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第二章 誠忠のホムンクルス
第75話 招かれざる侵入者
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帰宅後、入浴を済ませてベッドに入った僕は、翌朝もいつもどおりの時間に起き、母と朝食を共にした。父は、新年を迎えた街の警備があるようで、昨晩から留守のままだ。
新年といっても特に特別なことはなく、昨晩のアルフェとの初詣の話をしながら、スクランブルエッグとパン、野菜をたっぷりと使ったスープを食べた。
昨日の夕食で余熱調理した鶏肉の出汁を使ったスープには、母からお墨付きをもらえたので、新たなレパートリーに加えておいていいだろう。米を入れて炊いても良いかもしれない。いや、いっそ、スープだけでなく肉も一緒に下味をつけて調理すれば、蒸し鶏風の鶏肉と、味付きのごはんが一度に調理できそうだな。
そんなことを考えながら、倉庫にあるアトリエへ向かう。アトリエの大半を占有している試験管の中では、昨日よりも大きくなったホムンクルスが、膝を抱くようにして丸まりながら浮いていた。
顔立ちがはっきりしてきて、髪も生えそろっている。時間をかけてこだわっただけあって、造形はかなり整っているな。
改めて自分と同じ姿にならないように操作しておいて良かったと眺めていると、すぐ近くでアルフェの声が聞こえた。
「もう着いたのかい、アルフェ? 今開けるよ」
ああ、多分いつものように倉庫の出入り口の方に直接回ったのかな? ホムンクルスの錬成に当たって鍵を掛ける癖をつけていたので、急いで解錠したが、戸口にアルフェの姿はなかった。
「アルフェ……?」
確かにあれはアルフェの声だったし、気配のようなものも感じた。かなり近くに感じたと思ったんだが……。
「リーフ、アルフェちゃんが来たわよ」
首を傾げている僕を母が呼びにくる。
「……ありがとうございます、母上」
既視感というには、妙にリアルな感覚だったんだが、気のせいだったのだろうか。不思議に思いながらも、僕は倉庫の扉を開け放したままで、表玄関に回った。ホムンクルスには関係ないけれど、アルフェも来ることだし、たまには換気をしておかないとな。
「ようこそ、アルフェ。眠くない?」
「リーフに早く会いたくて早起きしちゃった」
迎えに出た僕の腕を取って絡め、アルフェが頬を寄せてくる。
「昨日というか、数時間前に一緒に過ごしたばかりだよ」
「だって、リーフとはいつだって一緒がいいんだもん。……あ、さっき声だけかけたんだけど、わかった?」
「声だけ?」
もしかしてさっきの奇妙な現象のことだろうか?
「うん。アルフェの声が近くで聞こえて……だけど、倉庫の扉を開けても姿が見えなくて……。あれはどうやったんだい?」
「念話っていうの、魔法学の予習で見つけたんだ」
ああ、なんだそういうことか。念話というのは、相手のエーテルの波長をマーキングし、糸を繋ぐように自分のエーテルと繋いで伝達回路のようなものを作って意思の伝達を行う手段だ。理論上、自身のエーテルの続く限り相手がどこにいようとも念話が可能だ。
浄眼でエーテルが視えるアルフェには、僕のエーテルを見つけるのは容易だろうし、そうでなくてもかなりの量が出ているらしいから声を出すよりも効率が良さそうだな。
「……いいね。僕も覚えておこうかな」
「うん。離れていてもお話できると寂しくないよね。寝る前にお喋りだって出来ちゃうかも」
そんなに僕と一緒で飽きないんだろうかと思いつつ、アルフェの顔を見上げる。相変わらず満面の笑みで嬉しそうに話しているその言葉に、嘘偽りも誇張もないことは明らかだった。
「そうだね。でも、それならうちに泊まりに来たらいいよ」
毎日念話で会話というのはさすがに大変なので、別の案も示しておこう。
「いいの!? リーフのごはん、また食べたいな。一緒にお風呂も……ベッドも一緒がいい!」
僕が出した案をアルフェは案外気に入ったらしく、興奮した様子で弾んだ声を出している。
「アルフェの好きなようにしていいよ。アルフェが嬉しいと、僕も嬉しい」
「リーフ、大好き!」
本当にこんな僕のことをここまで好きでいてくれるのは、アルフェぐらいだな。僕もその好意に見合う人間でいなくては……。
話しているうちにアトリエに到着し、外からの冷たい風が頬を撫でた。そろそろ倉庫の扉を閉めておくか。
「……わぁ……。もうこんなにおっきくなってる……」
アルフェは、初めて見るホムンクルスの姿に感動した様子で、呆けたように試験管の前で立ち止まっている。
「成長速度を二倍にしているからね。あと三、四日もすれば目標の大きさまで成長するはずだよ」
倉庫の扉を閉めながら答えると、アルフェが小さく跳ねるように靴の底を鳴らした。
「じゃあ、もうすぐ一緒に遊べるね」
ああ、アルフェは友だちを作るような感覚でいるんだな。
「遊び相手になるといいんだけど」
僕の用途を考えれば、遊び相手にはならないだろうな。言うことは聞くだろうけれど。
「今は何をしているところなの?」
「記憶同調っていって、僕のリアルタイムの感情や記憶を術式経由で流しているところだよ」
手の甲の『同調対照』の術式をアルフェに見せながら説明する。
「じゃあ、ワタシがリーフと仲良しだってことも覚えてもらわないとね」
アルフェは術式をしばらく眺めた後、僕を抱き締めてきた。
「そんなことしなくても、アルフェのことは充分伝わっていると思うよ」
身近な人間の情報は既に教え込んである、それに僕の今の安定した精神状態を同調させていればより強固な補足になるだろう。
「ふふっ。そうだといいなぁ。……この子、どんな夢を見ているのかな?」
「ホムンクルスも夢を見るのかな?」
「見ないの?」
それはどうだろうか? 微かに表情の変化が見られるのは、僕との『同調対照』の術式の影響だとすれば、記憶や今現在の感情を夢として見ている可能性はある。記憶の整理のためにも夢は重要だといわれているし、あり得なくもないのか……。
そう考えながら試験管の中のホムンクルスの幼体を見たそのとき、試験管の壁面に黒影が映り込んだ。
――まさか神人か!?
「あっ、猫ちゃん!」
咄嗟に身構えた僕の隣で、アルフェが試験管の向こう側を指差す。そこには一匹の黒猫の姿があり、試験管から伸びている酸素吸入魔導器の接続ケーブルにじゃれて遊んでいた。
「……まずい、止めないと」
ケーブルが外れて酸素の供給が止まれば、ホムンクルスの成長に支障を来す。最悪の場合は今の幼体が台無しになってしまう。慌てて猫を止めようと駆け寄ったが、黒猫は驚いて跳躍し、棚に保管してあった予備のアムニオス流体の瓶を薙ぎ倒して割った。
「ああっ!」
運悪く酸素吸入魔導器にアムニオス流体が浴びせられる。学校から貸与を受けた備品なので慌てて確認に向かった。
「アルフェは猫を頼――」
言い終わらないうちに、酸素吸入魔導器に触れた手に激痛が走る。
「あああっ!」
ほんの一瞬皮膚が焼けたような嫌な臭いが鼻を突いたが、すぐに消えた。手を見ると酸素吸入魔導器の雷の魔石部分に触れてしまっていたらしい。黒く焦げていたが、それもじわじわと皮膚が盛り上がって修復を始めている。
「リーフ!」
声に驚いたアルフェが駆け寄って来たので、慌てて周辺を触って安全を確認した。どうやら雷の魔石にかかったアムニオス流体が原因で感電したらしい。
「どうしたの!? 大丈夫!?」
「ちょっと痛かったけど、怪我はないよ」
本当は全身のあちこちが焦げたし、損傷したはずなのだけれど、もう目立った外傷はない。さすがは女神のエーテルを浴びただけはあるな。
それにしても、一瞬だけとはいえ、感電はかなり痛かったな。普通の人間なら死んでいたかもしれないし、気をつけなければ。
「それよりアルフェ、猫を捕まえて逃がしてくれると助かるんだけれど」
「うん、やってみるね」
アルフェにはそれとなく猫のことを任せながら、改めて液体を拭き取り、酸素吸入魔導器に異常がないことを確かめる。
「……さて、と……」
どうやら黒猫は、換気で開け放している間に入り込んだんだろうな。僕の不注意だし、早くアルフェを手伝わないと。
「……アルフェ……?」
黒猫を追いかけているとばかり思い込んでいたアルフェは、目を閉じて静かに意識を集中させていた。どうやら、魔法で捕まえるつもりらしい。
「泡沫よ、踊れ」
アルフェが宙に翳した手で円を描く。具現した透明で柔らかな丸い球体が、棚の隅であくびをしている黒猫をふわりと包み込み、そのままアトリエを進みはじめた。
「ここから外に出そう、できるかい?」
倉庫の扉を開け放ち、アルフェに声をかける。アルフェは僕がすることを既に予測していたように微笑むと、扉の外に黒猫を包んだ泡沫を移動させ、もう一度手で円を描いた。
その仕草を合図に泡沫は柔らかく弾けて消え、黒猫は外の茂みの方へと逃げて行った。
新年といっても特に特別なことはなく、昨晩のアルフェとの初詣の話をしながら、スクランブルエッグとパン、野菜をたっぷりと使ったスープを食べた。
昨日の夕食で余熱調理した鶏肉の出汁を使ったスープには、母からお墨付きをもらえたので、新たなレパートリーに加えておいていいだろう。米を入れて炊いても良いかもしれない。いや、いっそ、スープだけでなく肉も一緒に下味をつけて調理すれば、蒸し鶏風の鶏肉と、味付きのごはんが一度に調理できそうだな。
そんなことを考えながら、倉庫にあるアトリエへ向かう。アトリエの大半を占有している試験管の中では、昨日よりも大きくなったホムンクルスが、膝を抱くようにして丸まりながら浮いていた。
顔立ちがはっきりしてきて、髪も生えそろっている。時間をかけてこだわっただけあって、造形はかなり整っているな。
改めて自分と同じ姿にならないように操作しておいて良かったと眺めていると、すぐ近くでアルフェの声が聞こえた。
「もう着いたのかい、アルフェ? 今開けるよ」
ああ、多分いつものように倉庫の出入り口の方に直接回ったのかな? ホムンクルスの錬成に当たって鍵を掛ける癖をつけていたので、急いで解錠したが、戸口にアルフェの姿はなかった。
「アルフェ……?」
確かにあれはアルフェの声だったし、気配のようなものも感じた。かなり近くに感じたと思ったんだが……。
「リーフ、アルフェちゃんが来たわよ」
首を傾げている僕を母が呼びにくる。
「……ありがとうございます、母上」
既視感というには、妙にリアルな感覚だったんだが、気のせいだったのだろうか。不思議に思いながらも、僕は倉庫の扉を開け放したままで、表玄関に回った。ホムンクルスには関係ないけれど、アルフェも来ることだし、たまには換気をしておかないとな。
「ようこそ、アルフェ。眠くない?」
「リーフに早く会いたくて早起きしちゃった」
迎えに出た僕の腕を取って絡め、アルフェが頬を寄せてくる。
「昨日というか、数時間前に一緒に過ごしたばかりだよ」
「だって、リーフとはいつだって一緒がいいんだもん。……あ、さっき声だけかけたんだけど、わかった?」
「声だけ?」
もしかしてさっきの奇妙な現象のことだろうか?
「うん。アルフェの声が近くで聞こえて……だけど、倉庫の扉を開けても姿が見えなくて……。あれはどうやったんだい?」
「念話っていうの、魔法学の予習で見つけたんだ」
ああ、なんだそういうことか。念話というのは、相手のエーテルの波長をマーキングし、糸を繋ぐように自分のエーテルと繋いで伝達回路のようなものを作って意思の伝達を行う手段だ。理論上、自身のエーテルの続く限り相手がどこにいようとも念話が可能だ。
浄眼でエーテルが視えるアルフェには、僕のエーテルを見つけるのは容易だろうし、そうでなくてもかなりの量が出ているらしいから声を出すよりも効率が良さそうだな。
「……いいね。僕も覚えておこうかな」
「うん。離れていてもお話できると寂しくないよね。寝る前にお喋りだって出来ちゃうかも」
そんなに僕と一緒で飽きないんだろうかと思いつつ、アルフェの顔を見上げる。相変わらず満面の笑みで嬉しそうに話しているその言葉に、嘘偽りも誇張もないことは明らかだった。
「そうだね。でも、それならうちに泊まりに来たらいいよ」
毎日念話で会話というのはさすがに大変なので、別の案も示しておこう。
「いいの!? リーフのごはん、また食べたいな。一緒にお風呂も……ベッドも一緒がいい!」
僕が出した案をアルフェは案外気に入ったらしく、興奮した様子で弾んだ声を出している。
「アルフェの好きなようにしていいよ。アルフェが嬉しいと、僕も嬉しい」
「リーフ、大好き!」
本当にこんな僕のことをここまで好きでいてくれるのは、アルフェぐらいだな。僕もその好意に見合う人間でいなくては……。
話しているうちにアトリエに到着し、外からの冷たい風が頬を撫でた。そろそろ倉庫の扉を閉めておくか。
「……わぁ……。もうこんなにおっきくなってる……」
アルフェは、初めて見るホムンクルスの姿に感動した様子で、呆けたように試験管の前で立ち止まっている。
「成長速度を二倍にしているからね。あと三、四日もすれば目標の大きさまで成長するはずだよ」
倉庫の扉を閉めながら答えると、アルフェが小さく跳ねるように靴の底を鳴らした。
「じゃあ、もうすぐ一緒に遊べるね」
ああ、アルフェは友だちを作るような感覚でいるんだな。
「遊び相手になるといいんだけど」
僕の用途を考えれば、遊び相手にはならないだろうな。言うことは聞くだろうけれど。
「今は何をしているところなの?」
「記憶同調っていって、僕のリアルタイムの感情や記憶を術式経由で流しているところだよ」
手の甲の『同調対照』の術式をアルフェに見せながら説明する。
「じゃあ、ワタシがリーフと仲良しだってことも覚えてもらわないとね」
アルフェは術式をしばらく眺めた後、僕を抱き締めてきた。
「そんなことしなくても、アルフェのことは充分伝わっていると思うよ」
身近な人間の情報は既に教え込んである、それに僕の今の安定した精神状態を同調させていればより強固な補足になるだろう。
「ふふっ。そうだといいなぁ。……この子、どんな夢を見ているのかな?」
「ホムンクルスも夢を見るのかな?」
「見ないの?」
それはどうだろうか? 微かに表情の変化が見られるのは、僕との『同調対照』の術式の影響だとすれば、記憶や今現在の感情を夢として見ている可能性はある。記憶の整理のためにも夢は重要だといわれているし、あり得なくもないのか……。
そう考えながら試験管の中のホムンクルスの幼体を見たそのとき、試験管の壁面に黒影が映り込んだ。
――まさか神人か!?
「あっ、猫ちゃん!」
咄嗟に身構えた僕の隣で、アルフェが試験管の向こう側を指差す。そこには一匹の黒猫の姿があり、試験管から伸びている酸素吸入魔導器の接続ケーブルにじゃれて遊んでいた。
「……まずい、止めないと」
ケーブルが外れて酸素の供給が止まれば、ホムンクルスの成長に支障を来す。最悪の場合は今の幼体が台無しになってしまう。慌てて猫を止めようと駆け寄ったが、黒猫は驚いて跳躍し、棚に保管してあった予備のアムニオス流体の瓶を薙ぎ倒して割った。
「ああっ!」
運悪く酸素吸入魔導器にアムニオス流体が浴びせられる。学校から貸与を受けた備品なので慌てて確認に向かった。
「アルフェは猫を頼――」
言い終わらないうちに、酸素吸入魔導器に触れた手に激痛が走る。
「あああっ!」
ほんの一瞬皮膚が焼けたような嫌な臭いが鼻を突いたが、すぐに消えた。手を見ると酸素吸入魔導器の雷の魔石部分に触れてしまっていたらしい。黒く焦げていたが、それもじわじわと皮膚が盛り上がって修復を始めている。
「リーフ!」
声に驚いたアルフェが駆け寄って来たので、慌てて周辺を触って安全を確認した。どうやら雷の魔石にかかったアムニオス流体が原因で感電したらしい。
「どうしたの!? 大丈夫!?」
「ちょっと痛かったけど、怪我はないよ」
本当は全身のあちこちが焦げたし、損傷したはずなのだけれど、もう目立った外傷はない。さすがは女神のエーテルを浴びただけはあるな。
それにしても、一瞬だけとはいえ、感電はかなり痛かったな。普通の人間なら死んでいたかもしれないし、気をつけなければ。
「それよりアルフェ、猫を捕まえて逃がしてくれると助かるんだけれど」
「うん、やってみるね」
アルフェにはそれとなく猫のことを任せながら、改めて液体を拭き取り、酸素吸入魔導器に異常がないことを確かめる。
「……さて、と……」
どうやら黒猫は、換気で開け放している間に入り込んだんだろうな。僕の不注意だし、早くアルフェを手伝わないと。
「……アルフェ……?」
黒猫を追いかけているとばかり思い込んでいたアルフェは、目を閉じて静かに意識を集中させていた。どうやら、魔法で捕まえるつもりらしい。
「泡沫よ、踊れ」
アルフェが宙に翳した手で円を描く。具現した透明で柔らかな丸い球体が、棚の隅であくびをしている黒猫をふわりと包み込み、そのままアトリエを進みはじめた。
「ここから外に出そう、できるかい?」
倉庫の扉を開け放ち、アルフェに声をかける。アルフェは僕がすることを既に予測していたように微笑むと、扉の外に黒猫を包んだ泡沫を移動させ、もう一度手で円を描いた。
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