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無謀なアイリスを止めること叶わぬシェイムの思い

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 翌朝、アイリスはすっきりした表情で、服の下に例の、金綺羅きんきら鎧を着けた。

胸当てと胴回り。
そして二の腕と太腿。

シェイムが心配げに、覗き込んではつぶやく。
「せめて…腕の重りだけは、お取りになっては…?」

言葉は従者のそれ。
が、そっと正面に立たれて腕を取られると、シェイムのその優しさを放ちながらも、いつでも自分の胸元に力強く相手を抱き止める雰囲気の、男の色香を放つ胸元に、“気”が吸い寄せられる。
女性なら、シェイムに身を寄せられただけで、頬を真っ赤に染めていただろう。



シェイムはアイリスが俯く様子に一つ、吐息を吐く。
「…いつもは気にも止めないのに。
スフォルツァ殿に女性扱いされてると。
そんな方に、鼻が利くもんなんですかね?」

顔を上げる、その整ったハンサム顔は小憎らしい程で、アイリスはつい、じっ…。と従者の顔を見つめた。

「…いや。凄く勉強になる。
やっぱり、多くの者相手に連戦連勝だと。
もう、雰囲気だけで。
相手のソノ気を誘えるものなんだな。
何気なにげに身を寄せられただけで、男の私でもどきっとする」

シェイムは年とかけ離れて大人びた、がとても色白の美少年の、自分の主人を見降ろし、また一つ吐息を吐き出した。

「つまり私は。
エルベス様ともアドルッツァ様とも違って、随分と女垂らしだと。
そう、言いたいんですか?」

アイリスは肩を竦めた。
「エルベスもアドルッツァも、自分が落としたい相手にしか。
そういう色気を出さない」

シェイムはアイリスに背を向け、両肩を軽く持ち上げ、すくめた。

アイリスは素晴らしい色男の従者の背に視線を落とし、つぶやく。
「…だってこれが、図体はデカイのにおぼこいデネト辺りだったら…。
自分が心配される子供にしか、感じられない」

シェイムはまだ振り向かず、小さな机の上に積まれた、衣服の元へと歩み行く。

アイリスはその従者の背に、再び声をかけた。
「…めたんだ。
その気が全然無いのに、ソノ気を引き出すって」

シェイムは吐息混じりに、小机の上の衣服を腕に取る。

アイリスはつい、屈んで従者の表情を伺い囁く。
「…だってそれは、凄い特技だろう?」

シェイムは戻って来ると、アイリスの腕に衣服を押しつけて言う。
「今日は大事な日でしょう?
実力を、出す気は無くてもスフォルツァ殿以外、負けられない相手がいる筈です。
ここで叩いて置かないと今後デカい面されて、鬱陶うっとおしい相手が!」

乱暴に、練習用の剣を押しつけられて、アイリスはそれを握りぷんぷん怒ってる様子のシェイムの、くるりと向けた背を眺める。

「私が…スフォルツァに解放されて、浮かれてると思ってる?」

シェイムは振り向くと怒鳴った。
「貴方を!
ご心配申し上げている!
グーデン配下の者達には何があっても負けてられないのに!
心配を余所よそに、腕当てまでおけだから!!

…なのに私の、色香の話ですか?!」

アイリスは一つ、吐息を吐き、俯くとつぶやいた。
「ごめん…」

シェイムは項垂れる年若い主人に振り向く。
若枝のようにしなやかで俊敏な体が、その重しでどれだけの実力を制限されるか。
もう一度さとそうと、口を開く。

が瞬時にアイリスが顔を上げる。
「…それで負けたら、私はそれまでの男だ」

シェイムはその、真っ直ぐ意志の強い濃紺の瞳を見つめ、うめく。

「ご自分を…そんなにお試しになりたいんですか?
今日は練習で無く本番なのに?」

アイリスは真っ直ぐ従者を見つめる。
「本番で実力が発揮できなかったら、練習の意味が無いじゃないか」

シェイムはつい、自分のあるじたる器の少年を見つめた。

年若かった。
がアイリスは、人がどんなものに魅せられ、どんな相手にしんこうべを垂れるかを、知っていた。

その価値も。

だがそれでもシェイムはささやいた。
「負けたら…どうするおつもりです?」

アイリスは真顔で言った。
「いつもエルベスに言われてる。
自分が相手をひれ伏させる事が出来なければ、その弊害へいがいを、結果自分が引き受ける事になる。

まず努力し、どれ程その瞬間に全力を出せるか。
出来なければ自分で、そのツケを自分が引き受けるしか無い。と。

が、ツケを何とかするのは大変骨が折れるから、叩ける時に叩く実力が無ければ。
陰謀にたけ、権力を強固にするしか道が無い。
がそれは男としては、惨めで誇りから見放された行為だと、思い知っておくように。と」

「…つまりご自分が、男として人の尊敬に値するか、それとも…。
権威けんいで相手に恐れられるかを、選ぼうとお思いで?」

アイリスは素早く衣服を羽織り着け、練習用の宝玉で飾られた剣を脇に刺して顔を上げ、微笑む。
「自分の実力が及ばなければ、間違いなく後者だ。
自分で選ぶ事なんて出来ない」

言って、シェイムに微笑んだ。
「君だって嫌だろう?
その実力が無いのに、権力で尊敬まで相手に要求する、馬鹿につかえるのは」

シェイムが、即答した。
「真っぴらです」

アイリスは一つ、頷いて扉に手を掛ける。
「自分の真の実力を、思い知って置くのも一つの自分への、親切だ」

シェイムは背を向ける年若い騎士に告げた。
「私を失望させたら、お暇を頂きます」

その、真剣な言葉にアイリスはぐっ!と歩を止める。
そして…ゆっくりと振り返った。

召使いと言うより従者。
確かにシェイムは貴族で無いのに特待で教練に入学を認められただけある、腕の確かな男。

があんまり女性にモテて男達にやっかまれ、更に貴族で無いと言う理由で周囲の最悪な扱いにげんなりし。
エルベスに見出みいだされてその下で仕え、出世も出来た筈なのに爵位だけはたまわって、エルベスの役に立つ仕事にきたい。
と、エルベスにこうべを垂れ、膝を折った男だった。

真の眼を持っていて、エルベスには一目置いて、密かに敬意を抱いてる。

けど甥の自分には…守護者エルベスの代わりに護る、力弱いかばうべき相手。
と見られているのに、アイリスは内心不満だった。

アイリスは笑った。
「…いいだろう。
私が無様ぶざまに負けたらエルベスに
“甥のアイリス様は残念ながら、男としては尊敬する資質に欠けています”
そう伝言をたずさえて、大公家に戻ればいい。

だが私はそれをさせる気は、一切無いがな!」

シェイムはさっ!と身をひるがえす、アイリスの背に怒鳴った。
「だからと言ってハンデを付けすぎです!
そんな物をお着けになって戦うのは、絶対!!!」

が扉は閉まり、アイリスは戻って来なかった。

シェイムは一つ、吐息を吐く。

初めて会ったアイリスは、まだたったの八つだった。

大人びていて快活で…けど、とてもチャーミングに笑う少年で。
一発でその人懐っこい微笑みにノックダウンされ、誰もがアイリスを、好きにならずにいられなかった。

愛くるしい笑みは成長と共に、素っ気なく小憎らしいくらい爽やかな笑みに、取って代わる。

彼は慢心をいつも恐れていたし、周囲には馬鹿を馬鹿と、堂々と口にする大人だらけだったから。
いつも高い目標を持たざるを得ず…。
それでも自分がその大人達の眼鏡にかなうと、少年らしく誇らしそうに、その頬をピンクに染めて見せ…。

いつも…背伸びして、高い目標に挑み、時には…自分に厳しすぎるほど自分を、りっしていた。

だが…心配げな顔を向けると、アイリスはいつも挑戦者の瞳をし…。
輝かせ、必ず言う。
「出来なければ私は、それまでの男だ」

まるで自分を切り捨てるような言い様。

彼がいつも自分に叩きつける、自分への挑戦に勝って戻ると。
ほっとするのはいつも、周囲だった。

次第に覗かせる、自分への誇りと期待。
それを絶対のものにしようと…アイリスの挑戦はどんどん、無謀な戦いへと変わって行く。

皆が同様、祈ってた。

彼…アイリスがいつも、その戦いに勝って戻りますように。
勝利の女神がいつも、彼に微笑みますように。

それほど皆が、心から願ってた。
アイリスの、快活かいかつで自信に満ちたチャーミングな笑顔が決して、彼から失われない事を。
大切な大切な宝物を、庇護ひごするように見守りながら。

ここに来る前、彼の祖母、大公婦人にこうべを垂れて頼まれた。

「アイリスをまもって…!
人の、忠告を聞く子じゃない。
けれど…ズタボロに自尊心を無くす、あの子を決して
見たくは無いの…!」

シェイムは彼女に感動した。
うんと年下の小僧こぞう相手に。
大公家を仕切ってきた烈女れつじょが頭を垂れ、ただの孫を思う祖母に戻り、い願う姿に。

“私の瞳を見てエルベス様も言ってくれた”
シェイムはその時の、胸の奥が熱くなる感情を思い出す。

「頭を上げて。母様。
シェイムは誰よりも物の分かった従者だから」

そしてエルベス大公は真っ直ぐ見つめ…微笑み頷いてくれた。

シェイムは我に返ると、下働きの者二人に今日の用事を言いつけ、素早く召使い用の階段を駆け下り、そっと…剣の試合が行われる、全校生徒がすっぽり入る程大きな、講堂へと足を運ぶ。

かつて自分もそこで戦った、懐かしいあの試合場。
今は中へ、入る事の許されぬその窓辺で。

あるじの戦いを、見守る為に。

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