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第3章 それは一見するとささやかな転機

第19話 白骨

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「このままいけばいつか空さんなしでも充分おとなしくなるかもしれない」

「そしたらあいつもお役御免すね。とっとと追い出しましょ」

「そんなに追い出したいか」

 僕はかなりはっきりと、彼女にも判るくらい不機嫌に吐き捨てた。僕の様子などお構いなしにこいつは軽い口ぶりでしゃべる。

「そりゃそうっすよ。あんなどこの馬の骨とも判んないやつ」

「馬の骨、か」

「へへえ」

 原沢は上手いことでも言ったような顔をした。

「ほんとの骨にならないようにしないとな」

 僕の目の前に、春の日差しが差しこむなか白いものがぼんやりと浮かびあがる。眼の焦点が合うと焼けた真っ白いカルシウムの塊が転がっているのがわかった。あれが、あの白いかすかすした物質が3日前には人間だっただなんて。それを竹の箸で掴む僕の手が震えた。僕のせいで。僕の。思わず僕は手を握る。爪が掌に食い込む。危ない。またフラッシュバックが来そうだ。

「は? ホントの骨ってなんすか?」

 原沢の声に僕は一瞬の幻覚から目を覚ます。原沢は僕の言った意味が分からずきょとんとしていた。

「いやなんでもない」

「えなんすかそれ」

「だからなんでもない」

「もおセンパあイ」

「よおし、これで一通り終わりだ。僕はもう寝るぞ。原沢もいちいち僕の見回りに付き合うな。寝不足になる」

「いいっす。これあたしの趣味みたいなもんなんすからっ」

「変な趣味だな。そんな趣味やめとけ。大体なんでそんなに僕に付きまとうんだ」

「センパイにだったら特別教えてもいいすけどねえ、その訳」

「ああ言わんでいい言わんでいい」

 慌てて厩舎を出るが原沢のおしゃべりは続いた。

「あたしがあ、ここ来たばっかで右も左もわからなかった時っすよ。センパイってば新入りのあたしでも判るように、馬一頭一頭の外見の特徴から性格や扱い方、食べ物の好みまで判りやすく懇切丁寧に手取り足取り腰取り教えてくれたじゃあないっすか」

「腰は取ってない。うちは新人に優しくない悪しき伝統があるからな。あれは僕も本当に苦労した。原沢にはそんな苦労をして欲しくなかったんだ。役に立ったか」

「そりゃあもう! それだけじゃなくて乗馬の苦手だったあたしを上手にリードしてそれこそもう手取り足取り…… だからあたしあの時からパイセンにぞっこんなんす、ぞっこん」

「ぞっこんってなんだ、昭和か? 僕にぞっこんになってもいいことなんか何もないぞ。でもまあ役に立ったのはよかった」

「んふふー」

 原沢の両腕が僕の腕にしがみ付いて来ようとしたので僕は素早く回避した。ついこの間までなら気安く許していたような行為だったし僕としてもまんざらでもない気持ちになっていただろう。だが今は違う。苦し気に僕を見つめる眼。高い鼻。青ざめた頬。やや小柄で薄く細い身体の背を丸めた空さんの姿が僕の脳裏に焼き付いてからというもの、僕は原沢に異物のようなものを感じていた。その原沢は不貞腐ふてくされた顔になる。

「まあこんな先輩のことなんか構わず職務に精励せいれいしたまえ。それじゃあな、おやすみ」

「もう、センパーイ」


【次回】
第20話 漆黒の絵、互いの何気ない一言が2人の心臓を突き刺す
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