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第二章 誠忠のホムンクルス
第57話 エーテル過剰生成症候群
しおりを挟む黒竜灯火診療院というのは、黒竜教が出資している病院で、僕が赤ん坊の頃からお世話になっている病院だ。乳児期からの定期健診はもちろん、直近では、アウロー・ラビットとの戦いの後で入院している。
「久しぶりだね、リーフちゃん」
いつもの人当たりの良い看護婦と眼鏡の医師が、診察室に入った僕をあたたかく迎える。
「まずは、手を見せてもらおうか」
「……はい」
なにをされるのかと緊張しながら手を差し出すと、医師の大きな手が僕の手にそっと触れ、手のひらを上に向けた。
「うーん、やっぱり少し痕が残ってるね。引き攣れたり、雨の日に痛んだり……なんてことはないかな?」
「大丈夫です」
初期治療が適切だったこともあり、ダークライトの破片を握りしめた時についた傷は完治している。自分でも改めて見てみると、傷痕を覆うように新しく再生した皮膚は白っぽかった。
「それは良かった。では、改めて健康診断と行こう」
看護師の案内で、身長、体重や頭囲、胸囲などが測定される。新生児期にも、僕が眠っている間に同じように全身の測定が行われたようで、カルテにはかなり前の記録が事細かに残されていた。
そういえば、体重は摂取したミルクの量を測るために特に重要だったと、なにかの機会に耳にしたことがあった気もする。頭囲と胸囲を測るのは、そのバランスを比較することで、成長速度に問題がないかを調べるためだったはずだ。
この知識が正しいのであれば、医師の見立てで僕の成長速度が既に通常の範囲から大きく外れている可能性を示唆していた。
自分の身体のことなので、薄々わかってはいたものの、いざこうして大がかりな検査をするとなると、両親の心境の方が心配になる。採血の時などは、母が付き添おうかとしきりに心配してくれたが、グラスだった頃には、諸々の研究材料として自分の血を採取することに慣れていたので、平気だと断った。
採血を終え、骨の状態を見るために導入されたばかりだという透視撮影魔導器を撮影する。現像される間に、魔力臓器が生成するエーテル量の測定が行われたが、何度実行してもエラー音が鳴り響くばかりだった。
「……計測出来ないほど低いのでしょうか?」
母の不安げな問いかけに、臍下の辺りに押し当てていた魔力測定器の探触子を外しながら医師が首を横に振る。
「触診で魔力臓器の動き自体は正常です。エーテルの生成自体は問題ないと言えるでしょう」
「では、どうして――」
「多すぎるのです。この魔力測定器で計測可能なのは、二十マギアまで。それ以上のエーテル量が生成されているということになります」
マギアというのは、一分間に生成出来るエーテル量を表す単位だ。
確かアルフェが十三マギアほどだったような記憶がある。計測器の針が一瞬で振り切れているところを見ると、相当量の生成が行われているだろうことは想像できた。
「新生児期のエーテル量は、約六マギア。少し高くはありますが、概ね正常の範囲内です。最期の受診時――つまり入院時のカルテでも、異常は見られませんでした」
医師が手書きのカルテを辿りながら、その時の数値を示す。
「数値に変化が起こったのは、その後から現在に到るまでのどこかのタイミング……ということになります。ただ、採血などの結果から、ひとまずさし当たっての大きな問題はなさそうですね。健康体と言っても差し支えないでしょう」
「……良かった……」
僕の隣に座った母が小さく安堵の息を漏らしている。
「ただ、お母様が懸念されているリーフちゃんの成長については、やはり心配が残ります」
申し訳なさそうに眉を下げ、医師が示したのは僕が入院した時の身長や体重などのデータだった。適切な量で薬の投与を行うために、測定されていたらしい。
「そんな、まさか……」
先にカルテの数値を読み取った母が絶句する。隣から横目で読み取ると、入院時と今の僕とで、全く成長が見られないことが示されていた。
「……マギアの異常値を鑑みるに、非常に珍しい症例ではありますが、エーテル過剰生成症候群という診断になるでしょう」
「エーテル過剰生成症候群……」
告げられた病名を母が力なく繰り返す。
「そうです。魔力測定器で測れないということは、今のリーフちゃんは最低でも常人の数十倍近い量のエーテルを生成していることが推測されます。この膨大なエーテルが、どうやら肉体の形を今のまま保管しようとしている……それが、エーテル過剰生成症候群の特徴です。成長すら身体の異常と捉え、強力な自己修復能力が働くのです」
そう言いながら、医師は現像が終わったばかりの透視撮影魔導器を僕と母に見えるように示した。魔力臓器はエーテル量に反応して白く発光してしまっていたが、その他の部位は概ね問題なく見ることができた。医師が注視を促したのは、大腿骨の骨の部分だった。
「大腿骨には、僅かに成長した痕跡と、それが元の形に戻された痕跡の両方が見受けられます。木で言うなれば、ごく薄い年輪のような紋様を残しているのです」
「そんな……」
動かしようのない事実を突きつけられた母の声に、動揺が混じっている。医師は宥めるように柔らかな笑顔をつくり、僕を見て微笑みかけた。
「悪いことばかりではないと思います。例えば――」
医師に視線で促され、採血の際に止血に使った綿紗を外す。本来であれば注射針の痕が残っているはずのその場所には、なんの痕も残っていなかった。それだけではなく、粘着テープで赤くなっていた皮膚の表面も、見る間に元の肌の色に戻っていく。
「怪我をしても、超回復が起こるということになるでしょう。正直、エーテル過剰生成症候群のなかでも、ここまでの症状は見たことがありません」
「……なにをどうしたら、こんなことに……」
母が悲嘆に染まった声で呟くが、僕には察しがついていた。
恐らく、アウロー・ラビットを倒した時に噴き出た金色の光が原因だろう。あれを直接浴びたことで、この肉体のなにかが変容したのだ。
女神のせいとはいえ、かなり特殊な身体になってしまったな。このままなにかの研究に使われると面倒なので、念のため意思表示をしておこう。
「……被験体として、なにか研究に協力する必要はあるのでしょうか?」
「それはないよ。縦断的研究で、数値の測定をお願いすることはあるかもしれないけれど。なにせ、珍しい症例で、命にかかわるものではないからね」
それぐらいの協力ならば、自分の身体の状況を知る手掛かりになるので良いだろう。アーケシウスに、機兵用の魔力測定器を導入出来たら便利だろうか……?
「とにかく、今は、差し迫った異常はその他には見当たらないので、安心してください。このまま様子を見つつ、身体に目立った異変が起きるようなら大都市の病院に紹介状を書きます」
「……ありがとうございます」
今後の指針が告げられ、診察が終わったことが暗に示された。母は気丈に振る舞っているが、その声が震えているのが痛いほどわかった。
「私が錬金術の研究をしていたからなのか、なにか良くない物質を母体に取り込んでしまったのかも……」
「母上のせいではありません。その証拠に、この時までは問題なく成長していたではありませんか」
後悔を口にする母の目を見て首を横に振る。本当のことは言えないにしても、母のせいにするのは嫌だった。それでどれだけ母が、自分を責めるのだろうと思うと、とても耐えられそうにない。
「……それに僕は、なにも不自由を感じていません。それに、この身体が新たな医学の発展に役立つこともあるでしょう。どうぞ気に病まないでください」
「でも、原因が……」
なおも後悔を口にしそうになる母に、今度は医師が口を開いた。
「リーフさんが襲われたという魔獣が未知のものであった可能性があるでしょう。診察時は、子供の恐怖心でそう見えたのかと思いましたが、聡明な娘さんがそこまでの錯乱を起こすとは考えがたいです」
医師が眼鏡をかけ直しながら、僕の目をじっと見つめている。僕は敢えてなにも言わずに、医師の次の言葉を待った。
「……君はよく落ち着いているね。親思いの、実に良い子だ」
「ありがとうございます。先生にそう仰っていただけて、母上も安心することでしょう」
「……リーフ……。あなたは本当に、強い子ね。ルドラにそっくりだわ」
目に涙を溜めた母が、僕を抱き締める。そうさせるのが母のために良いと思い、僕も母の背に手を回した。
「母上と父上のお陰です。差し当たっての問題は、身体が成長しないというところですが、ご存じの通り、知能は問題なく成長しておりますし、なにも心配はいりませんよ、母上」
耳許で、微かに鼻をすする音がした。泣くまいと必死に耐えているのだろう。
「……ありがとう、リーフ。こんなとき、しっかりしなければならないのは私の方なのに」
「自分の身体のことは、自分が一番よくわかります。母上が悲観するようなことは起きていないということを、誓いましょう」
仮にこの身体の異常を治そうとするのならば、自分の錬金術しかないだろうな。ただ、それが禁忌に触れる研究になる可能性を考えると、医師の言葉に従うのが一番なのかもしれない。
やれやれ、やはり女神がかかわると、碌なことが起こらないな。せめて母の不安をどうにかして取り除けると良いのだけれど。
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