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15話 偽小麦

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 帰城後、ソフィアは綿密な計画を立てた。
 まず手始めに荒れ地を買い取り、そこで働いていた農民と新たに雇用契約を結ぶ。リヒャルトからはGOサインが出たので、実際に所有者のもとへ出向いて交渉することにした。

(今はサフランの月。前世でいう十一月よ。牧草の播種は春だけど、麦は間に合うかもしれない。ライ麦か大麦の種が手に入れば……)

 稼働中の肉牛用の牧場も買い取り、試験的に乳牛を育て始める。状態がマシな所から環境に強い雑穀を植えて、土壌回復させていきたい。翌年には牧草を植えられる状態の土地が数十ヘクタールほしいと思っている。放牧する牛一頭につき、一ヘクタールは必要だ。ソフィアは牧場の拡大と牛の育成を同時進行させたかった。

 帰城した翌日、早速ソフィアは動いた。嫁入りしてから作ってもらった華やかな色の服ではなく、ルツに仕立ててもらった地味な服を着て農地へと向かう。馬車ではなく、馬に乗った。護衛はケツ顎オヤジ、ジモン。
 荒れ地は放棄され、持ち主もたいていは移動していたため、全員を見つけ出すのは困難だった。これも農地の調査と同様、チームを作って調べさせる必要がある。

 一軒目、リヒャルトと見学した牧場のオーナーは難なく取引に応じてくれた。これで資本となる牛をゲット。他の元国有地も同様、交渉はスムーズに進んだ。農民からしたら手つかずの荒れ地だし、金をもらえて働き口も見つかればラッキーなのだろう。ソフィアは書類も用意し、その場で買い取った。即断即決。もたもたしていては、農期を逃してしまう。
 しかし、所有者がわかっている農地に関してはコンプリートかと思いきや、そうはいかなかった。

 他領から移住してきたという農民ボド。貨幣税改革の一環として解放された農奴である。ある一定基準以上の貨幣税を納めた農奴は土地を得ることができる。焼畑農法で得たその土地は荒れ果てていた。にもかかわらず、売りたくないという。

「はんっ? ラングルト公爵夫人だあ? エロい赤毛をしやがって。娼婦かと思ったぜ」

 褐色の肌に赤茶けた髪。雰囲気は農民というより、ガラの悪い町人といったところか。チュニックに半袖のダブレット(上着)を重ね着していた。暗い茶色の目で射るような視線を浴びせてくる。
 護衛役のジモンが剣柄に手をかけたのでソフィアは制止した。レアケースには慎重にあたりたい。今まで、地味な装いであっても、名乗れば農民たちは低姿勢になった。なかには平伏する者もいたぐらいだ。この世界の身分制度は強固である。ボドのこの態度は不敬罪で斬り捨てられもおかしくなかった。
 この異常行動の意味するところは、王侯貴族に対して強い怨恨を抱えているか、単なる馬鹿か、気骨があるのか……

 通常だったら、縮み上がってしまう粗暴なタイプが相手であっても、ソフィアは落ち着いていられた。隣にいるケツ顎オヤジのほうが明らかに強いし、仕事モードの時はトラブルも冷静に対処できる。ジモンが雄ライオンだとしたら、痩せた労働者のボドはヤンチャな小鹿だ。

「どうしても譲っていただけないのですか?」
「ああ、いやだね。オレが自分の力で手に入れた土地をまた奪って、奴隷にしやがるつもりか? あんたら、貴族はそうやって富を独占したがる」
「悪い話ではないと思うのですが……」
「だーれが、だまされるか! そもそもあとで買い戻すつもりで、土地をくれたんじゃねーの? テメェらの思い通りになるかってんだ!」
「そのあとの雇用も保証しますし、給与や待遇はご用意した契約書のとおりです。貢納からも解放されます」
「聞こえのよいことばかり言って、結局は自分らの利益のために利用するつもりなんだろ? わかってんだからな?」

 どれだけ穏やかに説明しても、ボドは頑なだった。若いのに頭の固い男だ。これだと、気骨があるというより、単なる馬鹿か怨恨の線が強くなってきた。ジモンの我慢が限界に達しそうだし、ソフィアはあきらめることにした。手土産の酒だけ置いて、おいとますることにする。説得に時間がかかる案件は後回しだ。

 外へ出て、ソフィアはもう一度農地を確認した。荒れ地の向こうは森。手前の畑には刈り取られた跡があった。まだ、収穫可能な畑は残っているようだ。どこからともなく麦の香りが漂ってくるのはなぜだろう? 見えるところに収穫した麦は見当たらない。

「それにしても、とんでもない輩でしたな? ソフィア様が止められなければ、斬ってましたよ……あれ? ソフィア様?……どうされました?」

 人の命をなんだと思っているのだ。中世的価値観のケツ顎は放っておいて、ソフィアはボロ家の裏側へ向かった。麦の香りは近い。

 西日が黄金色の麦穂を照らしていた。山と積まれた麦が打ち捨てられていたのである。ソフィアは駆け寄った。これはまさか? まさかのまさか? 欲していたものが、ここにあるかもしれない! 跳ね上がらんばかりに拍動する胸を押さえ、ソフィアは麦のところにしゃがみこんだ。
 乾燥した種を手にとってみる。ビンゴ! これは使えるやつだ。

「ジモンさん、すぐにボドさんを呼んできてください!! お願いします!!」


 呼び出されたボドは不機嫌オーラ全開でソフィアをにらんだ。話は終わったのに、なにごとかと。

「あんだよ? これぁ、偽小麦だよ。一緒に生えてくるんで邪魔なんだけど、肥料になるかと思って取っておいたんだよ」
「譲っていただけませんか?」
「はん?」
「全部、譲ってください。普通の麦の価格で引き取ります」
「どういうこった? 呪術にでも使うのか? 気味が悪りぃ……」
「種を撒いて栽培するのですよ。荒れ地でも育ちやすいので、土壌回復につながります」
「この雑草をか!? 作ってどーすんだよ? 緑肥にでもすんのか?」
「食べます」
「へっ!?」

 ボドの茶色の目は嘲りを含んでいる。頭のおかしい女とでも思っているのだろう。麦に似た邪魔な雑草、よくて緑肥ぐらいにしかならないそれを食べるというのだから。

「これはライ麦といいます。荒れ地でも強く育ち、栄養価も小麦より高い……なんなら、これでパンを作りましょうか? ご準備いただけるのなら?」
「へっ! 雑草でパンを作るってぇ?……おもしれぇじゃねぇかよ?  やれんならやってみろよ? 食べる分だけ、脱穀して粉にすりゃいい。石臼貸してやっからよ!」
「では、お言葉に甘えて」

 ソフィアは淡々と答えた。ボドの顔は嘲りから驚き、興味津々な様子へと変わっている。良い傾向だ。呆けているジモンには脱穀を手伝ってもらおう。貴族には初めての農業体験だろうが、農民の重労働を知れば、命の大切さが少しわかるのではないか。ケツ顎に麦穂を挟み、前後に動かして短髭でジョリジョリと──という、アホな妄想はここまでにして、ソフィアはライ麦の束を手にとった。
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