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アイリスの謝礼

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 美少年は屈んでいたが、駆け寄る俺に顔を上げ、一瞬で眉根を寄せる。

直ぐ彼の方から駆けて来て俺に寄ると、素早く足を止め、俺を見上げささやく。
「…黙って…いてはくれませんか?」

酒場の扉が開き、男の叫びに何事かと、数人が姿を見せる。

美少年は真摯しんしな濃紺の瞳を向け、俺に懇願する。

「…貴方がした事に……しては頂けませんか?」

その真剣な表情が切羽せっぱ詰まり…あんまり一生懸命に見えて俺は固まった。

倒れる男に屈む男達が、口々に騒ぐ。
「…潰れてる………!」
「いい気味だ!これで奴の被害者は居なくなる!」
「あんたがやったのか?
教練のデカイ暴れん坊!」

その整いきった一年の美少年はまだ真っ直ぐ、俺を見つめ続ける。

俺は…結局彼の懇願するあまりに真剣な表情に気圧けおされ、仕方なしに口を開く。

「ああ……俺だ。
ウチの下級に手出ししたから、思い知らせた」

皆が頷く。

美少年…アイリスが途端、俺を見つめた瞳を反らさず、安堵の吐息を吐き出す。
俺は内心動揺と、彼に従っちまった自分に舌打ちそうになり、素っ気なく怒鳴る。
「潰れてるか?」

倒れる男に屈む男達から直ぐ、返事が戻って来る。
「医者に、見せないとな」
「だが血塗れだ」

俺は、頷く。
「こいつを送ってく。後を頼めるか?」
「後で酒場に寄って、祝杯を受けてくれ!」

俺はアイリスの背を抱き…連中に頷いていたと思う。

肩を抱いて歩くものの…隣を歩くアイリスは間違いなく…猛獣だった。

気品の塊。
上品な香水の漂う、育ちの良さそうな。

暗い校門に立つと、アイリスは振り向く。
だから問う。
「アイリス。そんな名だったな?」

聞くとアイリスは微笑を浮かべる。
「名前を貴方に覚えて頂けるなんて、光栄だ」

まだたった14の少年の…無邪気にすら見える笑顔に。
…だが俺は、ぞっとした。

ふいに彼の白い手が伸びて首の後ろに手を掛けられ、顔を下げさせられると彼が顔を寄せて来、その唇が俺の唇を掠め…。

ぎょっ!!!として身を、素早く起こす。

途端アイリスは悪びれも無く、言葉をつむぎ出す。

「ああ…こういうお礼は必要、ありませんか?」

俺は目を、見開いたままつぶやく。
「これは俺にとって、礼じゃない」

アイリスはくすり。と笑う。
「では別の礼を後日、届けさせます。
本当に、助かった。
…ついでに誰にも、言わずにいて下さると、嬉しいんですが」

「なぜ?」

アイリスは悪戯っぽく、くすり。と笑うとささやく。
「学年無差別剣の練習試合を、見て頂ければ解ります」

俺は…頷いていた。
そう言う謎かけは、嫌いじゃなかった。

が、アイリスは頷く俺に、気を良くしたのかつぶやく。

「…失礼を、お詫びします…。
入学してからこっち…結構男に口説かれてしまっていて…。
つい、貴方もそっちの男と、カン違いして…」

俺もつい、無言で頷く。
「お前の身分なら無体な真似は、されないだろう?」

だがアイリスは、男の睾丸潰した時のような、きつい瞳をすると吐き捨てるようにつぶやく。

「すっかり…忘れてたんですがね。
この顔がタイプの野郎がいる事を…。
いつも周囲には女性しかいなかったから、まさか私を口説く男がいるだなんてね…!」

それでつい…尋ねた。
「その女性ってのは、身内か?」

彼はほがらかに、そしてとてもチャーミングに微笑んで首を横に振った。
「当然、しとねを共にする女性ですよ」

俺はああ…。と首を縦に振り、俯いた。

確か、14の筈だ。
末恐ろしい14才も、居たもんだ。

「でも、ともかく目立つのは、困るんです…!」
そう言う彼はやっぱり、優美そのものの可憐な美少年に見えて…俺は背筋が冷たくなった。

俺はもう…理由を尋ねる気も無く、頷いた。
「他言しないと約束しよう」

彼は、とても嬉しそうに微笑んだ。

濃紺の瞳をきらきらと輝かせ、艶やかな焦げ茶の栗毛を品良く胸に垂らす、真っ赤な唇が色白の肌に映えた美少年だったが…。

もう俺はこいつを、外観道理見られなかった。

彼は突っ立つ俺の手を両手で親愛を込めて握り込み、顔を見上げささやく。
「後日必ず…!
お礼を届けさせますから……!」

言って背を向け、一度振り向いて微笑む。
俺は咄嗟に、礼は要らない…!と叫びかけ、止める。

奴に握られた手が、微かに震うのに気づいたからだ。
あんなぞっとするモノを、見せられたんだ。
有り難く…貰って置こう。ついそう、思って。

酒場に戻ると、ギュンターはエリーダを伴って個室から戻ってた。
俺を見つけると近付いて来る。

だが戻ったエリーダに次を申し入れた奴が断られ、皆がギュンターの背後で一斉に、ブーイングを垂れた。

「あの顔で…?
そんなに良かったのか?!」
「奴は上手かったって?!」

俺は目前に立つ、ギュンターをつい、まじっと見た。
が、ギュンターは口を開くと、言った。

「あいつは…?
大丈夫だったのか?」

俺は呆れた。
「余所事考えて、それでも女を満足させたのか?」

ギュンターは情事の後で、その金髪と男らしい美貌に艶と輝きをまとっていた。
が、眉間を寄せる。
「最中は考えないさ!」
俺は、頷いた。

もし俺が止めなければあの、すまして綺麗な顔をした、気品溢れる美少年の猛獣振りを、見てたのはこいつの筈だった。

俺は、一つ吐息を吐き出してつぶやく。

「男は撃退し、被害者(ホントは加害者。オーガスタスの皮肉)を校門まで送って行った」

ギュンターは頷く。
「あんた、さすがだな!」

ぽん。と肩を叩かれたが…まさかあの美少年が。
自分で、しかも普通の奴が、やらないような強烈な方法で、カタを付けた。

…とは、口が裂けても言えなかった。

だが酒場の男は杯を俺に手渡すと、叫ぶ。
「奴は無事、睾丸も一物も潰れた!」

酒場中の、男も女も一斉に杯を俺に上げ、歓声を上げる。

ギュンターが横で、マジマジと俺を、見つめた。
「そこまでして…この祝いか?
余程最悪な男だったんだな?」

タチの悪い男から、俺が下級を救い出した。とギュンターに尊敬の瞳で見つめられ、俺はつい、顔を背ける。

皆が奴の…一物を潰した俺を、頼もしそうに見る。
俺の握力ならそれは、訳無い。と皆が微笑む。

そう…俺の、握力ならば。だ。
だが潰したのは俺じゃない。

俺は何時までも歓喜に沸き立つ酒場で皆に感謝を告げられ、酒の味なんか全然解らなかったし、寄って来る、女の手を取る気すら無いほど気色悪かったが…。

アイリスに、口外しないと約束した。

奴に代わって英雄に成り…つくづくその苦々しい気持ちに、強烈に思う。

やっぱり送り届けられた奴からの贈り物は、突っ返さずもらっとこう。と。

追加を、請求したって良いはずだ。
英雄を、湛えるこの場から。

逃げ出す事も出来ない、俺の居心地の悪さを考えたら…。
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