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第三章 暴風のコロッセオ

第163話 無詠唱の炎

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 ホムとイグニスの決闘は、中庭の噴水の一角で行われることになった。

「いいか、このタイルから一歩でも出たら負けだ」

 周りには、噴水を囲むように青のタイルが円状に敷き詰められている。真ん中の噴水に目を瞑れば、円形の闘技場のように見えなくもない。水が入れられていないのは、こうした用途に使われてきたという背景もあるのだろう。

「武器は禁止だが、魔法は使用可とする。まあ、人モドキに俺様と同等の魔法など操れるとは思えんがな」
「元より魔法で決着をつけるつもりはありません」

 ホムはそう言うと、右手右足を前に構えた。武器が使えないということは、ホムがお守りのように持ってくれている飛雷針も使えないということだろう。そうなると、雷鳴瞬動ブリッツ・レイドで一気に決着をつけることは難しい。

 まあ、それほど広くないこの円形の場に収まるように発動するとなると、充分な威力は望めないだろうから、ホムも選択肢からは外しているだろうな。

「イグニス様、懲らしめてやってください!」

 決闘場と指定された青いタイルを遠巻きに囲むのは、リゼルを始めとした貴族寮の生徒たちだ。ここで決闘が行われることがあらかじめ決まっていたかのように、かなりの数の生徒が集まっており、その輪は二重三重に広がっている。

「さあ、どこからでもかかってこい!」

 戦いの合図を発すると同時に、イグニスが手のひらから炎の球を飛ばす。ホムはそれを跳躍して躱すと、イグニスの頭部を狙って鋭い蹴りを振り下ろした。

「ハッ! 少しはやるようだな」

 イグニスはそれを難なく避け、再び炎の球を放つ。無詠唱で連続して発射される炎の球を避けながら、ホムは噴水の中央にある彫像の陰に逃れた。

「どうした? かかってこいと言っているだろう?」

 大きく腕を広げたイグニスが、両手に真紅の炎を宿しながら嘲笑を浴びせる。炎は禍々しく大きくなったかと思うと、獰猛な動物の姿を象って彫像の後ろにいるホムに噛みつくような一撃を浴びせた。

「ホム!」
「はぁああっ!」

 その場に屈んで炎から逃れたホムが、噴水の底に手をついて両脚を旋回させる。その動きは鋭い風を巻き起こし、イグニスの操る炎を霧散させた。

「なかなかやるな。では、これではどうだ?」

 イグニスが跳躍し、炎を纏わせた拳で殴りかかる。

武装錬成アームド!」

 ホムは咄嗟に武装錬成アームドを応用して盾を錬成し、攻撃を受け止めると、盾を放棄して彫像の上に跳躍した。

「……っ! いない!?」

 ほぼ同時に盾を粉砕したイグニスが、ホムの姿を見失う。その隙に彫像の上から降り立ったホムが、イグニスの背に肘鉄を見舞った。

「……ぐっ」

 低く呻いたイグニスだが、その顔はどこか笑いの形に歪んでいる。

「ホム、離れろ!」

 嫌な予感がして思わず叫んだが、それよりも早くホムはイグニスから離れて間合いを取った。

「ちょこまかと逃げる方が得意なようだな?」

 体勢を立て直したイグニスが、拳に炎を纏わせながらじりじりとホムを追い詰める。

「……あの炎……」
「ああ、無詠唱でここまでの火炎魔法を操れるとはね」

 イグニスの操る炎の熱気が、僕たちのところまで伝わってくる。アルフェの呟きに応えると、アルフェは違うの、と呟いて首を横に振った。

「あの炎、エーテルを使ってない」
「え……?」

 アルフェの指摘に、思わず耳を疑った。魔法を使うには媒介としてエーテルを使用する。それは魔法の原理であり、エーテルを介さないで使うなどあり得ないのだ。けれど、エーテルの流れを見透す浄眼を持つアルフェが見間違うことなどあるだろうか。

「そろそろ遊びはやめにして、とどめを刺させてもらおうか」

 イグニスがにやりと笑いながら、両手の炎を翳す。

「さっきの盾で、これが避けられるかな?」

 イグニスの頭上で炎が禍々しく揺れ、大きな渦となって火の粉を散らしている。

「やばいぞ、イグニス様の本気だ……」

 野次馬のように集まっていた貴族寮の生徒らが、危険を察してじりじりと後退していく。

「なんか知らねぇけど、ヤバそうだな」
「結界、張った方がいいかも」

 ヴァナベルの呟きにアルフェが頷き、水魔法を使って透明な膜を張る。それでもイグニスの炎の影響は大きく、水魔法の結界の表面がぼこぼこと沸き立っている。ホムもアルフェを真似てか、身体の表面を覆うような水魔法の結界を自らに施した。

「そんなことをしても、無駄だ。俺様の炎で焼き尽くしてやるぞ」

 肥大した炎の球を操りながら、イグニスがホムと距離を詰めていく。ホムは、僕たちと周囲の生徒に配慮してか後退を止めてイグニスと向き合っている。

「喰らえ!」

 イグニスが炎の球をホム目がけて振り下ろす。

武装錬成アームド!」

 ホムは防御の姿勢を取りながら武装錬成アームドを繰り出したかと思うと、錬成した土の階段を駆け上がるようにして疾風のごとく炎の軌道をくぐり抜けた。

「なに!?」
「はぁああああっ!」

 炎と擦れ違いながらイグニスに急接近したホムが、拳と蹴りの打撃でイグニスを後退させる。ホムの決死の作戦にイグニスは押されているが――

「うわぁ! こっちに来るぞ!」
「逃げろ!」

 放たれたままの炎の球が渦を巻きながら、こちらに迫ってきている。既に遠く離れている貴族寮の生徒らが、悲鳴を上げている。迫り来る炎を前に、果敢に進み出たのはアルフェだった。

「任せて!」

 アルフェが水魔法を操り、イグニスの放った炎の球をしゃぼん玉のように包み込む。だが、水の中に閉じ込められた炎は衰えることなく暴れ、触手のように結界の内側から這い出してきている。

「「手を貸そう、アルフェの人」」
「リリルルちゃん!」

 どこからか声が降り、アルフェのしゃぼん玉状の結界の周囲が瞬時に凍てつく。リリルルの氷魔法を浴びた炎は真っ黒な霧に変わり、巨大な氷の塊がタイルの上に降った。

「どうなった!?」

 一難去ってヴァナベルが戦いの行方を探るように耳を澄ませている。

「にゃはっ、ホムの勝ちだぞ。本人は納得行ってないみたいだけど」

 一人、魔眼で戦いの行方を追っていたファラが、青いタイルの外で膝をついているイグニスを指差す。

 勝ったはずのホムが呆然としている様子を見るに、ファラの言っていることは本当らしかった。

「不意打ちからの猛攻で攻めてたんだけどさ、あいつ炎も出さないでそのままタイルの外に出たように見えたんだよな」

 俯いているイグニスの口許は、微かに笑っているように見える。

「わざと負けた……?」

 これだけ大勢の取り巻きがいる中で、そんなことしてなんの意味があるのだろう。不審に眉を寄せていると、貴族寮の方から不意にざわめきが広がった。

「何事ですか!?」

 鋭く問う声の主は、生徒会長のエステアだ。傍らにはルームメイトのメルアもいる。

「コイツらが立場もわきまえず騒いでるから、イグニス様が直々に注意を――」
「あなたには聞いていないわ」

 狼狽するリゼルの言葉を遮り、エステアはつかつかとイグニスに歩み寄ると、その背に問いかけた。

「イグニス・デュラン。これは一体どういうこと?」
「ちょっとした揉め事だ。慣習にならって決闘で決着をつけようとしている」

 顔を上げたイグニスが、切れた口許を手の甲で拭っている。

「あなた、負けたのではなくて?」

 エステアの眉が吊り上がった。

「コイツが卑怯な技を使ったせいだ。でなきゃ、俺が勝ってたに決まってる」

 その場に残る武装錬金アームドの階段を睨みながら、イグニスが不服そうに呟いている。

「膝を折ったまま言われても説得力がないわ」

 エステアはそれを軽くあしらうと、武装錬金アームドで錬成された階段をしなやかな蹴りで粉砕した。

「……いいでしょう」

 体勢を戻したエステアが、何事もなかったかのようにポニーテールを跳ね退ける。

「決闘の結果に従い、そちらの言い分を通します。ただし、私との決闘が条件です」

 エステアが放った言葉に、ホムが怪訝に眉を寄せた。

「……どういうことでしょうか。あなたとは決闘する理由がないはずですが」
「私にはあります」

 ホムの問いかけに、エステアは凛とした声で淀みなく返した。

「生徒会副会長が負けたとあれば、生徒会の評判は地に落ちます。決闘での恥は決闘で晴らさなければなりません」
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