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57話 ささやかな戴冠式
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スミレ色をしたベルベッドのドレスに金のアクセサリーをつける。赤毛はきれいにまとめ上げてもらった。晴れの日には質素かもしれないが、戦時中だし、これぐらいがちょうどいいだろう。厳かな王の間にて、ソフィアは緊張していた。
広間の端から玉座まで続く赤絨毯がまぶしい。その通路の脇では大勢の来賓がうごめいていて、ささやかな戴冠式という名目に疑問符がついた。
天井は高く、上から観覧できるバルコニーが設えてある。そこで待ち構えている楽隊も緊張した面持ちだ。そして、広々としたホールを埋め尽くす諸侯たち。従軍により、来られない者はその家族が代理で来ていた。彼らの中心にいる王の前、リヒャルトはひざまずいている。同じく緊張しているのだろう。固い表情の横顔はうっとりするほど美しかった。
離れてみると、造形美がよくわかる。ソフィアの前で見せる感情豊かな表情も眼福物だが、外面の美しさは目を見張るものがある。いつも子犬のように甘えてくる彼を知っているのはソフィアだけで、外では冷たく美麗な貴公子なのだ。ソフィアは、リヒャルトがハイパーイケメンだったことをすっかり忘れていた。出会った当初は彼におびえていたのである。
今はよその犬……否、赤の他人のように感じる彼が頼もしくもあり、寂しくもあった。彼がなにかの拍子に元の甘ったれに戻って、失敗してしまうのを心配もしてみた。自分がそばにいないとやっぱりダメなんだと、子離れできない親みたいな依存心をソフィアは抱いてしまう。
玉座の周りを司祭たちが囲み、祝詞を順に述べていった。退屈な儀式も緊張により、早送りで流れていく。儀式に古語が用いられるのはどこの世界でも同じだ。はっきり言って、なにを言っているのかわからない。時が経つにつれて、良き教えも形骸化するのは自然の摂理か。真剣な顔で白髭の下をモゴモゴ動かす司祭たちが滑稽に思えてきて、ソフィアは頬を緩ませた。わずかに口角が上がる。外見は上品に微笑んだ程度だろう。いい感じに緊張が弱まったところで、いよいよ戴冠となった。
玉座に腰掛ける国王は気丈にふるまっていたが、立ち上がる時は両脇を従者が支えた。おそるおそる従者が離れたあとは、リヒャルトの頭に手をのせ、声を張り上げる。長ったらしい名前を名乗ってから、宣言した。
「余の退位に伴い、余が弟リヒャルト・ヴィルヘルム・フォン・ラングルトに王の象徴である冠を授ける。この戴冠をもって、リヒャルトがリエーヴの国王となり余の持つすべての権限を譲渡したものとする。神の御前にてリヒャルトは誓え。国王となり、国を正しき道へ導くことを」
「私、リヒャルト・ヴィルヘルム・フォン・ラングルトは戴冠し、国王となることを精霊の御名において誓います」
リヒャルトの頭に王冠が載せられ、人々はため息をもらした。銀髪に金とダイヤの王冠はまばゆい。従僕らにより、王のマントがリヒャルトにかぶせられた。赤いベルベットに、裏地と襟は白テンの毛皮というオーソドックスな王様マントだ。背面には大きく王家の紋が刺繍されている。盾を中心に神獣や植物文様が描かれ、盾の中には幾何学的な家紋が四つ入っていた。日本の家紋のようにシンプルデザインではない。王冠と同様、重そうなマントだった。
リヒャルトは立ち上がり、諸侯らに顔を向けた。
「列席者がこの儀の証人となられることを願う。ここに宣言しよう。私は国王となった」
リヒャルトは盛大な拍手で迎えられた。割れんばかりの拍手はソフィアの鼓膜を叩き、頭痛を引き起こした。くわえて、めまいと吐き気までしてくる。倒れそうになったソフィアを隣にいたステラが支えた。ネイリーズ伯爵夫人ステラは伯爵と共に急遽、この戴冠式に駆けつけてくれたのである。
「ソフィアちゃん、大丈夫?」
「ええ……なんだか、圧倒されてしまって……」
不安げにささやくステラに微笑むも、身体に力が入らない。地下牢で恐怖体験をした時のように、魂が離れかけた。あの体験のせいで、離人症が発症したのかもしれない。ソフィアは過度なストレスに押し潰されそうだった。
拍手がやんだら、ソフィアの出番だ。呪文のような自分の本名が呼ばれるのをぼんやりと聞く。ここで吐いたら、すべて台無しになってしまう。リエーヴ史の汚点として、永遠に残ることだろう。ソフィアはカクカクする足で赤絨毯を踏み、リヒャルトの横、前国王の前まで進んだ。一礼したかどうかなんて、覚えていなかった。
このあと、ソフィアが戴冠する。
ひざまずき見上げると、リヒャルトは相好を崩した。
(待って、リヒャルト様? 式の真っ最中よ? そんな笑顔を見せていいの?)
ソフィアの緊張が伝わり、和らげようとしたのかもしれなかった。しかし、「大丈夫よ」と笑顔で返そうとして、ソフィアはこわばった顔を引きつらせた。
(やだ……わたくし今、絶対変な顔してる)
冠が前国王からリヒャルトに渡され、リヒャルトは誓いの言葉を促す。ソフィアは声を震わせ、昨晩何度も練習した文言を述べた。
一歩、リヒャルトが近づく。もう限界だ。ソフィアはこの場所から逃げ出してしまいたかった。重い冠が降りてくる。二度と逃れられない鉄環が迫ってくる──
だが、重みを感じるまえに、リヒャルトの顔がやってきた。
(え!? リヒャルト様!?)
リヒャルトはソフィアの額に軽く口づけした。チュッとほんの一瞬。
たったそれだけで、みるみるうちにくすんでいた世界が鮮やかな色味を帯びた。リヒャルトの体温は、凍りついた全身を溶かしていく。キスの魔法はソフィアを解放した。
たくさんの人が見守る王の間は二人きりの世界に変わった。ゴチャゴチャした色は陽光にかき消され、青と緑だけになる。ソフィアとリヒャルトがいるのは青空の下、永遠に続く草原──愛する人がそばにいれば、どこでなにをしていても恐れることはない。ソフィアは爽やかなリヒャルトの匂いを、胸一杯に吸い込んだ。
次に感じる冠の重みはとても心地よかった。楽隊の演奏が、穏やかにソフィアたちの間を通り過ぎていく。リヒャルトの手を握り立ち上がった時、ソフィアは微笑した。拍手の音に臆することもなく胸を張り、
「わたくしソフィアは、陛下の支えとなり、王妃として仕えることを誓います」
優しい銀の目に誓言した。
広間の端から玉座まで続く赤絨毯がまぶしい。その通路の脇では大勢の来賓がうごめいていて、ささやかな戴冠式という名目に疑問符がついた。
天井は高く、上から観覧できるバルコニーが設えてある。そこで待ち構えている楽隊も緊張した面持ちだ。そして、広々としたホールを埋め尽くす諸侯たち。従軍により、来られない者はその家族が代理で来ていた。彼らの中心にいる王の前、リヒャルトはひざまずいている。同じく緊張しているのだろう。固い表情の横顔はうっとりするほど美しかった。
離れてみると、造形美がよくわかる。ソフィアの前で見せる感情豊かな表情も眼福物だが、外面の美しさは目を見張るものがある。いつも子犬のように甘えてくる彼を知っているのはソフィアだけで、外では冷たく美麗な貴公子なのだ。ソフィアは、リヒャルトがハイパーイケメンだったことをすっかり忘れていた。出会った当初は彼におびえていたのである。
今はよその犬……否、赤の他人のように感じる彼が頼もしくもあり、寂しくもあった。彼がなにかの拍子に元の甘ったれに戻って、失敗してしまうのを心配もしてみた。自分がそばにいないとやっぱりダメなんだと、子離れできない親みたいな依存心をソフィアは抱いてしまう。
玉座の周りを司祭たちが囲み、祝詞を順に述べていった。退屈な儀式も緊張により、早送りで流れていく。儀式に古語が用いられるのはどこの世界でも同じだ。はっきり言って、なにを言っているのかわからない。時が経つにつれて、良き教えも形骸化するのは自然の摂理か。真剣な顔で白髭の下をモゴモゴ動かす司祭たちが滑稽に思えてきて、ソフィアは頬を緩ませた。わずかに口角が上がる。外見は上品に微笑んだ程度だろう。いい感じに緊張が弱まったところで、いよいよ戴冠となった。
玉座に腰掛ける国王は気丈にふるまっていたが、立ち上がる時は両脇を従者が支えた。おそるおそる従者が離れたあとは、リヒャルトの頭に手をのせ、声を張り上げる。長ったらしい名前を名乗ってから、宣言した。
「余の退位に伴い、余が弟リヒャルト・ヴィルヘルム・フォン・ラングルトに王の象徴である冠を授ける。この戴冠をもって、リヒャルトがリエーヴの国王となり余の持つすべての権限を譲渡したものとする。神の御前にてリヒャルトは誓え。国王となり、国を正しき道へ導くことを」
「私、リヒャルト・ヴィルヘルム・フォン・ラングルトは戴冠し、国王となることを精霊の御名において誓います」
リヒャルトの頭に王冠が載せられ、人々はため息をもらした。銀髪に金とダイヤの王冠はまばゆい。従僕らにより、王のマントがリヒャルトにかぶせられた。赤いベルベットに、裏地と襟は白テンの毛皮というオーソドックスな王様マントだ。背面には大きく王家の紋が刺繍されている。盾を中心に神獣や植物文様が描かれ、盾の中には幾何学的な家紋が四つ入っていた。日本の家紋のようにシンプルデザインではない。王冠と同様、重そうなマントだった。
リヒャルトは立ち上がり、諸侯らに顔を向けた。
「列席者がこの儀の証人となられることを願う。ここに宣言しよう。私は国王となった」
リヒャルトは盛大な拍手で迎えられた。割れんばかりの拍手はソフィアの鼓膜を叩き、頭痛を引き起こした。くわえて、めまいと吐き気までしてくる。倒れそうになったソフィアを隣にいたステラが支えた。ネイリーズ伯爵夫人ステラは伯爵と共に急遽、この戴冠式に駆けつけてくれたのである。
「ソフィアちゃん、大丈夫?」
「ええ……なんだか、圧倒されてしまって……」
不安げにささやくステラに微笑むも、身体に力が入らない。地下牢で恐怖体験をした時のように、魂が離れかけた。あの体験のせいで、離人症が発症したのかもしれない。ソフィアは過度なストレスに押し潰されそうだった。
拍手がやんだら、ソフィアの出番だ。呪文のような自分の本名が呼ばれるのをぼんやりと聞く。ここで吐いたら、すべて台無しになってしまう。リエーヴ史の汚点として、永遠に残ることだろう。ソフィアはカクカクする足で赤絨毯を踏み、リヒャルトの横、前国王の前まで進んだ。一礼したかどうかなんて、覚えていなかった。
このあと、ソフィアが戴冠する。
ひざまずき見上げると、リヒャルトは相好を崩した。
(待って、リヒャルト様? 式の真っ最中よ? そんな笑顔を見せていいの?)
ソフィアの緊張が伝わり、和らげようとしたのかもしれなかった。しかし、「大丈夫よ」と笑顔で返そうとして、ソフィアはこわばった顔を引きつらせた。
(やだ……わたくし今、絶対変な顔してる)
冠が前国王からリヒャルトに渡され、リヒャルトは誓いの言葉を促す。ソフィアは声を震わせ、昨晩何度も練習した文言を述べた。
一歩、リヒャルトが近づく。もう限界だ。ソフィアはこの場所から逃げ出してしまいたかった。重い冠が降りてくる。二度と逃れられない鉄環が迫ってくる──
だが、重みを感じるまえに、リヒャルトの顔がやってきた。
(え!? リヒャルト様!?)
リヒャルトはソフィアの額に軽く口づけした。チュッとほんの一瞬。
たったそれだけで、みるみるうちにくすんでいた世界が鮮やかな色味を帯びた。リヒャルトの体温は、凍りついた全身を溶かしていく。キスの魔法はソフィアを解放した。
たくさんの人が見守る王の間は二人きりの世界に変わった。ゴチャゴチャした色は陽光にかき消され、青と緑だけになる。ソフィアとリヒャルトがいるのは青空の下、永遠に続く草原──愛する人がそばにいれば、どこでなにをしていても恐れることはない。ソフィアは爽やかなリヒャルトの匂いを、胸一杯に吸い込んだ。
次に感じる冠の重みはとても心地よかった。楽隊の演奏が、穏やかにソフィアたちの間を通り過ぎていく。リヒャルトの手を握り立ち上がった時、ソフィアは微笑した。拍手の音に臆することもなく胸を張り、
「わたくしソフィアは、陛下の支えとなり、王妃として仕えることを誓います」
優しい銀の目に誓言した。
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