若き騎士達の波乱に満ちた日常

アイリスが酒場で絡まれる、少し前の出来事

　アイリスが酒場を訪れる、少し前の時間。

妹達の混じる賑やかな夕食の、席を立ち、帰る時間だから。
と皆に別れを告げる。

妹達は交互に抱きつき、頬にキスして別れを惜しんだ。
が、祖母、母、伯母。
そして二人の叔父は、目配せし
『この後は任せて』
と無言で合図を寄越す。

アイリスは心の重荷が取れ、馬車に乗り込んだ。

けれど『教練キャゼ』への帰り道。
溜まりにたまった鬱憤晴らしが必要だと、痛切に感じた。

それで御者に、宿舎近くの酒場で止めるよう指示を、出す。
が、御者は御者台から、窓から顔を出すアイリスに振り向き、言葉を返す。

「お坊ちゃま。
奥様に怒られます。
貴方をこんな…場所で夜、たった一人で降ろしたりしたら…。
『教練キャゼ』近くなので。
夜盗は出ないとは思いますが、それでも酒場近くですと、その………」

アイリスは、笑った。
「ごろつきは、望む所なんだ。
誰かをぶん殴らないと、溜まった鬱憤は晴れそうにない」

御者はそれでも若い令息を見つめる。
「けど…ここで無くてもいいんじゃありませんか？」
そう、視線の先の、場末のような小汚い酒場を見る。
「教練は男ばかりだから、女を抱きたい。
けど…大公邸には呼べないだろう？」

御者は大きな吐息を、吐き出す。
「絶対無事でいると、約束して下さい」

アイリスは彼に微笑む。
「私がどんな事態になっても、君に責め咎とがが及ばない事を、保証するから」

御者はつぶやく。
「私には15になる息子がいる。
どんなに息子に頼まれても、こんな時間にこんな場所で絶対。
たった一人で息子を、馬車から降ろしたりは致しません」

アイリスは彼を、見た。
「心配してくれて、ありがとう。
でも本当に大丈夫だ。
それで怪我を負ったり死んだりしたら、どのみち『教練キャゼ』ではやって行けない。
これでも騎士の、卵だからね。
対処法を覚えないと」

御者は吐息を吐いた。
そして軽く鞭を入れ、からからと音を立て、馬車はアイリスから遠ざかって行く。

アイリスは馬止めから建物へと続く、ランプの灯りに照らされた薄暗い広場を見た。
が、アイリスは『教練キャゼ』入学以前。
アドルッツァらと共に、幾度も旅に出ていたから、こんな酒場には良く、出入りしていた。

若いが、見目がいい。
と、遊びたがりの女の、一人や二人は寄って来るだろう。

正直、サフォーシャ達と遊びたかったが、見つかれば退学。
意を決して、アイリスは酒場の、扉を開けた。

こっそり入り、目立たないよう酒を注文し、酒場の隅の椅子に腰掛ける。

その向こう、酒場中央で連んでるのはどうやら、教練の四年達のようで、アイリスはますます顔を、隠すように縮こまる。

が、常連の女の一人だろう。
横に来るなり顔を、覗いて来る。
そして、微笑う。
「随分、若いのね？」

アイリスも微笑む。
「相手としては、役不足？」

あら。と女が微笑む。
明るい栗毛を結い上げた、頬のふっくらした明るい、感じの良い女性で。
アイリスは彼女の白い肌の暖かさや、くねる官能の肢体を思い描いただけで、股間が熱くなるのが解った。

…重傷だ。
周囲が男だらけ。
しかもスフォルツァに女扱いされ、相当溜まってる。

彼女の腕が首に絡み、顔が、落ちて来る。
その暖かな唇がしっとり。
重ねられた途端、うっとりしている自分に気づく。

唇が離れると、注文した酒がテーブルに届く。
彼女が顔を上げて尋ねる。
「…ここは初めて？」
アイリスは笑った。
「ここはね」

彼女は呆れたように、肩を竦めた。
「教練の…学生さんでしょう…？
随分いい所の育ちなんじゃないの？」
「そう…見える？」

が、その時戸が開くと、酒場がざわめく。
彼女と共に、つい…振り向く。

誰よりも長身の赤毛。
四年のボス、オーガスタスとその横の金髪は……素晴らしい美貌、三年の編入生、ギュンターだった。

アイリスはあんまり意外な取り合わせで、暫く呆けた。
オーガスタスは堂とした長身の体格で、ギュンターは抜きんでた美貌で目立ちまくる。

アイリスはまずい…！
と身を、屈める。

自分の顔だって、覚えられている筈だ。
壇上で一番身分が高い。と入学式で晒し者にされている。

がその時、横にいた女性の腕を乱暴に掴み、どかせ。
顔立ちはそれほど悪く無いが、いかにもやさぐれて下品で、乱暴そうな男が目前に、下卑た顔を現した。