王子様と乳しぼり!!婚約破棄された転生姫君は隣国の王太子と酪農業を興して国の再建に努めます

黄札

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58話 サンバ

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 ソフィアが体の異変に気づいたのは、戴冠式の直後だ。
 吐き気が収まらず、晩餐もほとんど口をつけられなかった。体はダルく、むくんでいる。初めての経験で、凄まじい緊張にさらされたせいなのかとも思った。だが、それも翌日まで続くと、不安になってくる。とうとう、朝食後に嘔吐してしまった。

 こんな大変な時期に体調を崩すとは情けない。リヒャルトに迷惑をかけるわけにはいかなかった。幸い、即位したばかりのリヒャルトは忙しく、朝食後すぐさま部屋をあとにしたので、そのまま隠し通すことにした。
 主の様子を敏感に感じ取るのは婆やのルツだ。

「ソフィア様、ご無理をなさってはいけません。今日の予定は全部キャンセルしてくださいませ」
「なにを言うの。牧場へ行く他にも、今日は公務もあるわ。パレードが中止になった代わりに、出陣式に参加しないといけないのよ」
「ならば、辞退なされませ」

 キッパリ言い切るルツにソフィアは目を剥いた。第一軍はすでに国境付近で待機している。二軍、三軍と続々と進軍しているところであった。

「ルツ、これだけは譲れないわ。国のため、戦う兵士たちに顔を見せないでどうするの? わたくしは王妃よ? 志気が上がるなら、顔ぐらい見せるべきでしょう。少しでも彼らの役に立ちたいのよ」

 戦争になったきっかけはソフィアと実家とのトラブルである。グーリンガムにいたころのように妹の横暴を我慢し、言いなりになっていれば戦争にはならなかった。罪悪感を少しでも軽くするため、ソフィアは兵士を励ましたいと思ったのだ。ルツならきっとわかってくれると思ったのだが……

「なりませぬ」

 頑として首を縦に振ろうとしない。ソフィアのことをなんでも受け入れてくれる優しい婆やが、いつになく険しい顔をする。ソフィアは泣きそうになった。

「お部屋で安静にし、医者……いいえ、産婆を呼ぶのです」
「さっ、サンバ!?」

 一瞬、南米のリズミカルなミュージックが耳の中を通り過ぎた。サンバの意味を咀嚼するまで、しばし呆ける。ソフィアの理解が追いつくのを待たず、ルツは決定的な言葉を吐いた。

「婆の見立てでは、ソフィア様は妊娠されている可能性がございます」

 最後の生理が来たのはいつだったか。ソフィアは記憶をたどる。たしか先月は……来ていない。
 
 少しまえだったら、飛び上がって喜んだだろう。しかし、戦争が始まってしまった今では手放しで喜べない。お腹の子には未来の王という重責までのしかかる。
 ソフィアは幸せとはほど遠い顔をしていたに違いなかった。フッと、ルツは優しい婆やの顔に戻った。

「心配ないですじゃ。陛下はどんなお子であろうと、ソフィア様とのお子なら大喜びされますじゃろう」
「ええ、わかっているわ。でもね、そういうことじゃないの」
「不安になられるのはわかりますじゃ。ですが、グーリンガムで虐げられ、見知らぬ土地に追いやられても、ソフィア様はご自分で道を切り開かれましたのじゃ。この先、どんな困難が待ち受けていても、乗り越えられるじゃろうと思います」

 ルツの確固たる信頼は、不安をなぎ払うほどの効果はなくとも、心を奮い立たせることはできた。ソフィアは弱気な心に鞭打って、産婆を呼ぶことにした。

(ルツの勘違いかもしれないし、そこまで気構えることはないわ。念のためよ、念のために……)

 そもそも、この世界には妊娠検査薬なんてものは存在しないし、託宣というオカルティックなやり方で妊娠の判定をするらしい。グーリンガムにいたころ、母が祈祷師を呼んでいたことをソフィアは思い出した。
 ソフィアが十歳ぐらいの時の話だ。祈祷師に王子懐胎と宣告され、母は信じ込んでしまった。そして、大騒ぎのあと、やってきた生理を流産と言い張ったのである。想像妊娠だったのだろう。使用人たちの噂話はソフィアの耳にも届いていた。あの母らしいエピソードだ。

 それはそうと、前世の記憶をたぐってみたところ、妊娠の兆候がすべて当てはまっている。一度、囚われると、そのことばかり考えてしまった。
 牧場へは行かないと手紙を書き、鳥に託す。出陣式の出席は保留とする。自室にて、書類の確認をしてソフィアは産婆を待つことにした。

 
 やってきた産婆は思いのほか若く、テキパキと診察した。雰囲気は年を重ねたキツめの美人、といったところか。黒髪をキッチリお団子にし、メガネをかけている。短い爪や化粧っけのない顔は、仕事にたいする信念をうかがわせた。
 その母親と同じ年代の産婆は、ソフィアのことをそれはもう、くまなく調べた。口の中、脇の下、乳房から恥ずかしいところに至るまで全部。最初こそソフィアは恥じらっていたが、途中から「どうにでもなれ」と投げやりな気持ちになった。リヒャルト以外に見せたことのない場所を見られ、大切な何かを失った気にもなる。こともなげに、

「妊娠一、二ヵ月です」

 と宣告された時には、すでに充分なダメージを負っていた。

「こ、根拠は?」

 ソフィアは、か細い声で尋ねるのが精一杯だった。メガネをずり上げ、産婆はいい笑顔を見せる。

「まず、生理予定日から丸ひと月半経っても生理が来ていないこと、つわりの症状、乳房等、皮膚の黒ずみ、オリモノ、尿の量、におい、色。それと乳房の張り……などでしょうかね。他にもございますが、現段階では総合的な状況判断となっております」
「そっ、そうなのね……」
「おめでとうございます!!」

 この世界のことだから、神の御印ガーとか、御神託ガーとか……超自然現象を言ってくるかと思いきや、案外まともだった。

「酒類は飲まないようにしてください。お茶、コーヒーなどはお身体を冷やしますので、控えていただくようお願い申しあげます。また、緑の野菜、木の実、肉類などを積極的に召し上がるとよいかと……」
「それと、牛乳ね」
「ええ、動物のお乳は滋養があります。安定期に入るまでは、激しい運動は避けるようになさってください。乗馬もいけません。それと……」

 産婆を侮ってはいけなかった。彼女は、どこの世界でも通じる妊婦の心得を教えてくれる。科学的に裏打ちされた知識でなくても、積み重ねられた経験は信用できる。ソフィアは産婆を信じることにした。

「でもね、気持ち悪くてなにも受け付けないのよ」
「柑橘類、他はピクルスやマリネなど、酸っぱいものをおりになってみては?」
「うーん、試してみるけど、それでもダメな場合は?」
「豆類やパン、お菓子など、召し上がれそうだったら、なんでも試しててみてください。それでもダメだったら……無理に食べなくても、よろしいです」
「お腹の子のために栄養が必要ではないの?」
「赤ちゃんはまだ小さいです。そこまで、たくさんの栄養を必要としていないのですよ」
「ふむ……わかったわ。あなたの言うとおりにする」

 まえの世界の医師や助産師も、同じアドバイスをするだろう。自信に満ちた解答は、ソフィアを安堵させた。

「それでは私はこれで……」
「あっ、あの……」
「なんでございましょう?」
「いえ……なんでもないわ。どうもありがとう」

 ソフィアは顔を熱くしてうつむいた。産婆は一礼して、部屋から出て行く。聞きそびれてしまった。夜の生活はどうすればいいのかを──
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