 誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。 「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」 二人の想いは、重なり合えるのだろうか …… ※他のサイトにも公開しています。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

処理中です...