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第二章 誠忠のホムンクルス
第58話 アルフェの瞳に映るもの
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夕方の橙色の光に包まれた街のあちこちから美味しそうな匂いが漂ってくる。
「……安心したら、なんだかお腹が空いてきたわね」
黒竜灯火診療院からの帰り道、なにかと気を遣って話しかけてくれていた母の話題も今日の夕食へと移りつつあった。
「そうですね。ついでに港の食堂に寄るべきでした」
母に合わせて相槌を打つ。港の食堂では、アルフェの母親――ジュディさんの料理が大人気で、最近はお惣菜の詰め合わせなども置くようになったらしい。
「クリフォートさんのお料理は、格別だもの。アルフェちゃんが羨ましいわ」
手間をかけさせまいとして気遣ったつもりが、余計なことを言ってしまっただろうか。
「……僕には、母上の手料理が何よりのご馳走です」
これはこれで、あからさまにフォローしたようでマズかったかな……。
「リーフ……」
母はそう僕の名を呟いたきり、押し黙ってしまった。
「…………」
沈黙の間に各家々から楽しげな団欒の声が聞こえてくる。
――どうしてもっと上手く立ち回れないんだ……。
記憶を保持して二回目の人生を歩んでいるというのに、グラスの頃の経験は対人関係においては全く役に立たないのが、歯痒い。そうするしかなかった人生というものが、いかに『不幸』であったのかを今更また突きつけられたような気がした。
「……ありがとう、リーフ」
だが、僕の心配とは裏腹に、母はその温かな手で僕の手を取り、優しく握ってくれた。
「母上……」
「ママもね、どんなご馳走よりも、お母さんが作ってくれたお料理がご馳走だった……。それを思い出したら嬉しくなっちゃって――」
そこまで言って、母が声を詰まらせる。今にも泣き出しそうな母の笑顔は、先ほどまでとは違い、幸せそうに見えた。
「きっと、みんなそうなのでしょうね。父上も……」
「ルドラには、私のお料理が一番だって言って欲しい気がするわ」
感慨深く呟く僕に、母が軽口を交えて返す。母の笑顔に僕もつられて笑った。頬が熱くなった気がするけれど、きっと夕陽のせいだろう。
「今夜はなにが食べたい? ママ、腕によりをかけて作るわ」
「ありがとうございます。母上の料理でしたらなんでも――」
「リーフ!!」
母との会話は、突如響いたアルフェの声によって中断された。
「アルフェ、どうしたの?」
アルフェが今にも泣き出しそうな顔で、僕に向かって走ってくる。不安のせいか真っ青な顔をしたアルフェは、目にいっぱいの涙を溜めながら問いかけた。
「……リーフが病院に行ったって……。大丈夫? 寝ていなくて平気?」
「うん。別に痛いとかそういうのはないから、問題ないよ。アルフェにも心配かけたね」
恐らく、病院と食堂が近いので、どこかでクリフォートさんが僕を見つけたのだろう。
「……どこも悪くなかった?」
いいか悪いかで判断するのは難しいが、異常があるというのは確かだ。下手に秘密にしてアルフェの感情を乱すよりは、素直に打ち明けた方がいいだろう。
「……そう言われると難しいところだね。だけど、命にかかわるようなものじゃない。そこは安心していいよ、アルフェ」
ここまで話した以上は、全てを伝えておくべきだろう。同意を求めようと見上げた僕に、母は静かに頷き返してくれた。
「……先に帰っているわね」
「ありがとうございます、母上」
母の背が遠くなるのを見届けた僕は、アルフェが少し落ち着くのを待って切り出した。
「……実は、エーテル過剰生成症候群という診断だった」
「エーテル過剰生成……症候群……?」
初めて聞く診断名を、アルフェが目許を擦りながら繰り返す。
「そう。今の僕の身体は、魔力測定器で測れないほどのエーテルを生成しているみたいだ」
「……っ!」
掻い摘まんで説明すると、アルフェの目が大きく見開かれた。
「ごめんなさい、リーフ……ごめんなさい……」
震える声で呟いたアルフェが僕に縋りついてくる。
「アルフェ? どうして謝るの? なんで泣いて――」
問いかけながら、僕はアルフェの手が震えていることに気づいた。
「アルフェ……」
服を握りしめる手が、白くなるほど強く握られている。抱き締め返すと、アルフェの身体も小刻みに震えていることがわかった。
「ごめんなさい、リーフ。ワタシ、見えてたのに……、気づいてあげられなかった」
「見えて――?」
言いかけたところで、アルフェが言わんとしていることに気づく。
「……ああ、浄眼で見えていたんだね、アルフェには」
「……うん……」
僕の問いかけに、アルフェは泣きじゃくりながら頷いた。魔力測定器で測れないほどのエーテル量にアルフェが気がついていない訳がないのだ。けれど、今までそれを指摘されなかったのは、何故なのだろうか。
「……アルフェには、僕のエーテルがどんなふうに見えているんだい?」
背中に回した手を伸ばし、アルフェの後ろ髪を撫でながら訊ねる。アルフェは嗚咽を漏らして泣きじゃくりながら、たどたどしく答え始めた。
「……あのね……、キラキラした……金色の、エーテルなの……。……大きく膨らんだり小さくなったり、……まるで生き物みたいにゆらゆら動いていて、すごく綺麗で……」
ああ、やっぱり女神のエーテルの影響で間違いないな。女神のエーテルと同じ色なのだから。
「それって、昔から?」
「……ううん」
アルフェは僕の頬に濡れた頬を押し当てながら、首を横に振った。
「……リーフが大きな兎さんに襲われて入院したこと、あったでしょ?」
「うん。覚えているよ」
アルフェの証言が僕を核心に連れて行く。
「退院した後から、キラキラがどんどん増えていったの。まぶしくて、本当に綺麗だったけど、リーフにはエーテルが見えないし確かめようがないから、ワタシにだけ見えているリーフの綺麗なところだと思って黙って……」
ああ、アルフェはまだそんな風に浄眼のことを気にしていたんだな。
「だから、ワタシがちょっとでもリーフに話していたら、こんなことに――」
「違うよ、アルフェ」
罪悪感で震えながら打ち明けるアルフェの背を宥めるように撫で、僕は極力優しい声音でその考えを否定した。
「そもそも、エーテル過剰生成症候群の症例は少ないんだ。子供のアルフェにそれが異常だなんてわかるはずがないよ。まして、僕がこんなに元気なんだから」
「リーフ、でも……ワタシ……」
アルフェはまだ納得していない。きっと僕が思っている何倍も自分のことを責めているのだろう。それは今すぐ止めてもらわなければ。
「アルフェ、顔を上げて。僕をちゃんと見て」
「…………っ」
僕が促すと、アルフェは泣き腫らした目を擦りながらのろのろと顔を上げた。
「リーフぅ……」
泣きじゃくるアルフェに微笑みかけながら、僕はそっと手を広げて半歩後ろに下がった。アルフェに僕が良く見えるように。
「……ほら、なんともないよね? 僕は元気だよ。ただ、人よりちょっとエーテルの生成が多いだけで、そのせいで成長しないらしい……ってことぐらいで」
正直、僕はこの状態を悲観していない。だからアルフェにもそうであってほしい。どうすればそれが伝わるかわからなかったが、笑顔を保ち続けた。
「……全然ちょっとじゃないよ、リーフ」
「そんなに?」
「うん。……だって、普通の人はお腹の周りにぼんやり見える程度で集中しないとちゃんと見えないくらいなのに、リーフのエーテルは身体の中に太陽があるみたいなんだもん」
アルフェらしい詩的な表現だと素直に思った。その例えで言うならば、透視撮影魔導器に魔力臓器が写らないという結果にも納得ができる。
「なるほどね。でも、太陽はちょっと大袈裟じゃないかな?」
「ううん。壁の向こうにいても、浄眼で見ればリーフがいるのが分かるくらい。今だって、リーフのエーテルを辿って外に出て来たんだよ」
アルフェの証言には説得力があった。やっぱり浄眼でエーテルが見えるのは便利でいいな。兎に角、医師が推測したとおり、常人の数十倍近い量のエーテルを生成しているという結論で間違いないことがこれでわかった。
「……リーフは、これからどうなるの?」
「特に変わらないよ。成長しないんだから、このままってことになるかな。でも、それも悪くない」
心配そうなアルフェに肩を竦めて答える。今の僕の本心を包み隠さず伝えたつもりだったが、アルフェは納得いかないという表情をして目を瞬いた。
「どうして?」
「アルフェはハーフエルフだから、もう少ししたら成長がゆっくりになるだろう? 僕はそれよりも早く成長が止まっただけ。……つまりアルフェとおんなじなんだよ」
「おんなじ……」
我ながら良い例えを思いついたと思う。心配で真っ青な顔をしていたアルフェの顔に、赤みが差した。
「……そっか……。おんなじかぁ……」
僕の言葉に疑問符も否定の言葉も返さず、アルフェが何度も頷く。そうして自分を納得させているかのようなアルフェの仕草に合わせて、僕も頷いた。
「ありがとう、リーフ。だいすき」
アルフェが僕の背に手を回し、そっと抱き締めてくる。額に触れた頬の感触から、アルフェの安堵が伝わってきた。
「……安心したら、なんだかお腹が空いてきたわね」
黒竜灯火診療院からの帰り道、なにかと気を遣って話しかけてくれていた母の話題も今日の夕食へと移りつつあった。
「そうですね。ついでに港の食堂に寄るべきでした」
母に合わせて相槌を打つ。港の食堂では、アルフェの母親――ジュディさんの料理が大人気で、最近はお惣菜の詰め合わせなども置くようになったらしい。
「クリフォートさんのお料理は、格別だもの。アルフェちゃんが羨ましいわ」
手間をかけさせまいとして気遣ったつもりが、余計なことを言ってしまっただろうか。
「……僕には、母上の手料理が何よりのご馳走です」
これはこれで、あからさまにフォローしたようでマズかったかな……。
「リーフ……」
母はそう僕の名を呟いたきり、押し黙ってしまった。
「…………」
沈黙の間に各家々から楽しげな団欒の声が聞こえてくる。
――どうしてもっと上手く立ち回れないんだ……。
記憶を保持して二回目の人生を歩んでいるというのに、グラスの頃の経験は対人関係においては全く役に立たないのが、歯痒い。そうするしかなかった人生というものが、いかに『不幸』であったのかを今更また突きつけられたような気がした。
「……ありがとう、リーフ」
だが、僕の心配とは裏腹に、母はその温かな手で僕の手を取り、優しく握ってくれた。
「母上……」
「ママもね、どんなご馳走よりも、お母さんが作ってくれたお料理がご馳走だった……。それを思い出したら嬉しくなっちゃって――」
そこまで言って、母が声を詰まらせる。今にも泣き出しそうな母の笑顔は、先ほどまでとは違い、幸せそうに見えた。
「きっと、みんなそうなのでしょうね。父上も……」
「ルドラには、私のお料理が一番だって言って欲しい気がするわ」
感慨深く呟く僕に、母が軽口を交えて返す。母の笑顔に僕もつられて笑った。頬が熱くなった気がするけれど、きっと夕陽のせいだろう。
「今夜はなにが食べたい? ママ、腕によりをかけて作るわ」
「ありがとうございます。母上の料理でしたらなんでも――」
「リーフ!!」
母との会話は、突如響いたアルフェの声によって中断された。
「アルフェ、どうしたの?」
アルフェが今にも泣き出しそうな顔で、僕に向かって走ってくる。不安のせいか真っ青な顔をしたアルフェは、目にいっぱいの涙を溜めながら問いかけた。
「……リーフが病院に行ったって……。大丈夫? 寝ていなくて平気?」
「うん。別に痛いとかそういうのはないから、問題ないよ。アルフェにも心配かけたね」
恐らく、病院と食堂が近いので、どこかでクリフォートさんが僕を見つけたのだろう。
「……どこも悪くなかった?」
いいか悪いかで判断するのは難しいが、異常があるというのは確かだ。下手に秘密にしてアルフェの感情を乱すよりは、素直に打ち明けた方がいいだろう。
「……そう言われると難しいところだね。だけど、命にかかわるようなものじゃない。そこは安心していいよ、アルフェ」
ここまで話した以上は、全てを伝えておくべきだろう。同意を求めようと見上げた僕に、母は静かに頷き返してくれた。
「……先に帰っているわね」
「ありがとうございます、母上」
母の背が遠くなるのを見届けた僕は、アルフェが少し落ち着くのを待って切り出した。
「……実は、エーテル過剰生成症候群という診断だった」
「エーテル過剰生成……症候群……?」
初めて聞く診断名を、アルフェが目許を擦りながら繰り返す。
「そう。今の僕の身体は、魔力測定器で測れないほどのエーテルを生成しているみたいだ」
「……っ!」
掻い摘まんで説明すると、アルフェの目が大きく見開かれた。
「ごめんなさい、リーフ……ごめんなさい……」
震える声で呟いたアルフェが僕に縋りついてくる。
「アルフェ? どうして謝るの? なんで泣いて――」
問いかけながら、僕はアルフェの手が震えていることに気づいた。
「アルフェ……」
服を握りしめる手が、白くなるほど強く握られている。抱き締め返すと、アルフェの身体も小刻みに震えていることがわかった。
「ごめんなさい、リーフ。ワタシ、見えてたのに……、気づいてあげられなかった」
「見えて――?」
言いかけたところで、アルフェが言わんとしていることに気づく。
「……ああ、浄眼で見えていたんだね、アルフェには」
「……うん……」
僕の問いかけに、アルフェは泣きじゃくりながら頷いた。魔力測定器で測れないほどのエーテル量にアルフェが気がついていない訳がないのだ。けれど、今までそれを指摘されなかったのは、何故なのだろうか。
「……アルフェには、僕のエーテルがどんなふうに見えているんだい?」
背中に回した手を伸ばし、アルフェの後ろ髪を撫でながら訊ねる。アルフェは嗚咽を漏らして泣きじゃくりながら、たどたどしく答え始めた。
「……あのね……、キラキラした……金色の、エーテルなの……。……大きく膨らんだり小さくなったり、……まるで生き物みたいにゆらゆら動いていて、すごく綺麗で……」
ああ、やっぱり女神のエーテルの影響で間違いないな。女神のエーテルと同じ色なのだから。
「それって、昔から?」
「……ううん」
アルフェは僕の頬に濡れた頬を押し当てながら、首を横に振った。
「……リーフが大きな兎さんに襲われて入院したこと、あったでしょ?」
「うん。覚えているよ」
アルフェの証言が僕を核心に連れて行く。
「退院した後から、キラキラがどんどん増えていったの。まぶしくて、本当に綺麗だったけど、リーフにはエーテルが見えないし確かめようがないから、ワタシにだけ見えているリーフの綺麗なところだと思って黙って……」
ああ、アルフェはまだそんな風に浄眼のことを気にしていたんだな。
「だから、ワタシがちょっとでもリーフに話していたら、こんなことに――」
「違うよ、アルフェ」
罪悪感で震えながら打ち明けるアルフェの背を宥めるように撫で、僕は極力優しい声音でその考えを否定した。
「そもそも、エーテル過剰生成症候群の症例は少ないんだ。子供のアルフェにそれが異常だなんてわかるはずがないよ。まして、僕がこんなに元気なんだから」
「リーフ、でも……ワタシ……」
アルフェはまだ納得していない。きっと僕が思っている何倍も自分のことを責めているのだろう。それは今すぐ止めてもらわなければ。
「アルフェ、顔を上げて。僕をちゃんと見て」
「…………っ」
僕が促すと、アルフェは泣き腫らした目を擦りながらのろのろと顔を上げた。
「リーフぅ……」
泣きじゃくるアルフェに微笑みかけながら、僕はそっと手を広げて半歩後ろに下がった。アルフェに僕が良く見えるように。
「……ほら、なんともないよね? 僕は元気だよ。ただ、人よりちょっとエーテルの生成が多いだけで、そのせいで成長しないらしい……ってことぐらいで」
正直、僕はこの状態を悲観していない。だからアルフェにもそうであってほしい。どうすればそれが伝わるかわからなかったが、笑顔を保ち続けた。
「……全然ちょっとじゃないよ、リーフ」
「そんなに?」
「うん。……だって、普通の人はお腹の周りにぼんやり見える程度で集中しないとちゃんと見えないくらいなのに、リーフのエーテルは身体の中に太陽があるみたいなんだもん」
アルフェらしい詩的な表現だと素直に思った。その例えで言うならば、透視撮影魔導器に魔力臓器が写らないという結果にも納得ができる。
「なるほどね。でも、太陽はちょっと大袈裟じゃないかな?」
「ううん。壁の向こうにいても、浄眼で見ればリーフがいるのが分かるくらい。今だって、リーフのエーテルを辿って外に出て来たんだよ」
アルフェの証言には説得力があった。やっぱり浄眼でエーテルが見えるのは便利でいいな。兎に角、医師が推測したとおり、常人の数十倍近い量のエーテルを生成しているという結論で間違いないことがこれでわかった。
「……リーフは、これからどうなるの?」
「特に変わらないよ。成長しないんだから、このままってことになるかな。でも、それも悪くない」
心配そうなアルフェに肩を竦めて答える。今の僕の本心を包み隠さず伝えたつもりだったが、アルフェは納得いかないという表情をして目を瞬いた。
「どうして?」
「アルフェはハーフエルフだから、もう少ししたら成長がゆっくりになるだろう? 僕はそれよりも早く成長が止まっただけ。……つまりアルフェとおんなじなんだよ」
「おんなじ……」
我ながら良い例えを思いついたと思う。心配で真っ青な顔をしていたアルフェの顔に、赤みが差した。
「……そっか……。おんなじかぁ……」
僕の言葉に疑問符も否定の言葉も返さず、アルフェが何度も頷く。そうして自分を納得させているかのようなアルフェの仕草に合わせて、僕も頷いた。
「ありがとう、リーフ。だいすき」
アルフェが僕の背に手を回し、そっと抱き締めてくる。額に触れた頬の感触から、アルフェの安堵が伝わってきた。
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