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【シャルデル伯爵の術中】
5.シャルデル伯爵の真実
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「俺から離れないでくださいね」
夜会に向かう馬車の中で、シャルデル伯爵が自ら語った言葉はそれだけだった。
脚を組んで、頬杖をついたシャルデル伯爵が、じっと真っ直ぐに対面に座るリシアを見つめるのが、夜の暗闇の中でもわかる。
居たたまれなくなったリシアが何かを口にし、シャルデル伯爵が応答する。
密室の中は非常に息が詰まって、リシアは馬車から下りるなり深く呼吸を繰り返した。
そうすれば、シャルデル伯爵が心配そうにリシアの顔を覗き込む。
「酔われましたか?」
リシアはその問いに目を見張った。
確かに、馬車は苦手だった。
けれど、これは馬車で酔ったわけではない。
酔う暇もないくらいに、緊張していたことに気づいて、恥ずかしくなる。
「いいえ、大丈夫です」
恥ずかしいのを隠したくて、返答は素っ気なくなったけれど、シャルデル伯爵は気にしなかったらしい。
「それならばよかった」
そう、上品な笑みを見せて、白い手袋に包まれた手を差し出してきた。
「どうぞ」
リシアは、その手に視線を落とし、シャルデル伯爵を見る。
「…誤解を招くと思います」
「堂々と、疾しいことなどないという顔をしていれば、いいのです」
微笑んだ顔の穏やかさに、リシアは考える。
「疾しいことがない人間の場合にはそれでいいかもしれませんが、疾しいことがある人間の場合どうすればいいのです?」
「簡単ですよ、欺き、偽るのです。 自分を」
さらり、とシャルデル伯爵が言った言葉は、衝撃だった。
欺き、偽る。
他者をではなく、自分を。
そうすれば、それは、自分にとっての、【真実】となる。
「…貴方は、そうやって生きて来たの?」
リシアは自分の声を耳で聞き、ハッとした。
問いは意図せず音を伴って、リシアの唇から零れていた。
シャルデル伯爵は、穏やかに笑んだまま、シャルデル伯爵の手を取る気配のない、リシアの手を取った。
手を取らないリシアに焦れたわけではないことは、その穏やかな動作から窺える。
「…【豪商貴族】シャルデル伯爵家の家訓とでも思っていただければ。 だから、ひとつだけは絶対に、自分を欺き偽るなと言われています」
シャルデル伯爵の手に重ねられた自分の手が、持ち上げられるのを、リシアは見ていた。
シャルデル伯爵と同じく、手袋をはめた手の甲――指の付け根に、シャルデル伯爵の唇が落ちる。
「恋に落ちたときだけは」
上目遣いに見上げてくる菫青石の瞳に、リシアの心臓が大きく跳ねたことを、シャルデル伯爵は知っているのだろうか。
シャルデル伯爵が自分に向ける好意は、真っ直ぐだ。
シャルデル伯爵邸のひとたちも、シャルデル伯爵の言を全面的に信じているようで、リシアをシャルデル伯爵の想い人扱いをする。
その好意に、慣らされていく自分が怖い。
自分はシャルデル伯爵に相応しくないのに、彼の隣で幸せな家庭を築く夢を見そうになる、自分が怖い。
夜会に向かう馬車の中で、シャルデル伯爵が自ら語った言葉はそれだけだった。
脚を組んで、頬杖をついたシャルデル伯爵が、じっと真っ直ぐに対面に座るリシアを見つめるのが、夜の暗闇の中でもわかる。
居たたまれなくなったリシアが何かを口にし、シャルデル伯爵が応答する。
密室の中は非常に息が詰まって、リシアは馬車から下りるなり深く呼吸を繰り返した。
そうすれば、シャルデル伯爵が心配そうにリシアの顔を覗き込む。
「酔われましたか?」
リシアはその問いに目を見張った。
確かに、馬車は苦手だった。
けれど、これは馬車で酔ったわけではない。
酔う暇もないくらいに、緊張していたことに気づいて、恥ずかしくなる。
「いいえ、大丈夫です」
恥ずかしいのを隠したくて、返答は素っ気なくなったけれど、シャルデル伯爵は気にしなかったらしい。
「それならばよかった」
そう、上品な笑みを見せて、白い手袋に包まれた手を差し出してきた。
「どうぞ」
リシアは、その手に視線を落とし、シャルデル伯爵を見る。
「…誤解を招くと思います」
「堂々と、疾しいことなどないという顔をしていれば、いいのです」
微笑んだ顔の穏やかさに、リシアは考える。
「疾しいことがない人間の場合にはそれでいいかもしれませんが、疾しいことがある人間の場合どうすればいいのです?」
「簡単ですよ、欺き、偽るのです。 自分を」
さらり、とシャルデル伯爵が言った言葉は、衝撃だった。
欺き、偽る。
他者をではなく、自分を。
そうすれば、それは、自分にとっての、【真実】となる。
「…貴方は、そうやって生きて来たの?」
リシアは自分の声を耳で聞き、ハッとした。
問いは意図せず音を伴って、リシアの唇から零れていた。
シャルデル伯爵は、穏やかに笑んだまま、シャルデル伯爵の手を取る気配のない、リシアの手を取った。
手を取らないリシアに焦れたわけではないことは、その穏やかな動作から窺える。
「…【豪商貴族】シャルデル伯爵家の家訓とでも思っていただければ。 だから、ひとつだけは絶対に、自分を欺き偽るなと言われています」
シャルデル伯爵の手に重ねられた自分の手が、持ち上げられるのを、リシアは見ていた。
シャルデル伯爵と同じく、手袋をはめた手の甲――指の付け根に、シャルデル伯爵の唇が落ちる。
「恋に落ちたときだけは」
上目遣いに見上げてくる菫青石の瞳に、リシアの心臓が大きく跳ねたことを、シャルデル伯爵は知っているのだろうか。
シャルデル伯爵が自分に向ける好意は、真っ直ぐだ。
シャルデル伯爵邸のひとたちも、シャルデル伯爵の言を全面的に信じているようで、リシアをシャルデル伯爵の想い人扱いをする。
その好意に、慣らされていく自分が怖い。
自分はシャルデル伯爵に相応しくないのに、彼の隣で幸せな家庭を築く夢を見そうになる、自分が怖い。
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