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45 高まる緊張

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 一般市民街のデモの動きに反応した警察官らが、貴族街との境界にずらりと並んでいる。彼らの装備は普段の制服とは違い、紺色のアサルトスーツに身を包んだ特殊仕様に変わっていた。
 ヘルメットとゴーグル、防弾ベストで上半身を固め、黒いマスクで覆われた顔は表情すら見えない。足許は堅牢な革製のブーツで防護され、手許も同じく革製の手袋で保護されていた。彼らは特殊拳銃と特殊閃光弾を所持し、一般市民街を威嚇するように数歩前に進んだ。

「『黒塗り事件』の再捜査と、国立美術館および国立美術大学への一般市民立ち入り制限の撤回を求める」

「俺たちにアートの自由を!」

「アーカンシェルの平和を!」

 『黒塗り事件』および、一連の捜査の対応に関する抗議の声を上げるエドガーらは、プラカードを掲げ、拡声器を通じて要望を叫んだ。
 貴族街の人々も外に出て、境界の近くに集まっている。あくまで安全な――特殊装備の警察官ら越しに事態を見物している彼らは、一般市民街の住人らの訴えに嘲笑を帯びた冷ややかな視線を投げかけていた。

「公爵への直訴を、どうか道を空けてほしい!」

 努めて冷静に言葉を選びながら、最前列のエドガーが拡声器で訴える。だが、その声に警察官らはさらに前進する。デモに集まった人々が負けじと歩を止めると、警察官の数人が特殊閃光弾を一般市民らの方へ向けた。
 エドガーが無抵抗を示すように片腕を上げて訴える。だが、警察官らは次々と手にした銃を構えて彼らを威嚇した。

「俺たちは武器を持っていない。これは平和的なデモであり、街の声だ。アーカンシェルのためを思うなら――」

「待ってくれ……!」

 緊迫した両者の間に割って入った声は、アルフレッドのものだった。
 警察官の後ろ、街宣用蒸気車両の屋根の上に立ったアルフレッドが拡声器を手にエドガーを真っ直ぐに見つめていた。

「この事態を起こしているのは、貴族街と一般市民街のアートに対する互いの認識の違いだ。まずはその認識を正し、その違いを受け容れてほしい」

 芸術都市アーカンシェルにおける根強い問題ではあるが、殆ど的外れの発言がアルフレッドから飛び出す。その発言にエドガーは落胆の溜息を吐き、拡声器を構えて鋭く叫んだ。

「譲歩すべきは俺たちじゃない!」

「『黒塗り事件』の責任を取れ! 犯人は貴族街の住人だろう!?」

「犯人捜しをしてなんになります? これ以上問題を広げるべきではないでしょう」

 人々の憤怒の声に、アルフレッドが蒸気車両を進ませながら淡々と答える。その言葉からは、『黒塗り事件』の捜査が打ち切られたことが示唆された。

「……アートの上書きは、描き手に対する冒涜だ。許されるものじゃない」

 かつてリーリエを愛し、求婚したはずのアルフレッドの無理解に、エドガーが声を震わせている。

「リーリエのドレス、リーリエの絵……。なぜリーリエばかりがあんな目に遭うんだ!」

 ほとんど絶叫に近いエドガーの問いかけに、アルフレッドは大きく目を見開いた。

「ドレス……?」

 掠れた声のようなものが、拡声器を通じて響き、辺りはしんと静まり返る。人々の憤怒の声も水を打ったように静まり返り、アルフレッドとエドガー、二人の言葉に注目が集まった。

「そうだ。ドレスだよ。リーリエが、最後まで諦めずに黒塗りにされたドレスの上に描き上げた絵だよ。どうしてお前は、信じてやれなかった? あいつの絵に込められた想いを汲んでやれなかった……?」

 拡声器を下ろしたエドガーが、アルフレッドに肉声を投げかける。アルフレッドはエドガーから紡がれる一語一句に打ちのめされたように目を見開いた。その表情は、衝撃と絶望に歪み、あるいは一言も聞き逃すまいと集中しているようにも見えた。

「惚れた女のことぐらい、最後まで信じろ。てめぇの目は節穴か!? ……リーリエの絵は落書きなんかじゃない! 最高のアートだ!」

 特殊装備の警察官と接触しそうなほど近くに詰め寄ったエドガーが、アルフレッドに向かって吠えるように叫ぶ。

「…………」

 エドガーの言葉にアルフレッドは一言も返すことが出来ず、彼の手から拡声器が滑り落ちた。その刹那。

「そこまでだ、アルフレッド。下がりなさい」

 沈黙が流れる現場に、公爵クロードの声が殷々と響き渡った。

「父上!」

 ルーフデッキが取り付けられた大型の蒸気車両に立った公爵の登場に、人々がざわめき出す。アルフレッドは頭を垂れて蒸気車両から降り、警察官らは構えていた銃を下ろして公爵に敬礼した。

「均衡を乱すのはいつだって平民の方。くだらない落書きなんて、全部塗りつぶしてしまえばいいのよ!」

「母上、なんということを」

 公爵の隣に立つエリザベートがヒステリックに叫びながら、忌むような視線で一般市民らを見つめている。

「私ははじめから反対していたのです。この街を守る壁に、あんな落書きを認めるなんて――」

「公爵夫人といえども、その言葉は聞き逃せません。撤回を求めます」

 エリザベートの言葉を遮ったのは、エドガーだった。怒りを押し殺した淡々とした声で紡ぐエドガーに、エリザベートは冷ややかな視線を向けた。

「お前は先日拘束されたという青年ね? 私に意見している場合かしら?」

 エリザベートの視線で警察官らが動き、エドガーを取り囲む。

「止めろ! 俺たちはなにもしていない!」

「一方的な拘束は、不当だ!」

 先日の拘束の悪夢が蘇り、一般市民らがエドガーを守ろうと殺到する。

「……やり過ぎだ。あの絵の娘がなにをしたって言うんだ」

「被害者は、どっちなんだよ……」

 騒動を見守っていた貴族街からも困惑の声が上がり始めるが、エリザベートだけは違った。

「ほほほほほ……。なんて愚かで滑稽なの」

 まるでこうなることを望んでいたような母の言動に、アルフレッドは訝しく眉根を寄せ、蒸気車両のデッキに立つエリザベートを見上げた。

「母上、まさか……」

「お前があんな娘などにうつつを抜かしたせいですよ。公爵家の跡継ぎとしての自覚もなしに、みっともないこと」

 蔑むような視線がアルフレッドに向けられる。その瞬間、アルフレッドは全てを理解した。
『黒塗り事件』の黒幕は、母エリザベートなのだ。

「どうして、何故そんな――……。父上……」

 困惑の視線をクロードに向けるが、エドガーを拘束させまいと動いた一般市民街の住人らと警察官らの波に押され、身動きが取れなくなる。
 必死の抵抗をする一般市民たちを威嚇するため、空に向けて威嚇の閃光弾が放たれるに至り、辺りは一触即発の雰囲気に包まれた。

「父上! この対応は誤りです! 我々は謝罪すべきだ! 父上――」

 人波にもまれながら、クロードへの訴えを叫ぶ。だがアルフレッドのその声は人々の怒号と悲鳴に紛れ、掻き消されていく。

「リーリエ!」

 祈るようにアルフレッドが叫んだその刹那。

「あれを見ろ!」

 誰かの叫びと同時に人々の注意が他に逸れ、喧噪は静寂へと移っていった。

「リーリエ、リーリエだ!」

 塗装用の従機に乗ったリーリエが、高速道路から颯爽と現れたのだ。
 リーリエは、アルフレッドを助けたあのときのように、巨大な人型従機の左手から鉤爪状のアンカーがついた鉄線を射出して壁に食い込ませる動きと、腰部に取り付けられた空気圧縮機コンプレッサーの空気の排出を組み合わせて、壁を伝いながら急降下してくる。
 瞬く間に騒動の渦中にある壁の絵が在った場所へと接近したリーリエは、宙を舞うような華麗な動きでアンカー空気圧縮機コンプレッサーを操作して宙を走り、従機の右腕に装着したエアスプレーを壁に向けて噴射した。
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