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第四章 絢爛のスクールフェスタ

第372話 ハーディアの正体

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「さて、これで借りは返してやったぞ」

 ハーディアはそう言うと、出逢った時には持っていなかった身の丈ほどの大鎌を肩にかけ、優雅に地上へと降りはじめた。

「うわぁあああっ! おい、ハーディア! その羽、本物なのかよ!?」

 その背で動く皮膜に覆われた羽を指差し、ヴァナベルが大声を上げる。

「本物に決まっておろう。わらわを誰だと思っておるのだ?」

 ハーディアはくつくつと含むように笑うと、髪を掻き上げた。

「……ねえ、リーフ。ハーディアちゃんって、もしかして……」
「ああ、多分――」

 その名前といい、態度といい、デモンズアイを一撃で倒す力といい、全ての条件が彼女の正体を物語っている。

「ふん。まだ生きておるな。また魔族を召喚されても面倒だ。どれ……」

 ハーディアは機兵の頭の高さで降下を止めると、思い直したように大闘技場コロッセオに向けて左手を掲げた。

 左手の手のひらに不思議な光が宿り、その光に導かれるようにデモンズアイから流れた赤黒い血が変化を始める。デモンズアイから流れた血が浮き上がり、血の球体を形成していくのがはっきりと見て撮れた。

「デモンズアイの血を、吸い取っているの……?」
「まあ、そんなところだ」

 アルフェの呟きに、ハーディアが応え、顎をしゃくるようにしてデモンズアイを示す。デモンズアイの残骸は、血を吸い上げられてどんどん小さくなっていき、あっという間に半分ほどの大きさに縮まった。見た目からはもう、元が何であったかもわからないほどに、干からびて形を変えてしまっている。

 一方でハーディアが左手で集めた血の球体は、ボールほどになり、ハーディアの手のひらの中にゆっくりと収まった。

「まあまあじゃな」

 ハーディアはそう呟くと顔に近づけてデモンズアイの血の球体を傾けたかと思うと、口をつけて、一息に飲み干した。

「うわぁ~……」

 ヌメリンが顔を顰めていやいやと首を横に振る。その声を聞きつけたのか、ハーディアは唇の端に残った血を舌先で舐めながら、僕たちを見下ろした。

「言っておくが、わらわはゲテモノ喰いではないぞ。今のは、……そうだな、人間の飲み物で言うところの十年ものの帝国産ワイングラナートには劣るが、深みと奥行きのある味だ。まあ、わらわは甘い方が好みだがな」

 涼しい顔で言いながら、ハーディアがゆっくりと地上に降り立つ。その動きに伴って冷たい風が渦を巻くように足許を吹き抜け、大闘技場コロッセオの方から掠れた声が響いた。

『お、お前はいったい何者だ……。我が邪力を喰うなど……』

 弱々しさが滲む使役者の声に、ハーディアが面倒くさそうに目を細める。

「使役者よ。まだ此奴と繋がっておったとはな。言っておくが、邪力を糧に出来るのは貴様ら魔族だけではないぞ」

 大闘技場コロッセオの方に向き直ったハーディアが、担いでいた大鎌を軽々と振り上げ、頭上に掲げる。

『ま、まさか貴様は……』
「さあ、悪趣味な宴は仕舞いじゃ。道化にはご退場願おうか」



 大鎌を高く持ち上げたハーディアは、冷たい風を操り、デモンズアイの残骸に向かって投擲した。

『あ、ああああっ、ぎゃぁあああああああーーーーー!!!』

 デモンズアイに突き刺さった大鎌の切っ先から、使役者の絶叫共に濃い闇が噴き出す。闇はそのままデモンズアイを呑み込んだかと思うと、そのままデモンズアイを肉塊のように押し潰しながら縮み始めた。

 骨肉が潰れるような嫌な音に混じり、最早悲鳴にもならない使役者の呻き声が響いてくる。

 蠢く闇が少しの破片も逃さぬようにデモンズアイを追い詰めて圧縮していき、その残骸を跡形もなく消してしまった。

「さて、これで一件落着といったところか」

 ハーディアが瓦礫の中から大鎌を引き寄せながら、やれやれと息を吐く。その様子に圧倒されていたヴァナベルが、ハーディアを指差して口をぱくぱくと動かした。

「ハ……ハーディア、お前、一体――」
「無礼者! 言うに事欠いて『お前』とはなんですか!」

 ヴァナベルの声を鋭い声が遮り、びりびりと辺りの空気を震わせた。それと同時に、上空から黒い影が疾風を伴いながら落ち、目の前でぴたりと止まった。

「こ、今度は、なんだぁ……?」

 咄嗟に顔を庇い、目を閉じていたヴァナベルが、空中に突然出現した、燃えるような赤い髪の女性の姿に目を白黒させている。女性はヴァナベルには構わず、ハーディアへと視線を落とすと、その傍らにゆっくりと降りた。

「ハーディア様!」

 咎めるような声を上げながらも、女性はハーディアの前に跪く。

「よくここがわかったな、ミネルヴァ」

 ハーディアはミネルヴァと呼んだ女性の肩を叩くと、居心地が悪そうな苦笑を浮かべた。

「再三申し上げているので恐縮ですが、勝手に神殿を抜け出されては困ります! 御身は黒竜教の御神体なのですよ」

 ミネルヴァが顔を上げ、ハーディアに訴えかける。ハーディアは耳に手を当て、空々しい口笛を吹いた。

「……黒竜教の御神体……? って、えっ!? じゃあ、ハーディアって……」

 ヴァナベルがハーディアとミネルヴァを見比べながら、しきりに首を捻っている。

「黒竜神様だよね、ハーディアちゃん!」

 アルフェが僕たちが思っていたことを代弁すると、ミネルヴァが立ち上がって片眉を持ち上げ、僕たちを睨んだ。

「貴様、言うに事欠いて黒竜神様をハーディア『ちゃん』などと……」
「まあ、よいではないか」
「よくありません」

 怒りに震えるミネルヴァを宥めるような笑みをハーディアが浮かべているが、ミネルヴァは首を横に振った。

「……いいか、良く聞くがいい。この御方は黒竜教の主神。黒竜神ハーディア・ドラグニル様であらせられる! 頭が高いぞ!」

 身体の表面を刺すようなびりびりとした圧を持って、ミネルヴァがハーディアの正体を明かす。先ほどの戦いぶりを見ていなければ、信じられないような言葉だったが、ハーディアのお陰で魔族の脅威が取り除かれた今は、自然にその事実が受け入れられた。

「……そう怒るな、ミネルヴァ。勇気ある子供たちを褒める方が先であろう?」
「それはそうでしょうけれど……。そもそも、この惨状……」

 正体を隠していたことには特に触れず、ハーディアがミネルヴァに怒りを収めるように促す。一方のミネルヴァは、額に手を当てて髪を後ろに撫でつけながら、カナルフォード学園を見渡すように視線を巡らせた。

「皇帝にどう言い訳するつもりなのですか……」
「それを考えるのがお前の仕事というわけだ」

 溜息混じりに問いかけるミネルヴァに、ハーディアが悪びれた様子もなく笑いながら応じる。

 ああ、そういえば、黒竜神は帝国の神となる代わりに、この地を守護するという約定を皇帝と交わしているのだったな。けれど、ハーディアは魔族の侵攻をに対し、初めから介入するつもりはなかったようだ。現に僕たちとともに避難し、ヴァナベルに託されたあとも恐らくは講堂か校舎で大人しくしていたはずなのだから。

 皇帝との約定が守られていれば、ハーディアが魔族の侵攻を退け、これだけの被害を出さずに済んだであろうことは、想像に難くない。

「まったく、あなたという御方は……」

 暫く黙っていたミネルヴァだったが、これ以上はなにを言っても無駄だと諦めたのか、苦々しい笑みを見せて大きく息を吐いた。

「頼むぞ、ミネルヴァ」

 ハーディアはダメ押しとばかりにミネルヴァに全てを押しつけるような言い方をすると、僕たちの方に向き直った。

「さて、お前たち……」
「助けてくれて、ありがとうございます」

 視線を受けて、僕とアルフェが同時に礼を述べる。ハーディアは驚いたように一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに嬉しそうな笑みを見せて細い尻尾を動かした。

「魔族を退けたのは、わらわだけの力ではない。最後まで逃げずに未曾有の厄災に立ち向かうお前たちの心が、わらわを動かしたのだ。でなければ、力を貸したりはせぬ」

 ああ、そうなのだ。恐らくハーディアは、今回の魔族の侵攻を人間を試すための試練として利用したのだろう。皇帝との約定を破ってまで、僕たちを試したのは、彼女なりに僕たちの力を信じてくれていたからなのだろう。その試練がなければ、僕は『光』を知らないままだった。僕の思い上がりかもしれないが、ハーディアは僕たちに希望を託し、この人生において意味のある成長をさせてくれたのだ。なぜなら魔族の脅威は、完全に去ったわけではなく、これからも続いて行くのだから。

「……だよなぁ。せっかく避難させた意味がねぇもんな」

 ヴァナベルが乾いた笑みを漏らしながら、手足をぶらぶらと動かして感触を確かめている。極度の緊張状態にあったこともあり、やっと気を緩めることが出来たのだろう。

「子供扱いするなと散々言ったがな。まあ……この時代の人間たちも捨てたものではない。優しく強く、生きる希望を最後まで捨てない姿を、わらわは気に入った。この学園都市で育つ子らは、見込みがあるな。……それに、帝国軍も、まだ捨てたものでもなさそうじゃ」

 プロフェッサーを見遣るハーディアに合わせて、ミネルヴァもプロフェッサーを見つめる。

「帝国軍……。失礼、名乗るのが遅れたな。私は黒竜将・第一柱ミネルヴァ・フィーニス」

 ミネルヴァがそう名乗りながら、髪を掻き上げて額の黒竜紋を示す。先ほどは手のひらに隠れて見えなかった黒竜紋が露わになり、プロフェッサーが即座に反応した。

「……お初にお目にかかります。私は、アルカディア帝国軍・公安第三特務所属のクリストファー・ペールノエル少佐と申します」

 姿勢を正し、敬礼しながら述べるプロフェッサーにミネルヴァが満足げに頷く。

 黒竜騎士というのは黒竜神に見初められ、黒竜教の御神体を守護する近衛騎士団に所属する騎士たちのことだ。黒竜騎士となった者はその身体に黒竜紋と呼ばれる紋章を刻まれる。肉体に刻まれた黒竜の紋章が彼らの身分を示しているのだ。すなわち、額に黒竜紋があるミネルヴァは、黒竜将――黒竜騎士たちを束ねる将軍の第一柱であることを明らかにしている。

「ミネルヴァ・フィーニス……」

 聞き覚えのある名を、唇の中で呟く。僕がまだグラスだった頃、つまり人魔大戦の頃から聞き及んでいる名だ。若い女性に見えるが、名を継いで代替わりしていないのであればミネルヴァは、300年以上を生きていることになる。彼女もまた神人カムトと同様に神の使徒であるのだ。

「ペールノエル少佐、貴殿が現場責任者で相違ないか?」
「はい。……黒竜将が介入するということは、この一連の出来事は神事として扱われるということでしょうか?」

 ミネルヴァの問いかけから全てを察したのか、プロフェッサーが質問で返す。ミネルヴァは頷くと、ハーディアの意思を確かめるように目を合わせ、それから短く息を吐いた。

「……不本意ではあるが、我が主の意志は全てにおいて優先される。黒竜神ハーディアの名のもとに、この場は我ら黒竜騎士団が預らせていただく。これ以降、帝国軍の関与は一切禁ずる」
「委細承知いたしました。そのように手配させていただきます」
「いやいやいや! 承知ってさ、大人だけで話してて、わけわかんねーよ! ちゃんと説明してくれ、プロフェッサー!」

 話についていけなくなったのか、それまで黙っていたヴァナベルが苛立った様子でプロフェッサーたちの元へと進み出る。

「控えよ! 神の御前であるぞ!」

 ミネルヴァが鋭く一喝すると、びりびりと空気が震え、ヴァナベルが弾き飛ばされた。ヴァナベルの後方で直立していた機兵も、ミネルヴァの一喝に耐えきれずに片膝をつく。

「「すごい迫力だ……」」

 リリルルが声を揃え、畏敬の念を込めてミネルヴァとハーディアを交互に見つめている。アルフェも頷き、僕に凭れ掛かるように身体を預けた。

「でも、ハーディアちゃんたちが味方なら、こんなに心強いことはないね」

 囁くようなアルフェの声は、安堵に満ちている。ハーディアとミネルヴァが味方であるなら、アルフェのいう通りだ。ただ僕には、絶対に怒らせてはいけない相手ではあることが、ある意味で恐ろしく感じられた。
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