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ハウリィの帰郷

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 ハウリィは馬車の中、ずっとアイリスを見つめてしまった。
どう見ても気品溢れる貴人で、自分とは別世界の人。

濃く艶やかな栗色の巻き毛を胸に流し、面長で色白。
態度は落ち着ききっていて、快活でチャーミング。

濃紺の瞳はきらきらと輝き、彼をとても利発に見せていた。

ハウリィは、幾度も口を開きかけて閉じる。
この美しい人を義兄はきっと、見逃さない…!
自分にされたような事を、もしこの人がされたら…!

ハウリィは考えただけで、身が震った。

「あの…!」
とうとうハウリィは決死で言葉を発する。
「…僕の屋敷は…義父が支配していて…!
義兄は何でも好きな事をし放題です!
貴方を見たらきっと…!」
「きっと?」
アイリスの顔から微笑は消えず、ハウリィは言い淀んだけど、言い切った。
「…きっと薬を盛られた飲み物を勧められます!
頭がぼうっとして…けれど体が熱くなって…」
「催淫剤?」

ハウリィはその返答に、目を見開いた。
アイリスは陽気に笑う。
「大公家には、幾らでも凄い薬草が用意されていて。
催淫剤なんて、幾種類もあるんだよ…!」
「あの…」
ハウリィはそれでも、震えながらささやいた。
でもアイリスはハウリィの不安なんて、吹き飛ばすみたいに笑う。
「ええとそれで…君の義兄はどんな事を好きにするの?」

ハウリィは言い淀んで、俯くと蚊の泣くようなか細い声で告げる。
「…その…縛り上げたり…。
そして…好きなように体を弄ぶんです」
「彼は君に、それをしたんだね?」
「…………それに…好きなときに…犯されて…ずっと解放してくれない…」
そう言った時、ハウリィは震えだし、みるみる涙を浮かべる。
「…僕…僕…挿入されるの…凄く痛くて苦しくて嫌なのに…!
どれだけ『止めて!』と叫んでも、聞いてくれないし逆にそれを…」
「…楽しんでるんだ」

ハウリィは顔を上げた。
そう言ったアイリスの声は低く、怒りを含んで聞こえたから。

アイリスの微笑はそのままだったけど。
濃紺の瞳がきつく見えた。

「…そういう、弱い者を捕らえて嬲るような卑劣な者は、大公家では徹底的にし返すんだけど。
ローフィスが…」
「ローフィス…様?」
アイリスは、屈託無く笑った。
「様…なんだ。
彼には考えがあって。
きっと君に内緒で、義兄にお仕置きしてる。
だから君は自宅に帰っても安全だって、ローフィスが請け負った」

ハウリィは大きな青い瞳を、まんまるに見開く。
もう、涙は浮かんでなかった。

「ローフィス…様が…お仕置き?」
アイリスは頷くと、まだきつい濃紺の瞳のまま、言った。
「…私が先に聞いていたら、大公家の拷問係をつかわしたのに…」
ぼそり…と小声で言って、アイリスは馬車の窓の外に視線を送る。

ハウリィは聞き間違いかな?
とアイリスを覗った。
「あの…拷問係と…おっしゃった?」
「ああもう、着くみたいだ」
アイリスが言った途端、馬車は少し横に揺れて…そして、暫く走ると止まった。

先に降りたアイリスに手を引かれ、ハウリィは馬車から降り立つ。
玄関には母が出迎えてくれていて、ハウリィは小柄な母の姿を見た途端、駆け寄っていた。

玄関には女中達も、並んで出迎えていたけれど、母とハウリィの抱き合う姿に、涙を見せる者すらいた。

「…元気だった?
もう心配で…!
酷い目には、合ってない?」
「し…んぱいだったのは…僕…。
かあ…さまこそ…お元気でしたか?」

ハウリィは顔を上げて、母の顔を見つめる。
もっと、やつれてると思った。
けれど顔色が良く…ここを出発するとき、頼りなく辛そうで…やつれた様子とは違って見えて、ハウリィはもう一度母を見つめた。

金に近い栗色の髪を結い上げ、青い瞳は生気を取り戻したように、温かく瞬いていた。

つい…ハウリィは振り向く。
背後に居たアイリスは微笑んでいて、ハウリィは慌てて母に彼を紹介した。

「母様、彼は同じ学年の…とても身分高いお方です」
アイリスは紹介を受け、にこにこ笑って歩み寄る。
「そんな、堅苦しい!
同じ新入生同士なんですから!」

ハウリィは、目を見開いた。
アイリスがそう茶目っ気たっぷりに告げると、涙ぐんでいた女中すら、笑顔を見せる。
その場の雰囲気がいっぺんに、ぱっ!と明るくなった。

母は慌てて、気品は溢れて見えるのに、とても気さくで親しみや易くて陽気なアイリスに振り向いて促す。

「こんな場で、お引き留めしてすみません。
どうぞお上がりになって、寛いで下さい」

女中の一人が玄関扉を開け、母はハウリィを促し、肩を愛しげに抱いて室内へ。
アイリスは斜め後ろを笑顔を浮かべたまま、続く。

モスグリーンのソファと茶色の調度の、地味な色合いの客間。
けれどハウリィは、きょろきょろと周囲を見回す。
「あの…お義父様はここを使って…お叱りにならないの?」

母は頷くと、女中に
「ラウール様をお呼びして」
と告げる。

お茶を手渡され、アイリスはひっきりなしにハウリィに微笑を送る母の、温かく優しい姿を見守った。
が、やがて室内へ入って来る“ラウール”を見て、アイリスは呆れた。

大公家に仕える一人。
大公エルベスの周囲には、美男で利口でやり手の部下が大勢居た。
美男揃いと評判で、エルベスは時には『女より男が好き』と言う、不名誉な噂を立てられていたけど。
実際はエルベスの姉でアイリスにとっては伯母のニーシャが。
美男じゃない男を虐めて、辞めさせるから。

結果ニーシャが気に入る美男だけが残り、エルベスは毎度
「姉様のお陰で『美男喰い』と言う不名誉なあだ名を付けられました」
とぼやいてた。

当のニーシャは
「でも変な女避けになるじゃない。
大公の貴方に、財産目当てのとんでもないスベタが取り入り、結婚なんてされちゃ、たまったもんじゃないわ」
と気にもしない。

ともかく長い栗毛を後ろで束ね、利発な美男のラウールは、緑がかった青の瞳をアイリスに向け、一瞬誰にも気づかれないよう、ウィンクを寄越すから。
アイリスは口を閉じる。

「あの…」
ハウリィは若い美男を見つめ、目を見開いて尋ねる。
母は慌てて、彼を紹介する。
「お義父様は昼寝時寝椅子から落ちて…。
もう、立てなくなってしまって。
そうしたら公領庁から管理者不在の通知と共に、新しい管理人として彼が、派遣されてきたの。
ラウール様とおっしゃって、この屋敷に常泊して頂いてるわ」

ハウリィはびっくりした。
「…管理者不在…?
では義父様は…」

ラウールは、アイリスの横の一人掛けソファに座ると、にっこり笑って告げる。
「…残念ながら不具者扱いの管理能力欠如で、領地の管理はもう出来ません」

母はハウリィに微笑む。
「ラウール様は領地の小作人にもとても親切で。
お陰で皆、楽しそうに働いています。
それに…農夫のアイディアで新しい特産品も産まれて。
とても、活気づいてるしそれにこの屋敷でも…」

ハウリィは慌てて言う。
「ではもうお義父様は、命令は出来ないの?」
母はとても嬉しそうに微笑った。
「そうなの」
「では誰もぶたれず…惨めな思いも、することは無くなって…」
「その通りよ」
「でも…義兄様は…?
跡取りでしょう?」

その時、ラウールがにっこり微笑った。
「ええ、彼が管理者になれるかどうか、私が覗いましたが。
どうやら飲んだ酒が悪かったらしく…」

ハウリィは目を見開いた。
「ご病気ですか?」

ラウールと母は目を見交わす。
ラウールが母に代わり、告げた。

「一種のね。
寝込む事はありませんがその。
興味が、男性にしか無くて」

ハウリィはそれを聞いて、顔をゆっくり下げる。
膝のズボンを固く握って。

アイリスが目配せすると、ラウールは直ぐ言った。
「…数人の逞しい男を買って。
自室で代わる代わる、自分は女の役割をして、色情に溺れておいでで。
とても領地管理は出来ないと、判断しました」

ハウリィはその言葉に、目を見開いて顔を上げる。
「あの…」

母は頬を染めて俯き、ささやく。
「一人ではダメで…。
必ず数人いないと、気が狂ったように叫ばれるの」

ラウールが頷いて、後を継ぐ。
「現在、私がお相手の男達を手配していますが…。
今は立てなくなったご主人と共に、領地の離れの別邸にいらっしゃるので、義父、義兄殿もこの屋敷にはいない。
貴方の目に触れる事はありません」

アイリスはハウリィが、ぱっ!と表情を輝かせるのを見た。
そして直ぐ、自分に振り向き告げるのを目にする。
「良かった!
これで安心して、貴方に泊まって頂けます!」

アイリスは正直、怯えたうさぎのようだったハウリィが、あんまり嬉しそうな笑顔を浮かべるのを見て、ローフィスに完敗した事を思い知り、落ち込んだ。
が微塵にも表情には出さず、心の中でこっそり思う。

「(…ローフィス、見たかったろうな。この笑顔…)」
けれど微笑むハウリィに、にっこりと微笑み返し、頷く。

「ご心配が消えたようで、私も安心です」

ハウリィははしゃぐ様子さえ見せ、母親に笑顔で笑いかける。


アイリスがこっそり部屋を出ると、直ぐラウールは後からやって来るから、柱の影で彼と話した。

「私と知り合いだと、明かしてはいけないんで?」
開口一番ラウールにそう尋ねられ、アイリスは顔下げる。
さっきラウールが口を開けた時、アイリスは首を横に振ってこっそり合図し、口止めしたから。

アイリスは顔下げてつぶやく。
「勿論、言いたいさ。
けどそれだと、私か私の叔父の手柄になる。
ハウリィが感謝を捧げるのは…本来ローフィスなのに」
「でもエルベス様が私を一刻も早くとここに寄越したのは、ここの内情があまりに酷く、貴方の判断を待てずに手を打ったからで…。
実際、それで正解でしたよ?」

アイリスは俯く。
「…けど義兄を男狂いにしたのは上級生のローフィスで、彼の号令で彼の友人らが、ここを訪れた際義父と手下を動けなくしたんだ。
…つまり今、私と君の関係を明かせば…」

ラウールはため息を吐いた。
「手柄とハウリィ殿の感謝は、そのローフィスと言う上級生を差し置いて、エルベス殿か貴方に捧げられる。
って事ですか?」

アイリスは俯いたまま、頷く。

「つまり、親子の為に号令を下したローフィスを、貴方は尊敬しているから。
彼の手柄を、横取りしたくないと」

「…そうなる」

アイリスが顔を上げると、ラウールはにっこり笑った。
「好きですよ。
権力をお持ちなのに、慢心しない所が」
「権力を持ってるのは、エルベスだ」
「けれどそのエルベス様を、貴方は思いのまま操れる」
アイリスは項垂れた。
「確かに、我が儘言っても笑って聞いてくれる。
エルベスは。
けれどニーシャ伯母と母にその後、嫌味と皮肉を言い倒される。
他人を頼らなきゃ自分では出来ない、実力の無い腐れ男。
みたいな事を、延々聞くに耐えない、一見上品に聞こえる罵詈雑言ばりぞうごんで」

ラウールは項垂れるアイリスに呆れた。
「貴方でも、お二人が怖いんですか」
アイリスは頷いた。
「外見は美しいが、中身は悪魔だから」
けれどラウールは、素っ気無く言った。
「…貴方もですが」

アイリスが顔を上げると、ラウールはもう背を向けていたから、ついアイリスは小声で怒鳴る。
「悪魔に対抗するには、それを上回る悪魔になるしか、手段は無いだろう?!」

ラウールは振り向くと、言った。
「私のお仕えするエルベス様は、天使のままですが」
「彼は大公だから!
悪魔達は彼を護る事を使命にしてる!
…態度はそう見えないけど」

ラウールはけれど再度にっこり笑うと、言い切った。
「それもありますが。
天使のままいられるのはもちろん、エルベス様のお人柄です」

すっ…と背を向けるラウールに、アイリスは言い返せず悔しくて。
思わずこっそり、その背を睨み付けた。
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